幸せなお母さんでいる
春休み頃、なんだか自分が本に吸い寄せられなくて、まったく一か月ほど本を読んでいなかった。
「あれ~、自分はこんな感じでいいんだっけ?」
と思ったけど、最近また、本を読むようになってきた。
ちょっとだけだけど、考えていたことに結論が出たからなのかな?と思う。
子育ての責任に押しつぶされそうだ
ばかばかしいけど、今更ながら「学校のほかのお母さんたちとどう付き合えばいいのかな」なんて考えていた。
自分の人間関係だったら割り切っていけるのに、子どもが絡んだ途端に「これじゃいけないのではないか」と不安になってしまっていた。
ついつい、ついつい「子どものためには・・・」みたいな思考に乗っ取られてしまう。
正直言って、子育てをするまで「自分が他の人間の人生の責任を負っている」ことの重さを解っていなかった。
怖い。はっきり言って怖い。
自分の選択が間違ったせいで、自分の子どもを不幸にしてしまうのではないか。自分の子どもの可能性をつぶしてしまうのではないか・・なんてすぐに考えてしまう。
だからみんな習い事に通わせまくる。
早期教育にお金をかける。
なんだけど、それにどんどん疲れてくる。予算も尽きる。
「子どものためにできることって何だろう」
何度も何度も考えた。
親は、子どもの人生「すべて」に責任があるわけじゃない
子どもがどんな人生を送るか。
その「すべて」に、自分が責任を負うわけじゃない。
この記事にもあるように、子どもは親が提示した世界だけで生きているわけじゃない。自分でも、色々なことと出会ってくる。
しかも、我が子がこの記事で出会った「宇宙」は、今や我が子の興味の柱になっている。
子どもに何を与えるか。
それは、自分が納得するまで与えたら、後は本人に任せるしかないと思う。
むしろ、その先まで「こういう人生を生きなさい」と言ってレールを敷いてしまったら、「そのレールを敷いた責任」が発生してしまうのではないか。
いや、レールを敷かなければいけないと思っているからこそ、怖いのか。
幸せなお母さんでいる
いろんなことを考えて、そして出た結論は
「幸せなお母さんでいる」
ことだった。
(イメージとしては「いつも笑顔のお母さん」なんだけど、それだと、「つらくても無理して笑ってなきゃいけない」みたいだからそれは無しで)
いつもイライラカリカリしているお母さんと、
いつもなんだか楽しそうで幸せそうなお母さん
どっちが子どもにとってうれしいことだろうか。比べるまでもない。
「学校のお母さんたちとどんな人間関係を築いたらいいのか」
それはきっと、お母さんである自分が暗い顔をしなくていいような付き合いをすればいい。自分が本当は嫌なことを、無理にやろうとしなければいい。
自分とは合わなそうな人とまで、「子どものため」と思って無理に付き合おうとしなくていい。でないと「子どものため」がひっくり返って、子どものためにならないお母さんができあがってしまうからだ。
これからは、子どもに関して何かするとき、迷ったらこう考える。
「これをしたら、幸せなお母さんでいられるだろうか?自分が本当は嫌なことを、無理にやろうとしていないだろうか?」
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