虚構と現実の区別が付かない人たちその2
>漫画はフィクションで、実在の人物や団体名とは関係ないとしているものの、「辺野古埋め立て地」や「普天間飛行場」など具体的な固有名詞が出てきており、名護市辺野古の新基地建設現場を描いていることは明らかだ。
それでもフィクションなのだから表現の自由である。漫画に限らず、各種メディアにおける虚構と現実の混合度は程度問題。
「実在の運動家を愚弄する」という主張は、”現実と虚構の区別が付いていない”という点で、一部の国家主義者による市民運動家への批判と変わりない。
>影響力がある商業媒体に掲載されることで、さらにデマが広がる。
広がったとしても所詮、根拠は漫画。デマに踊らされる人自身の情報リテラシーの乏しさが表れているに過ぎない。
そもそも「市民運動参加者の誰一人として金銭を受け取っていない」は悪魔の証明。デマと断定するには相当の根拠が必要で、安易な否定は余計な憶測を呼ぶだけだ。
いずれにせよ、問題とすべきは解釈者側であって表現者側ではない。
メディアリテラシーの乏しい彼らもまた低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。
以下、弊サイトより抜粋。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。
感情を含むあらゆる体験の根本原因は体験者自身の固定観念自分ルール思い込み先入観。それが変わらない限り似た体験を繰り返す。
肉体的苦痛の原因は加害者でも、精神的苦痛の原因は被害者本人の固定観念にしかない。因果を誤認する限り争いや苦悩は止まない。
宗教家マスコミ扇動家詐欺師の「奇跡だ偉業だ醜聞陰謀驚異脅威だ」は、感動興奮優越感等の対価を得る為の誇張洗脳大言壮語。
自己肯定感やメディアリテラシーの低い情弱ほど、不都合な情報を嫌悪排除し「己の知見こそ全で真」と思考停止・自己陶酔。