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フィスト・オブ・ノーススター〜北斗の拳〜2022感想

©武論尊・原哲夫/コアミックス 1983 版権許諾証GS-111
画像は初演時のものです

ミュージカル『フィスト・オブ・ノーススター〜北斗の拳〜』大千穐楽おめでとうございます🎉

中国メンバーのおひとりが怪我で降板されてしまったと聞きましたが、東京初日から今日まで中止になることなく続けられたことは初演に引き続き奇跡のように感じます。
もう大千穐楽のカーテンコールでとにかく安心して涙出ちゃいました😂よかった!本当によかったです!キャストの皆さんの安堵した笑顔を見られて、胸がいっぱいでした。
アタタミュは私にとって大切で特別な演目です。ごっこ遊びの延長のようなのに、ごっこ遊びじゃない。俳優さんの努力がこれだけ剥き出しになる演目は中々ないと思うんです。本気じゃないとただのごっこ遊びの茶番になっちゃうけれど、努力した人はそれぞれの個性がしっかりくっきり表れて、演者ごとのキャラクターがどんどん魅力的になっていく。個人的に、観劇する時に役者さんの解釈を垣間見えると楽しくなるので、アタタミュはそういう興味を存分にそそられる舞台です。
ずっと手を握りしめて、あっちへこっちへ感情が揺さぶられて、笑って泣いて泣いて泣いて……アタタミュはカンパニー全体が熱いことで有名ですが、客席もめちゃくちゃ熱いです!そして、客席がまだ温まっていなかった初演初期からここまで、キャストさんと一緒に盛り上げていけた大切な演目。Twitterではマイナスなことはあまり書かないようにしましたが、ここでは素晴らしかったことも、個人的にモヤモヤしたポイントも、述べていこうかと思っています。
先に言っておきますが、私はアタタミュを心から愛しています。だからこそ、全部は肯定できなかったんです。愛ゆえに、譲れないことってありますよね(そういう大層なことではないんですけどw)

個人的に今回の再演のMVPは上田堪大さんだと思っています。初演のシンは題材はコミックでありながら中身はガッツリグランドミュージカルというアタタミュの中で、どうしても2.5次元っぽさが抜けられず(それが悪いわけではないけど)、浮いた感じが否めなかったんですが、再演になってそれがなくなったと思いました。意外と体当たりでお芝居をする植原くんはともかく、堪大くんはあの高めの声も相まってどうしても汚れきれないシンだった。それが、再演では上田シンの表皮にあった縁どりをとっぱらうことができていた。堪大くんは主要キャラクターのアンダースタディもこなしていたようで、色んな役を経験したことによってシンの立ち位置を明確にできたからこそ、振る舞いが「アタタミュのシン」として溶け込んでいたのかなとか勝手に想像したりして。立場を明確化することによって世界観に溶け込めるというのもお芝居の面白いところですよね。まぁ私はお芝居なんてしたことありませんが(ど素人)
それは、もちろん実力に裏打ちされていないとどれだけ頭で理解しても実行はできないわけで。シン役のために努力したこと、歌唱やダンスや殺陣、お芝居の指導も受けたでしょう、それを舞台の上で発揮してみせてくださったことが私は何より嬉しかったです。
そう、何を隠そうシンが大好きなので、もちろん植原卓也さんのシンも最高です。今回の再演では大千穐楽しか植原シンは観られなかったですが、頭ショートしそうなぐらいかっこいい。上田シンよりかっこつけ!客席で頭抱えました……次はジュウザやってください(笑)マント捌きひとつでヴィーナスが釣れます。植原くんは初演で歌唱力ぐんぐん上げてきて大阪公演でめちゃくちゃびっくりした記憶があるんですが、あの時よりも上達してるし何より彼の歌は「芝居の歌」なんですよ。植原くんの歌には心がある。これは歌唱の技術を超えるものがあると思っていて、私はそういう役者さんが好きです。今回は再演ということもあって、シン役同士での話し合いは初演時より少なかったそうで、だからこそそれぞれの個性がハッキリ分かれてどちらも魅力的で、こういうのが再演同キャストの醍醐味だよねとニヤニヤしちゃう私でした。
そうそう、大千穐楽の植原シンがそれはもうギッタンギッタンにラオウにやられて、ボロボロで震えながらケンシロウと相見えるその姿があまりに哀しくて苦しくて辛かったんですけど、その後のラオウの「犬死に」発言に初めてあんなに怒りが湧きました。急にぐわっと炎が膨らんだ感じがした。あれはシンの演技が迫真であればあるほどケンシロウの怒りが本物になるんだと学びました。すごい。ああやって芝居の熱量で周囲の感情を牽引できる力って、たぶん中々持てるものじゃない。植原くんもMVPにしようかな(ガバガバ)

あとは一色洋平さんのお芝居が熱い。それはそれは熱い。なんの役でどこにいても視界に入ればすぐ分かります。より一層筋肉が育ってる気がしますし、声量が凄すぎてカサンドラのシーンは例えレイを舐めるように見つめていても(やめなさい)とりあえず洋平さんがいることは分かる。あんなに熱くて声がデカいのに、何役もしっかり演じ分けていられる不思議な役者さんです。何やっても一色洋平だなってならない。

初演の小野田トキに心奪われたあの冬。核シェルター前でのソロの歌い出し「この命ある限り」の「こ」があまりに繊細な響きで即小野田トキに惚れ、大正解親トキになってしまったために、再演でトキが遼生さんだと発表された時は正直とても複雑でした。しかも歌詞が改変されてるらしいと聞いてショックでした。しかし、改変されていることでむしろ小西トキにはこれで良いと思えたのでほっとしています。
再演に際してセリフが追加されたり削られたり、いろいろ改変されましたが、東京公演を観た時は正直初演の方が良かったと思いました。これは大千穐楽を経た今でも思っていますが、どこかを増やしたらどこかを減らさないといけなくて、結局戦いのシーンの余白が少なくなった気がしました。あと一呼吸置いてほしいところがたくさんあった。わんこそばみたいにぽんぽん進んじゃうから、むしろ初演観てない人意味わかる?って心配しました。ユリアが腹違いの妹だったなんて、という説明も必要かな?と疑問です。ただでさえ説明乙、なセリフ多いのに。ジュウザを演じやすくはなるのかもしれませんけど。
ただ、トキの核シェルター前でのソロは別です。初演時の「この命ある限り」は今死の灰を浴びて弱っているトキ自身のことなので、衰弱した身体と強い精神という正反対のものを表さないといけないわけですが、再演では「この地獄この絶望」となっており対象が目の前の情景なのでそもそも表現するものが違う。だから歌い方が小野田トキとは違って当然なんです。私は大好きなお二人を比べずに済んで一安心です。しかも、博多前楽で激アツ芝居を見せた遼生さんが大千穐楽でめちゃめちゃ繊細な歌い出しを繰り出したので、今は例え歌詞改変がなくても遼生さんなら大丈夫だったかもしれないって思い直しています。健康優良児小野田くんのトキは、カサンドラ後のケンシロウの「痩せたな」に全くもって真実味がありませんでしたが(笑)、小西トキは「だがまだ生きている」という返答に込めた力強さと脆さまで計算してるようで私はもうマスクの下でニコニコしちゃいますよ。大千穐楽というとみんな爆発する勢いでガツンガツン熱量を押し出してくることが多いんですが、遼生さんはむしろ前楽より熱をコントロールしていた気がしました。やっぱり計算ずくでお芝居する人なんだと感じましたし、そんな遼生さんが最初は引いた熱すぎるカンパニーに引きずられて、制御しきれてないようなお芝居をしたのかと思うと、してやったりです。だって板の上に立つ俳優さんを熱くさせるのは客席の役目でもあるんですからね。特にアタタミュでは。

遼生さんはワイヤーアクションが得意ですが、そもそも二人同時にフライングできなくてラオウが人力で浮いていたのはちょっと笑いました。すみません。北斗の拳は人間離れした技がポンポン出てきますが、俳優さんは人間ですからハイローみたいな喧嘩じゃない限りパンチは猫パンチと変わらないんですよ。ままごとなんです。北斗百裂拳はスクリーンに拳が映る上に正面から観るとまともにパンチを繰り出しているところは見えにくいけど、天翔百裂拳やラオウのパンチ連打はモロ腕を交互に動かしているのが見えちゃう。それは実際あんまりかっこよくないんです。いくら遼生さんのフライングが綺麗でも、燃えるのは「天翔百裂拳!」までです。しかも天翔百裂拳に関しては初演のライトの演出が劇画のようでとてもかっこよくてお気に入りだったので、今回観られなくて残念でした。

アタタミュは愛を描いた物語であることは間違いないはずです。愛の物語ときくと、愛を与える人あるいは与え合う人間同士の素晴らしさや尊さという方へ行きがちですよね。もちろんそれも描かれています。仲間家族恋人みんな出ている。でも、アタタミュを観て感じたのは、愛って受け取る側の問題なんじゃない?ということです。ラオウは愛を「持たない」のではなく「知らない」のです。愛を与えられたってそれが何か知らないなら意味がないし、そもそもラオウは「いらない」と言っている。でも持ってないわけじゃないからポロっと人に与えたりはする。無自覚だけど。愛を受け入れるのが怖かったのかもしれない。「いらない」と言わなければ「知って」しまうから。それだけラオウは北斗の長兄として北斗神拳伝承者になることに必死だったんだと思うんです。それが伝承者はラオウでもトキでもなく、ケンシロウに決まってしまった。失望が大きかったのは言うまでもないですが、愛を拒否し続けたラオウがその地を離れ一人で軍を率いていても愛は与えられないわけで。深まるばかりの孤独はますます情を拒絶していって、それが「ますます非情さを増している」に繋がるのではないか。
トキは唯一それを分かっていたけど、結局のところあのラオウは戦うことでしか感情に触れられないし、孤独を癒せない。もはやまともに兄と対話できるのは拳しかない。そこで刹活孔を突いて全てを目指した兄と約束を果たすために戦った。
「私には分かる〜」のところで小西トキに原作のトキの幻影が見えて、初演からそんなことなかったからびっくりしました。本当に遼生さんは原作物を自分のものにするのが上手い。愛を受け入れまいとして、むしろそうしないと生きられなかったラオウの闇が、トキの想いの光によって一層くっきり浮き彫りになったようで、大千穐楽では涙がいっぱい出ました。そこからあの短期間で「我が生涯に一片の悔い無し!!」と言い切れるまでになるということは、どんな考え方であれ常に自分が納得できるように努力し生きてきた証で、それがラオウがラオウである所以なんだろうな、と最後は背筋が伸びる思いでいつも見送ります。

中国メンバーも加わったことでより緊迫感のある舞台になっていてよかったです。東京公演を観た時は拳王軍の足並みが揃ってなくて大丈夫?怒られない?と心配しましたが(笑)、博多では完璧にかっこいい拳王様の誇り高き部下達でした。

あと歴代マミヤのがなる演技はどうなのかな、とずっと思っています。
強い女っぽさを出したいのかとは思うのですが、北斗の拳って徹底的に女は女なので、例え武器を手にした気丈な女でもせいぜい「気高い女戦士」ぐらいで、言葉がガサツでも声はむしろ凛として上品な方がいいのでは?と思っちゃうんですよね。レイとの関係はユダのエピソードがなくオリジナルになっているので丁寧に描ききれないのは仕方ないとしても、今回過呼吸表現が露骨になっていて、叫んだり喚いたり汚い声を出すといい芝居をしている風になる、悲劇のヒロインじみたマミヤをちょっと見ていられないなと実は感じていました。ミーシャちゃんはただ頑張ってお芝居してるだけなのでこれからも頑張ってほしいなと思いますけど、これは演出サイドの解釈と私の個人的な好みの不一致なので仕方がないです。
私としては、舞台で観るなら喚かれて過呼吸になられるより、虚ろな目でさめざめと泣かれた方が辛いなとは思います。

それから、忘れてませんよ彼方さん!
札幌のベトナムから博多の世紀末へ弾丸で駆けつけてくれた彼方さん。彼方さんのジュウザだと手拍子しやすいんですよね、なんでかな。やっぱり彼方さんが舞台にいると安心します。アドリブと挨拶はハラハラしますけど。(案の定カテコ挨拶はだいぶしゃべった。通常運転だった)
プログラムの座談会ではジュウザというか伊礼彼方本人だよね的なことを言われていましたが、実際は似合うというだけです。まぁ本人も満更でもない感じだしああいう軽薄な役も楽しそうに演じておいでですけども(笑)彼方さんご自身はきっちり線引きするタイプだと思うので、おさわりはしません!たぶん!

長くなってしまってそろそろ疲れました……。
最後に。
アタタミュ再演が決定して、飛び跳ねるぐらい嬉しかったです。初演CDが出ると聞いた時は眠れないほどドキドキしました。こうしてまたこんなに熱く語ってしまうほど感情移入できる舞台を拝見することができて、本当に本当に幸せです。
私はアタタミュのファンであり、北斗の拳のファンであり、歴代キャストさんのファンであり、カンパニーの皆さんのファンです。また世紀末でお会いできたらとってもとっても嬉しいです!

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