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【映画感想文】「悪は存在しない」のか?

先日、面白そうな邦画の広告がインスタグラムに表示され、ちょっと調べてみると、なんとミニシアターでしか公開されていないとのこと。

「悪は存在しない」Evil Does Not Exist

アメリカ版の映画ポスター(IMDbより)

そのステートメントなタイトルと、
搾取的な都会のビジネスマンと、自然と調和を保とうする住民の対立が垣間見えるトレイラーに心惹かれ、観に行ってきました。

以下はその感想です。(ネタバレ含みます)


一言あらすじ

「長野県水挽町、自然と豊かな水源と共生する巧と娘の花が、グランピング施設を建てようという芸能事務所の計画をきっかけに、共生の均衡が崩れていく物語」

お話の物語としては、割とシンプル。
自然への畏れや神秘さを表現した詩的な映像や音楽、人間同士のリアルな会話や脚本(演技に関してはちょっと疑問でしたが)、そして何より議論をわき起こすエンディングが魅力的な作品でした。

圧巻の音楽と映像

まず、この映画で本当に圧巻だったのが、音楽です。音楽を担当したのが、石橋英子さん。

音楽、特に映画音楽に関してはもっぱら詳しくないのですが、この「Smoke」という曲が良いです。テンポが不穏でスリリングなのだけれども、崇高で美しく、気分が高揚してきます。

他にも作中に使用された音楽があるのですが、まだストリーミング等で配信されてるのはこの一曲のみなので、作中に使われた音楽が配信されるのが本当に楽しみです。

そして、音楽と映像のバランスも見どころです。
自然をテーマにしたこの映画は、長野県水挽町(実在しない町)を舞台に長野県の美しい自然も丁寧に描写されているのですが、作中の音楽を聴いていると、その音楽性に若干吸い寄せられていく感じがあります。というのも、音楽性に観客として観ながら、音楽とその自然の美しさに圧巻されるので、思わずぼうっとさせられ、物語への注目が若干薄れるような気がします。

そんな音楽に引き寄せられたと思ったら、
プツリ
と突然音楽が途切れるんですよね。鑑賞するとわかると思うんですが、この途切れ方が結構急で驚くとともに何かハッさせられる瞬間があるんですよね。あと、不穏な気持ちにも、なる。

少しだけ、濱口竜介監督のこの映画に関してのインタビューを聴いていたのですが、インタビュアーが音楽について質問したとき以下のように答えていました。

「今言ったように、彼女(石橋英子)が作ってくれた音楽は本当に素晴らしいものだと思ってます。感情的にも観客を高めてくれるものだと思ったんですけど、ただ自分自身がその音楽によって観客の感情を高めるていうことに肯定的ではないていうのがあって、じゃあどう使い方をしたらいいか。彼女の音楽の美しさは最大限生かしつつ、でもその音楽とべったり依存しないような、そういう映像と音楽の関係を作りたいって思ったときに、こういうふうにぶっつり切る、というやり方をすれば、ある種彼女の音楽の美しさは保ったまま音楽と映像の距離が生まれるとは思いました。結果的に、ぶつっと切ることによってそれまで高まっていた観客の聴覚みたいなものが、劇中の自然の音にも向かうんじゃないかと思ってこういう音作りにしています。」

Film at Lincoln Center Podcast "#488 Ryusuke Hamaguchi on Evil Does Not Exist" (2023年10月)

映画を鑑賞した身としては、濱口竜介監督の狙い通りな音楽と映像の関係性に仕上がったように思います。

美味しいうどんは水がきれいだから

この映画を見て、食べたくなったのが、うどん。
そして、この映画で大事なテーマは水と水源です。

グランピング施設建設の担当者の高橋と黛が集落へ住民説明会をしにやってきますが、その計画はなんともずさん。

この集落の住民も、いうならばもともとは移住者。道理の通った計画ならば反対もしないのですが、あまりにもいい加減な計画を目の当たりにし、筋を通してほしいと懇願します。

その中でも、東京から水挽町の水に魅せられ移住し、うどん屋を営む女性は、この町にとっての水と水源の重要性を説きます。グランピング施設を早急に建設しようとするずさんな計画による汚染が懸念されたからです。

そして、区長が言います。
「水は上から下に流れる。上流でやったことは、必ず下流に影響する」

この物語のテーマの本質を突いた一言のようだと思います。
行動は、なにかしらの結果をもたらす、それが良いことであろうとも悪いことであろうとも。そしてだからこそ、上流で行動を起こした人間は責任を取らなければならない。

ずさんな計画を実行すれば、それは村の住民へなにかしらの不便を起こしたり、また町の自然や水源を汚染することは避けられないでしょう。

そんな本質に気が付かないまま、グランピングの計画をプレゼンする高橋だからこそ、水挽町の水を使ったうどんを食べても、「体が温まりました!」という素直ではあるものの無神経なコメントを残し、「それ、うどんの味と関係ないでしょ」とうどん屋の旦那に突っ込まれてしまいます。

主人公の巧が東京の芸能事務所で働く高橋と黛を連れ、うどんを食べるシーン

余談ですが、水について考えていると、日本人と水は縁が深いように思います。外国人が思う日本の代表的なアートといえば、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」ですし。

外国人が思う日本の絵画#1

あ、あと方丈記はこんな冒頭で始まるそう。(たぶん高校でやったのだろうですけど、覚えてない。汗)

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

方丈記

なんだかこの映画に帰結する部分があるように感じます。

半矢の鹿、追い詰められた巧

この映画のみどごろは衝撃のラスト。私はあのラストに、映画鑑賞後の30分ぐらい呆然としました。

みなさんはどう解釈しましたか?

私は少し解釈に困りましたが、追い詰めれらた巧は半矢の鹿なのだと解釈しました。巧は少し浮世離れした雰囲気があります。それは、おそらく妻と死別し、まだその悲しい経験を消化しきれておらず、現実の世界からすこし離れてしまったいるからだと予想します。

すでに悲しみに暮れ、絶望の端のいる巧は、死にかけ、もしくはもう息絶えた花を見て、彼の心はさらに追い詰めれられたのでしょう。藁にもすがるような思いになり、高橋の首を絞めた。

それは、理性がどうこうという話ではなく、
直感的に、目の前にいた高橋が、自分を追い詰める弾丸に見え、
思わず首を絞めにかかったのではないのかなぁ。

そう解釈しました。

善悪の存在しない自然界と共生する

日本は世界的に見ても、自然災害が多い国だと思います。
地震をはじめ、津波、台風、火山噴火など。

そういった自然災害を目にするたび、その被害を目にするたびに、自然は非情と思います。

それに対し、人間はとてつもなく有情的で。非情な自然にも、「美しい」「綺麗」「悍ましい」「怖い」様々な感情や意識を持っていると思います。

「悪は存在しない」
すごいタイトルだなぁと思い、鑑賞しましたが、きっとこれは「(自然界には)悪は存在しない」という意味なんだと解釈しました。

最後に、
みなさんはこの映画、どう解釈し、どう感じ取りましたか?ぜひ教えていただけると嬉しいです。

それでは!



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