見出し画像

甘い響きに誘われて

「ハチミツ」

なんて甘い響きなんだろう。
ただの砂糖のように純度100%の甘いだけじゃない。
私たちを癒やしてくれるかのように優しい匂い、見る者を笑顔にしてくれる黄金色。
「ハチミツ」という言葉には、温かい感情がいろいろ入ったそんな甘さをもっていると思う。

とはいえ、ハチミツはものによってはけっこう値段が張る印象がある。
そんなにしょっちゅう味わった経験もない。

だから私は、文字だけ見ても(おっ、珍しい)と立ち止まって手に取ってしまうのだ。


そんな理由から買ってみたのが、寺地はるなさん作・「今日のハチミツ、あしたの私」(ハルキ文庫)。

「サイン本!」の文字に引き寄せられ、「ハチミツ」という言葉で(買おう)と決めた。
またご覧になっていただきたいのだが、黄色を基調とした表紙には、たっぷりのハチミツとバターがかかった分厚いホットケーキが描かれている。
この表紙を見るだけで、思わずよだれが出てくるんじゃないかとすら思ってしまう(汚い話ですみません)。

そんな感じで、わくわくしながらこの本を読み始めた。
ちなみに、寺地はるなさんの本を読むのは初めてだった。


とはいえ、最初は(あ、合わない)と感じた。
理想を夢見てるだけで現実の苦労から逃げ続ける「安西」と、
そんな彼に不満を抱きつつも自分の中に収め、めんどくさくない女に振る舞おうとする「碧」。
こういう、相手への不満をいったん自己完結して閉じ込めたくせにいざとなったら相手のせいにしてしまう、そんなカップルに、私はすぐモヤモヤしてしまう。

しかも、安西のせいで碧は仕事も辞め、安西の故郷について行かねばならなくなってしまう。

その時点で、私の安西への評価はだだ下がり。
ついでに碧に対しても、(なんで黙ってついて行ってんの?)と負の感情を抱いてしまった。
物わかりのいい女になろうとして男の甘えに流されてしまう、そんな女性にもイライラしてしまうのだ。


(私って心狭いんです……)


この時点で私は、碧は成り行き任せで理不尽なことを言われても抵抗しない、そんな人間だと思っていた。
そして、「そんなこんなで彼に振り回されましたが、最終的に彼やその家族に温かく受け入れられることになり、幸せに暮らしました、おしまい」みたいな話だったらもう二度と読まないだろうな、と思いながらなんとかページを繰っていった。


しかし、物語はここからだった。

安西の父の一言(理不尽な命令?)がきっかけで、碧がとある蜂蜜園に出向く。
蜂蜜園の経営者、黒江の第一印象はすごぶる悪い。
借りた金は返さない、酒の匂いはぷんぷんさせて、訪れた碧には「二度と来るな」。

しかし、ここが彼女のすごいところだ。
そんな失礼なことを言われてもすぐに拒否はしない。
他人にかけられた不快な言葉におののいて逃げ出すのではなく、その人はどういう人間なのかということを客観的に知ろうとしたのだ。

「勤労意欲が低下している」と、周りだけでなく自らもそう評する黒江は、蜜蜂の話になると誇らしげになる。
そのことを見抜いた碧は、なんと黒江の仕事の手伝いをさせてほしいと頼み込む。


話はそれだけでは終わらない。
見知らぬ土地で、碧はさまざまな人と出会う。
その一つ一つの出会いを、彼女はただ会話してそれきりにするのではなく、その人の抱えているものを少しでも理解しようとするのだ。

経営者がしぶしぶ受け入れてくれた蜜蜂園の仕事に、黒江の家族のもつれ、そして偶然飛び込んだスナックのママの夢の手伝い。
初めての土地で、碧はどんどん自分の居場所を広げていく。

結末は、人によっては(え、これで終わり?)と物足りなく感じる人もいるかもしれない。
けれどもその「これからも続いていく感じ」が、この作品にはいいなあと感じた。


碧は、周囲の身勝手な言い分にむかついたからといって、それを表に出すことはほとんどない。
でもそれは、言い返せず黙り込んで周囲を甘やかしているわけではないのだろう。
彼女はきっと、その理不尽さに言い返すのを諦めて当人に怒るのではなく、ひとまずその環境を前に進めようと努力できる人なのだと思う。

今の世の中では、「私のいたい場所はここではない。理不尽な言い分には反論すべきだ」といった、徹底的に戦う姿勢が評価される。
それも大切なことだ。
戦わなければその主張がおかしいことに気づかず、そんなもんだと飲み込んでしまう人はきっと大勢いる。

けれど、ただ反発するのではなく、
なぜそんなことを言うのか。そういう彼、彼女は、いったいどんな道を歩んでここまで来たのか。
距離を取っていったんそのことを考えてみる、そんな「受け入れる強さ」もまた、今の時代には必要なことではないだろうか。

自分の居場所があらかじめ用意されてる人なんていないから。
いるように見えたとしたら、それはきっとその人が自分の居場所を手に入れた経緯なり何なりを、見てないだけ。(P.162)

居場所がない、と訴えるだけで誰かから「じゃああげますよ~」ともらえるはずがない。
世の中そう甘くない。

じゃあどうやって居場所を見つけるのか。
賢い人は、いろいろ見て回ったり調べたりして、自分の強みを生かせるところを見つけていくのだろう。
強い人は、世の中の常識に抵抗しながら陣地を押し広げていくのかもしれない。

だけど、上の台詞を言った碧のように、もともとないところから人とのつながりを通して少しずつ丁寧に開いていく。
そんな風に、地味ながらも地道な生き方もまた、大切だと思う。
私はそうやって生きて行けたら、と思うのだ。


幼い頃、いじめで苦しむ碧を救い、蜂蜜に出会わせてくれた言葉がこれだ。

蜂蜜をもう一匙足せば、たぶんあなたの明日は今日より良くなる。

うまくいかない、と目の前の道が狭く暗く見えた時は、この言葉を思いだそう。

きっと明日はよくなることを信じて。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,766件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?