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【11ページ分試し読み!】韓国の新鋭No.1ホラー作家がいざなう世界へようこそ。『カクテル、ラブ、ゾンビ』


 韓国で2年連続年間ベストセラーとなり、10万部を突破した話題のホラー短編集『カクテル、ラブ、ゾンビ』がついに日本上陸し、9/4に発売しました!
 表題作「カクテル、ラブ、ゾンビ」から、ドラマ化された衝撃のデビュー作「オーバーラップナイフ、ナイフ」まで圧巻の4篇を収録しています。

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韓国発「世にも奇妙な物語」

 我々がこの本を強くおすすめするのは、本書がただ刺激や恐怖感だけに満ちた作品ではなく、ガスライティング、環境破壊、家父長制、暴力といった、切実な社会問題を含んでいるから。
 4篇の物語はそれぞれ、長い間見過ごしてきた心のなかの深く暗いところにある感情なかでも女性が覚える感情を丁寧に掬い取ってくれます

 感情のなかには、自分自身で感じとるのではなく、誰かによって引き出され、ありありと表現されて初めてその存在を認められるものもあります。
 だからこそ、この「丁寧に掬い取る」という態度が、本書全体のトーンをつくり上げ、小説だから可能な共感を生み出すのです。

 残酷なシーンほど感じられるのは、不思議なことに優しさと温もり
 わたしたちが受ける苦痛は当たり前ではない。わたしたちはもっと怒ってもいいのです。 韓国発「世にも奇妙な物語」ともいえる読後感は、この作品でしか味わえません。

 著者のチョ・イェウンさんは、韓国でも注目が集まる気鋭の新進作家。
 著作が日本語訳されるのは本書が初めてです!

「日本語版への序文」のなかで以下のように語るとおり、日本のコンテンツにも学生時代から深く慣れ親しんできた彼女。
 作品作りに対して、「自分もまた物語と恋に落ちた人間として、誰かが恋に落ちてくれそうな物語を書きたいといつも思っています」と話します。

 学生時代、数学の宿題をするのが嫌でネットサーフィンをしていたとき、『ロング・ラブレター~漂流教室~』という日本のドラマを知りました。西洋が背景になった作品以外で、おそらく初めて観たSFファンタジーものだったはずです。仮想の世界を背景にしながら現実の問題を語る、立体的かつ魅力的なキャラクターに出会えたありがたい作品でもあります。それ以来、世界中のさまざまなコンテンツを吸収しながら育ちましたが、あれほど熱を上げた作品はいくつもありません。

 日本の作家では、宮部みゆきさんと恩田陸さんの作品を愛読していました。少し前までは村田沙耶香さんの小説と前川知大さんの戯曲にはまっていましたし、伊藤潤二さん、岡崎京子さん、藤本タツキさんの漫画も大好きです(ほかにもたくさんありますが、全部挙げるのはちょっと大変ですね)。

本記事では、収録作4篇のうち、広報イチオシの著者デビュー作「オーバーラップナイフ、ナイフ」冒頭11ページ分を試し読み公開いたします。

 文章のなかに散りばめられた無数のかすかな違和感が、クライマックスが近づくにつれて圧倒的なスピード感でひとつに収束していく、快感とも恐怖ともいえないようなゾクゾク感がたまらない一作です。
 チョ・イェウン作家の圧巻の世界、そして翻訳者カン・バンファさんの秀逸な日本語訳をぜひお楽しみください。

(「オーバーラップナイフ、ナイフ」は4篇のうち最後に収録されています。最初に収録されている「インビテーション」の書き出しが衝撃的でこれもぜひ読んでほしいのですが、あまりのインパクトなので、ぜひ実際の書籍にて…!)

【試し読み】オーバーラップナイフ、ナイフ

 これはありきたりな、どこにでもある話だ。
 映画で、本で、ドラマで、ニュースで、声に重みのある芸能人が司会を務める社会告発プログラムで、犯罪ドキュメンタリーで、日常の至るところで、生きていれば誰しも一度くらいは見かけたことがあるだろう、陳腐だけれど刺激的で、心痛いけれどできれば見なかったことにしたい、そんな話。
 父が母を殺した。わたしの手からビニール袋が落ちた。父は夢のなかにいるような表情をしていた。右手に赤い血の滴る果物ナイフを、左手に緑色の酒瓶を持って。その見飽きた色の酒瓶は、彼の手に握られていて然りだった。わたしが記憶する限り、彼は片時もそれを手放さなかった。子どものころは、その緑色の瓶を父の手の一部だと思っていたくらいだ。だから、それはしごく当然の光景だった。でも、果物ナイフは、血の付いた果物ナイフはそこにあるべきじゃなかった。父のどろりとした目がゆっくりとこちらを向いた。
「遅かったな。こっちに来てリンゴを剝け。はぁあ、リンゴもろくに剝けやしねえんだから」
 父が果物ナイフを差し出した。床に、剝きかけの不格好なリンゴが転がっていた。わたしは差し出されたナイフを受け取った。それでリンゴ以外の、別のものを処理できそうだった。
 振り向いて、横たわっている母を見た。母の体は不自然にねじれていた。首は半ばちぎれ、周囲に赤黒い血だまりができている。これまでにも、彼女の体がねじれていたことが何度かあった。何度か? いや、数えきれないほど。この目で確認していない場合も合わせればそうなるだろう。彼女の体をねじれさせたのは、十中八九、父だった。残りの一か二は、彼女みずから。
 本音を言えば、いつこうなるともしれないとわかっていた。父はいつ母を殺すともしれず、わたしもいつ父を殺すともしれなかった。いつだって、最後の最後で踏みきれなかっただけだ。ところが父が、果物ナイフで、母を殺した果物ナイフで最後の理性を断ち切ってしまった。
 だからわたしも父の首を切った。でも、こんなの公平じゃない。これまでの暴力を考えれば、公平だとはとうてい言えなかった。とはいえ、人生とはもとより不公平なものだ。わたしは母と同様に首を搔き切られ、彼女のそばにどさりと倒れる父を見つめた。今日になって、すべてがいちどきに起こった。今や、わたしの握る果物ナイフには父の血と母の血が混じり合っている。家族だから。そう、家族だから、そこにわたしの血が加われば、わたしたちは果物ナイフのなかで再び一緒になるだろう。でも、そんなのはごめんだ。死んでまで血が混じるなんてまっぴらだった。だから新しいナイフを取り出した。果物ナイフよりも大きな、出刃包丁。果物ナイフよりもうまく、一度で切り裂けるはずだ。ふと、母を父と同じ果物ナイフに閉じこめてしまったことが申し訳なく思われた。母は死んでからも、自分を刺した凶器のなかで父とともにいる。別のナイフを使うべきだったのに。そんな後悔が押し寄せた。お母さん、ごめんなさい。
 
 床に落ちたビニール袋を拾い上げた。中身は、母が食べたがっていたお鮨だ。彼女の好物だったサーモンとエビのお鮨を、体のねじれた彼女の前に置く。さいわい、その目は閉じている。もしも開いていたなら、わたしはその目と向き合えなかっただろう。彼女があまり好まなかったタコのお鮨を自分の口に入れた。どうしてこれを嫌っていたのか理解できないほどおいしかった。お鮨を嚙みながら思った。
 
 もう少し早く帰っていたら、違っていただろうか?
 お鮨を買いに行っていなかったら?
 前日にリンゴをすべて食べてしまっていたら、なにか違っていた?
 家中のナイフを捨てていたら?
 母は死なず、わたしが父を殺すこともなかった?
 
 じっくり考えた結果、状況は変わらなかったはずだと結論づけた。父はリンゴでなくても、いつかなにかしらの理由をつけて母を刺していただろう。わたしもまた、今日でなくても、いつか父を殺していただろう。動機やタイミングの問題ではなかった。これは起こるべくして起こったことなのだ。ただ、それが今日だっただけ。歯ごたえのあるタコのお鮨を嚙み砕いて飲みこむと、あらゆる未練が消えた。そしてわたしは、晴れやかな気持ちで自分の首に包丁を突き刺した。

 薄れていく意識のなかで、どうしようもない思いがむくりと頭をもたげた。
 
 それでも、なにかが少しでも違っていたら誰かは、あわよくば母は死なずにすんだのでは?

 これはどこにでもある話だ。
 
 上京して大学の近くでひとり暮らしをする女子大生が犯罪のターゲットになるのは、どこにでもあるというより、もはや常識なのかもしれない。どんな犯罪者であれ、実家から通学するたくましい青年を狙うことはない。
 
 わたしはもう何カ月もストーキングされていた。
 
 ストーカーがわたしの命を脅かすことはない。でも、相手はつねにわたしを見張り、わたしはその視線を感じていた。学校からの帰り道、アルバイトに向かうとき、友だちと遊びに行くときなど、あらゆる瞬間に。
 帰りが遅くなったとき、わたしの歩みに合わせる足音が聞こえた。わたしが速足になると、ひと呼吸遅れてその足音も速くなり、わたしが速度をゆるめると、ひと呼吸遅れて同じように速度を落とした。そうして怖くなったわたしが駆け出すと、足音は不思議にもぴたりとやんだ。遠くなっていく背後から、ストーカーの声が聞こえた。それは泣き声のようでもあり、笑い声のようでもあった。ケタケタと笑っているようでも、グスグスとむせび泣いているようでもあった。あるいは、その両方なのかも。きっとあれは、精神科病院を抜け出した異常者に違いない。
 ストーカーはときどき、わたしの部屋にも入りこんだ。最初は気づけなかったけれど、徐々に見抜けるようになった。外出から戻ると、部屋の様子がどこか変わっていた。寝具のしわの入り方だとか、洗い物をした覚えもないのに洗い物が終わっているとか、手帳をしまっていたのは二段目の引き出しなのに、三段目の引き出しに入っているとか。そんなささいな変化だった。でも、物がなくなることは決してない。ストーカーがなにより欲しがるという下着でさえも。
 実家の両親には言えなかった。勉強などやめて帰ってこいと言うに決まっていたから。わたしの話を聞いた知人たちは、至って自然な態度で、思い違いだろうと言った。それから、あなたは神経質なところがあるからと言い切った。相手はきっと偶然後ろを歩いていただけで、あなたが突然駆け出したことでさぞかし驚いただろうと。
 警察署にも行ってみた。でも、直接の被害がない状態ではなにもできないと言われた。人々から、神経過敏のヒステリー女に見られている気がした。
 ちなみに、それも間違いではない。当時のわたしはたしかに、神経過敏でヒステリーになっていた。でも、それもこれもすべてはあのストーカーのせい。
 そもそも、わたしは人の言葉を真に受けやすいタイプだった。生きていくうえで好都合な性格ではないだろう。周りから自分のせいだと言われれば、「やっぱりわたしが神経質すぎるのかな」と思ってしまう。内心では、他人事だからと軽く受け止める人たちの髪を引きむしってやりたい思いだったが、そうする勇気はなかった。言いたいことも言えないまま、ストレスだけが積もり積もっていった。夜道を歩くときはいつだって、正体の知れない足音と視線に怯えていた。そんなことがあった翌日も、わたしの話を信じてくれる人はいなかった。彼らの無関心もまた、もうひとつの恐怖だった。
 
 この状況を打破するために努力しなかったわけではない。途中であきらめただけだ。
ストーカーから逃れようと引っ越しをくり返したが、無駄だった。ストーカーは必ずわたしの居場所をつきとめた。そして、あの静かなストーキングが続いた。なかには、悪さをするわけでもないのだから気にする必要もないじゃないかと言う人もいた。
 頭がおかしくなりそうだった。ストーカーは「まだ」悪さをしていないだけで、その気になればいつだって実行できるのだ。わたしは、始終感じる視線、それとない脅威、そして、今やわたしを精神病患者とみなしてくる他人との狭間で、なにが真実なのかわからなくなった。正しいのは自分で間違っているのは彼ら、いや、正しいのは彼らで間違っているのは自分? ストーカーは実在する、いや、すべてはわたしの被害妄想? なにがなんだかさっぱりだった。疲れていた。両親にすべてを打ち明け、田舎へ帰ることも考えた。そうしないで耐えられたのは、「彼」に出会ったからだ。
 もしも彼に出会うことなく田舎へ帰っていたなら、すべては違っていただろうか?

 出刃包丁がわたしの喉を貫いた。血が噴き出し、意識が霞む。目の前に、話に聞いていただけの走馬灯らしきものが見えた。今見ているのは忘れていた過去だろうか、それとも来世はこうあってほしいという姿だろうか。どちらにせよ、わたしはそこで幸せな子ども時代を送っていた。家はそれなりに裕福で、父の手に酒瓶はない。母はよちよち歩きをするわたしに、愛おしそうに拍手を送っている。つかの間の幸福な時代が瞬く間に過ぎ去り、そこからは忘れもしない地獄が続いた。
 
 発端は、父の会社がつぶれたことだった。父は酒を飲みはじめ、ほどなくアルコールに依存するようになった。母は仕事を再開した。幼いわたしは言うことを聞かなかった。家にお金があることよりないことのほうが多かった。そのころから父は、酒代がないと母を殴るようになった。いつからかわたしも一緒に殴られた。すると母は父に歯向かった。そのまま家から追い出されることもあった。
 追い出された母は、わたしの手を取って近所を散歩した。わたしの口に飴玉をひとつ含ませて、肌寒い路地を歩きながらいろんな話をしてくれた。たいていは、幸せだったころの話。父とどこで出会い、どんな交際をし、どうやってわたしが生まれたかについて。そんなときの母は、過去に浸って永遠に戻らないのではないかと思われた。わたしは怖くなって、あえて母を現実に引き戻す質問をした。
「でも、今のお父さんは違うよね?」
 すると母は、「少しの辛抱よ」と答えるのだった。決して少しの辛抱では終わらないことは、彼女自身がよく知っていたはずだ。
 母が「少しの辛抱よ」と言うことはしだいに減っていった。めったに家にいなかった父は、わたしが学校にいる時間を狙って帰っては、母をいびった。高校生になったわたしの背丈は、父とほとんど変わらなかったからだ。父の行動はどんどん浅ましいものになっていった。
 母の「少しの辛抱よ」は、とうとう「これも運命ね」に変わった。母の顔から表情が失われ、言葉数も少なくなった。最たる変化は、わたしを無視するようになったことだ。いつからか母は、わたしに話しかけることも、わたしと向き合うこともなくなった。父への憎しみがわたしに飛び火したのかもしれない。父が、母から表情を奪い、わたしから目を背けさせた。父への憎しみは深まる一方だった。
 ふと、母はこうなることを知っていたのではないか、そんなことを思った。わたしたちはこうなる運命だったのだ。父が母を殺し、わたしが父を殺し、わたしがわたしを殺す運命。ある種の解放感さえ覚えた。このうんざりする人生がようやく終わるのだと。でも、ひとつだけ心残りがあるとすれば、それはお鮨だった。母は今日、あれほど避けていたわたしに、お鮨が食べたいと言った。わたしはバネのように跳ね起きて家を出ると、迷った末に握り鮨の盛り合わせを買った。持ち帰ったそのお鮨を食べさせてあげられなかったこと、それだけが心残りだった。
 笑顔でお鮨を食べる母を見られなかったこと。それだけ。
 途絶えた意識のなかで、誰かの声が聞こえた。
「時間を戻してほしいか?」

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