矛盾だらけの五輪中止論

 自民党は好きではないしオリンピックもさほど興味がないのでどうでもいいのだが、メディアで飛び交う一部の五輪中止論に感情論が多いので反論してみた。

 まず「コロナ禍で大勢死んでるのにオリンピックやるのか」という人は、もっと視野を広げて人間の死因がコロナだけではないことを思い出すべきだろう(上記の引用記事を参照。以下、この厚労省発表が正しいという前提で話を進めます)。
 コロナ禍で開催すれば、開催しなかった場合に比べ「コロナの感染死亡者が増える」ことは確実である。だがコロナ禍でなくても、開催すれば人流増加により(飲食業界や運輸業界が潤う代わりに)どのみち「他の感染症による死亡者や交通事故死が増える」のだ(根拠は引用記事)。
 救えた命を救えない状況はこれまでも肺炎やインフルエンザで発生している。マスクや手洗いや消毒の励行等でこれだけ多くの肺炎死亡を防ぐことができたのに、政府は何も対策をして来なかったからだ。
 なので「人流増加により各種感染症で亡くなる人が増えるからイベントを中止せよ」と今までどのオリンピックでも言って来なかった人が、今回に限って主張し出すのはおかしい。「今までは知らなかっただけ。今後は全てのイベントで中止を訴える」というならまだ話は分かるが。 

 「大会を開けば人命がリスクに晒される。国民の命をギャンブルに賭けるのか」という批判も、コロナによるリスクにだけ注目している点で恣意的だ。既に従来から政府は人命より経済を優先し、国民を例えば車社会が齎すリスクに散々晒して来たではないか。交通戦争という名のギャンブルに負け事故で死傷した人は毎年数万人以上おり、そこには合法麻薬依存者による酔っ払い運転の犠牲者も含まれる。これもコロナのお陰で減っているが。
 なので「不適格な運転者を野放しにすれば国民の命がリスクに晒される。人命をギャンブルに賭けるのか」と今まで言って来なかった人が、今回に限って主張し出すのはダブスタだ。「従前から甘過ぎる免許制度を批判してきた」というなら分かるが。

 換言すると、コロナ禍で被害者面している飲食・運輸・旅行業界等は、杜撰な公衆衛生策と経済優先策の恩恵に預かり、人流が増えることで肺炎やインフルエンザや交通事故に苦しむ人々の犠牲の上に、これまで散々おいしい思いをしてきた訳だ。今はそのツケを払わされているに過ぎない。
 現政権がこうした事実を明言することを避け野党の追及に対し壊れたレコードのように定型句を繰り返すのも、これまでの人命軽視の政策に批判が及ぶことを避けるためだろう。

 おかしな五輪中止論はまだある。

 「これだけ多くの国民が中止や延期を求めている人がいる」は典型的な多数論証だ。残念ながら現状、殆どの国民は統計リテラシーを鍛えられておらず、リスク評価に客観性や合理性が乏しい。延期論一つ取っても開催の条件などはバラバラでまとまりがなく、何よりその条件に科学的根拠がない。問い詰めても「人口当たり○○人以下なら安心できる」などの漠然とした主観しか出て来ない。
 「中止の基準を明確にすべきだ」「緊急事態宣言下では中止にせよ」という主張にもあまり意味がない。警戒レベル自体、行政当局が規制の強化や緩和を正当化するために設けた目安でしかない。今は地球上で誰も最適解を知らないので、仮に基準を定めたところで「科学的根拠がない」と批判されるのがオチである。この際「史上初のパンデミック下のオリンピック」にトライしてその知見を後世に残す方が、長い目で見て人類にとっては有益だろう。

 他の国際大会の中止は求めないのにオリンピックだけ論うのも筋が通らない。「大規模だから」という曖昧な線引きでは結局は程度問題となる。
 「各国のワクチン状況に格差がある。不平等だ」もワクチンだけを論点にしていて意図的。
 「子供の運動会は中止されたのに」も的外れな論点摩り替えだ。主催する主体・決定権者が異なるのだから一緒くたに考えてはいけない。
 そして「何故そこまでして開催するのかを誰も説明しない。説明が足りない」という人ほど自分自身の学習が足りない。ブーメラン。

 他にもあるかも知れないがこの辺で。

 日本は、対策を失敗した国とは異なり平均寿命を延ばしている。安全安心を謳うなら、かつてないほど感染症も交通事故もテロも少ない安全安心な環境下の今こそ、五輪を開催するのが正しい、となる。勿論、感染症対策には万全を期した上で。

#日経COMEMO #NIKKEI

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