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雑記 #3 サカナクションの中でもっとも好きな13曲

はじめに

私はサカナクションというバンドが好きである。そのボーカルの山口一郎は俳人の種田山頭火のことを好きだと公言しており、私が自由律俳句を詠むきっかけをくれた人でもある。そこで、本書では山口一郎に感謝の意を評しつつ、サカナクションの中で好きな曲をいくつか挙げてみようと思う。

あと、注意点をいくつか。私は音楽を詩として見る(聴く)ことが多いため、それについての記述が中心になるだろう。
また、音楽についてはまったく詳しくないためトンチンカンなことを書いてしまうかもしれないが、そこは大目に見てほしい。
そして、曲の発表順で書いていくことにした。理由は「1番を決められないから」である。13曲すべて好きだし、なんならこの13曲以外の曲すべても好きだ。
それでは、一曲ずつ見ていく。

開花

サカナクションといえばロック×テクノみたいな印象が強い気がするが、初期の頃は割と簡素なロックといった感じである。この曲は1枚目のアルバム「GO TO THE FUTURE」に収録されており、類に漏れず物静かで落ち着いた曲だ。
そして、このフレーズがなによりよい。

千年先の木々に 僕が生まれ変わりたいのは
知らなくて良い事知らずに ただゆっくり生きていたいんだ

生きていると後悔やしんどいこともあり、いっそ死んでしまいたいと思うことは多々ある。だからといって生きることを手放すのではなく、木々になることで人として在ることのわずらわしさから離れ、自分のペースでゆっくりと生きていきたいといった思いを感じ取れる一曲である。
私自身、まわりとの差や孤独感は強く感じていて、それでも社会でやっていくためにはしかたのないことなのだと割り切ってはいる。しかし、なれるものなら木々になってゆっくり生きてみたい...。

ティーンエイジ

この曲は2枚目のアルバム「NIGHT FISHING」に収録されている。タイトルのとおり10代のことを歌っている曲のはずだが、20代の私にもぐさりと刺さる。というよりも、10代の私に刺さり、歳をとった今でも刺さり続けているというほうが正しいかもしれない。
何が子どもで何が大人なのか、10代はどう特別なのかと問われても私はうまく答えられないが、かわりにこの曲を聞けばだいたいわかるはずだと勧めることのできる一曲である。
また、うしろ2分間ほどは歌詞がなく、ひたすら楽器の音が鳴っているだけとなっている。10代ならではの鬱屈さを表しているらしい。どうやったらそんなこと思いつくのか...。
これ以上つらつらと説明するのも野暮なので、歌詞だけ貼って終わりにする。

いきり立ってる 君の目の前で
石を蹴って 青くうつむいて
時が経って すぐに大人になって
さらけ出せなくなって もう戻れなくなって

だけどまた振り返って 何かを確かめて
苦しむフリをして 誰かに背を向けて
読み飽きた本を読んで また言葉に埋もれ
旅に出たくなって 君を思い出して

そうやって僕らは 繰り返して行く
渦巻く未来が 呼ぶ声がする

ライトダンス

3枚目のアルバム「シンシロ」に収録されている曲である。この曲はなんといってもイントロのギターがかっこいい。そして、そのかっこよさとは対比的に迷いの感じられる歌詞である。

花曇り 夢の街 でも明日が見えなくて
人の波 まるで海 でも明日が見えなくて

華やかな世界に足を踏み入れてみたが、それでも明日は見えない。より現実感のある人混みにまぎれてみたが、それでも明日は見えない。だけど踊る。いや、だからこそ踊るというべきか。
また、リミックスである「ライトダンス - YSST Remix 2011」も最高にかっこいいのでおすすめである。

黄色い車

こちらも同じく「シンシロ」に収録されている一曲。何かが飛び抜けて心に残っているわけではないが、イントロのベース、歌詞、サビのリズムの良さ、間奏のギターのかっこよさなどの多くの要素で好きだと感じた一曲である。

君の季節が 夢のごとく 夢のごとく 色づく頃
僕はどこかで つらつら揺れる つらつら揺れているでしょう

「君」は「君」で立派に成長して色づいている。それに対して、僕はそれに見向きもせずにつらつら揺れている。前述した「開花」と同じように、マイペースに自分らしく生きることを意識させてくれる一曲だ。

human

これも「シンシロ」の曲。3曲も選出してしまった。私シンシロ好きだな。
この曲は、タイトルの通り人間について歌っている曲である。「人間について歌う」なんて書くとものすごく壮大な気がするが、その壮大さをロックに乗せて表現できるサカナクションはすごい。
また、この曲ではふいにピアノの音が鳴り出すのだが、そこもたまらなく好きである。風が吹き出したことを表現しているか、あるいは心が揺れていることを表現しているのか。

開いた手の平の中身 君に見せるから
疲れたこの夜の中で 慰め合えたら
押された心の裏から背中押す 確かに

今まで言わないでいたことを思い切って君に言ってみる。その上で、君も同じように僕に対して何か言ってくれる。そうすると、心のなかで何か変化が起こり、それが形となって表出する。人生の本質はここにあると感じさせてくれる一曲だ。

アルクアラウンド

ようやく万人に知られるメジャー曲の登場なので、嬉々としてPVを貼ってみる。こちらは2枚目のシングルである。
この曲は、散歩をしながら聴くと最高だ。PVのまねをして、ちょっと小走りになってみたり、また速度を弱めてみたりするとなお良い。いつもの散歩に箔がつくことうけあいだ。
また、非常に聴きやすいため「サカナクション聴いてみたいんだけどどれから聴けばいい?」と言われたら私はこの曲を真っ先におすすめするだろう。
そして、歌詞も前向きだ。

何が不安で何が足りないのかが解らぬまま

足りないものが何なのかわからないということはよくあるが、何が不安なのかもわからない状態らしい。それでもなお、歩き続ける。私も先が見えないと感じることはあるが、歩くことはやめないようにしたいものだ。

シーラカンスと僕

4枚目のアルバム「kikUUiki」に収録されている。
生きた化石として太古の昔から在り続けたシーラカンスと、対して数十年しか生きていないちっぽけな僕について歌った曲である。
曲の中ではぼこぼこと泡のはじけるような音も聞こえてきて「僕」が青さを抱えたまま深海をさまよっている様子が頭に浮かんでくる。

曖昧な若さを 無理に丸め ゴミだとした
どうか僕が僕のままあり続けられますように

今の「僕」の構成要素の中で最も多くを表面上占めているであろう「若さ」を捨てて何が残るのか。若さが曖昧なものではなく、完全についえてしまったとき、果たして僕は僕であるということができるだろうかという悩み。
おそらく、如何様に変化したとしてもそれは紛れもない僕で、恥じることはないのだと信じていたい。

years

5枚目のシングル「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」のカップリング曲だ。この曲に限らず、シングルのカップリング曲には玄人好みの味わい深い曲が多く、かなりおすすめ。
また、この曲は拍子が特徴的だ。サビ以外は5拍子で、サビは6拍子(おそらく)となっている。私は気づくまでに時間がかかったが、気づいたらリズムをとるのが楽しくなる曲だ。
また、この曲は「布」となった「僕ら」が「泥」や「ハサミ」にたとえられた「時代」に立ち向かうさまが描かれている。

years years この先に待ち受けてる時代の泥が
years years 僕らを染めてしまうかはわからないけど
変わらないことひとつはあるはずさ

布が泥で汚れても洗えば落とすことができるし、ハサミによって切断されてもまた縫い合わせればいい。完全に元通りになるかはわからないけれど。そして、これを繰り返す中で変わらないことが見えてきて、それが自分らしさなのだと教えてくれている気がする。

僕と花

6枚目のシングル。3〜5枚目のアルバムにかけてテクノ感が増してきたところだったが、この曲はわりとさっぱりしている。そして、さっぱりした曲調からイントロなしで始まる歌詞がとても衝撃的だ。

僕の目ひとつあげましょう だからあなたの目をください

まず聴いてみると「え?」となる。「目をくれって、それって人間の所業か?」と。いやいや「僕と花」というタイトルなのだから「目」じゃなくて「芽」だろうと思って歌詞を調べてみると、紛れもなく「目」であり、愕然。こんな歌詞を書くようになってしまったのかと思ってしまうが、どうやらこれは「視点」のことをいっているらしい。「僕の視点をあげるから、かわりにあなたの視点もほしいです」ということらしい。それなら納得だ。
また、さっぱりとしたメロディから重厚な歌詞がぶつかってくる、そんなアンバランスだがある意味バランスの取れている曲を作れるサカナクションはすごいとしみじみ思うばかりだ。

ネプトゥーヌス

先ほど紹介した「僕と花」のカップリング曲。「アルクアラウンド」は散歩をするときに聴くといいと書いたが、この曲は布団に横になって何か考えごとをしているとき、うとうとしているときに聴くと最高だ。
とにかく優しい曲調で、包み込まれるかのような感覚を与えてくれる一曲となっている。

痛いのは まだまだ慣れてないからかな
僕は 砂 深く深く埋もれてしまったんだ

何か不慣れなことをしたせいか、心身ともに疲弊してしまう。そんなときは、布団という「砂」の深く深くに埋もれて思考し、眠るのだ。そして、部屋は「海」だ。海を泳いで何かを得て、疲れたら砂に戻って埋もれる。これで十分なのだが、外から光が差して何か言ってくる。どうやらこの小さな海にばかりいるわけにもいかないようだ。この海の外には何があるのだろう。そんなことを考えながら聴いてみると、私はもうこの曲そのものだ。

多分、風。

こちらは12枚目のシングル曲。サカナクションの曲には今までなかったような疾走感がとても魅力的だ。また、このあたりは詳しくないが、どことなく古めかしさを感じさせる点も「畦道」という歌詞にとてもぴったりだと感じる。
そして、サビの前の強めの「ドコドンドコドンドコパッ」が至高だ。「サビという風」が今まさにやって来ることを予感させてくれる。

誰もが忘れる畦道を
静かに舐めてく風走り

確かに畦道はあってそこを風がすっと通るが、それを逐一覚えている人なんていない。だけど美しく、尊い。そんなことを気づかせてくれる歌詞だ。こんなことを書いていると、自然が恋しくなってきた。

ナイロンの糸

7枚目のアルバム「834.194」に収録されている曲。
なんというか、この曲は「海」そのものである。「ネプトゥーヌス」は包み込まれるかのような感覚をくれると書いたが、この曲もそれに近い感覚が得られる。

この海に居たい この海に居たい
この海に帰った二人は幼気に

この海に居たい
この海に帰った振りしてもいいだろう

何か嫌なことがあったとき。あるいは、むなしくなったとき。生命の起源である海に帰りたい。この曲を聴いていると、そんな思いが増幅してくるようだ。
こちらもあまり説明しすぎると野暮な気がするので、これ以上知りたい場合はPVをどうぞ。

ワンダーランド

こちらも「834.194」に収録されている曲。衝撃的なのは、サビ前の歌詞が「君は深い」だけであるということだ。「君」ってなんだろう。特定の個人のことを指しているのか、あるいは社会全体か。はたまた、音楽のことかもしれない。

卵の殻破った雛
初めて見たのさ ワンダーランド

サビのはじめの歌詞を読むに、新しい体験のことを指していそうに思える。となると、「君」はすでにその体験を「僕」より早く終えている人物か、あるいは同時に体験した人物だろうか。そんな「君」に対して、敬意というか尊重しているように感じられる。まあ、憶測の域を出ないが。
新しい体験はワンダーランドのようにきらびやかで、そんな体験もいつかはあせていってちっぽけに見えてしまう。だけどそれがまたよいのだと思わせてくれる。

おわりに

サカナクションの中でもとりわけ好きな曲を13曲ほど挙げてみたが、やはり歌詞についての記述がほとんどになってしまった。それに、なんだか選曲のバランスが悪い気もする。しかし、わりとよく書けたと思っているし、何より書いていて新しい発見もあり、楽しかったので良しとしよう。

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