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チェロ弾き、ドイツに暮らして


これまでドイツの二つの街に住んだが、そのどちらも大聖堂を有していて、そしてどちらも「ライン川」に接する街だった。


私の“ライン”に対する印象は、愛する作曲家 ロベルト・シューマンの影響が強い。

荘厳に、悠々と。ただそこに存在する様。

シューマンは、ラインを古いドイツの神に例えたが、人の世界に起きる出来事などまるで気にもかけない堂々たるその姿は、確かに神を彷彿とさせ、そしてその広大さ故に見つめ続けると、彼―――シューマンのように引きずり込まれてしまうような、そんな畏怖を私に抱かせる。


復活祭当日。
ラインの水面は静かに揺蕩い、太陽は湖面を照らして、向こう岸へと続く光の橋を渡していた。

私は友人たちとおしゃべりを楽しみながら、その沿道を歩いた。

道は、陽光の恩恵を受けようと思い思いに、時に酒瓶を片手に過ごす人々に溢れ、しかしそこに喧騒はなく。ただただ、穏やかさのみが流れていた。


いつの間にか、ラインに対して畏怖のみを抱かなくなった。

例えばこんな、春和景明、そんな日は。


それは私にとって、まるでこの国に住み慣れた証のように思えて。
芽吹きを促す風に背を押されながら、微かな誇らしさを感じていた。


『ライン川に向ける私情の推移について』
The Rhein / 9th April, 2023



あなたの命日である今日、現代ドイツは全土に渡る交通機関の大規模ストライキの前日。

そう、前日なのに。

私が乗る予定だった列車は、急遽運行が取り止めになるし。それ以外にも遅延やキャンセルが頻発して、窓口は長蛇の列、キャリー転がし走る家族連れ、電光掲示板を見上げる人々、駅はてんやわんや。

別の旅程に頭悩ませるのも馬鹿らしく、すっかり気持ちも萎えてしまって。早々に予定を取りやめて、家まで引き返してきたのよ。


そうやって愚痴をこぼしたら、彼は一緒に怒ってくれるだろうか、それとも小馬鹿にしたように笑うだろうか。

そんな思いを馳せる。我が敬愛するベートーヴェン様に。


「26~28日の列車チケットは4月4日までフレキシブルに使うことができます」なんてメールが、ドイツ鉄道からは届いたけど。

一見親切に思えても、裏を返せば「当日前後の二日も何かしら起きるだろうけど、諦めてこの対応で勘弁してね」と、押し付けられているような気がしてしまう。


“これがドイツだよ”

そんな言葉、彼の口から聞きたくはないから、やっぱり一緒に怒ってほしい。あのナポレオンの時みたいに。

そうして新曲の一つでも書いてくれたなら、ちっぽけな私の気持ちが晴れるどころか、不満を抱く国民の、誰しもが歓喜に沸くだろう。

それが決して叶わないことが、今日があなたの命日ってこと。


『ストライキとあなたの命日』
Heavenly Birthday of L.v. Beethoven and Day Before Strike / 26th March, 2023



安い家賃で音出し可能な部屋を見つけるというのは中々に困難で。
Ruhezeit(静休時間=騒音が禁じられている時間)が設けられているドイツといえど、音大生や奏者と近隣住民との騒音トラブルは珍しくない。

特に最近はコロナの影響によって、在宅勤務を余儀なくされる会社員、自宅学習の子供を抱えた家庭など、部屋で過ごす人と時間、そのストレスの増加によって、従来ならば起こるはずのなかった要らぬ近隣問題が頻発している、ますます部屋での練習ができなくなったと、周囲の音楽界隈ではちょっとした話題になっていた。

そんなコロナ騒動の真っ只中に引っ越した私も「住人から苦情が入ったら即、部屋での楽器練習はやめてください」と、契約時に大家さんから、奏者にとっては中々に太い釘をさされた。

それから早数ヶ月。
はじめは戦々恐々としていた日々の練習にも、ありがたいことに苦情は訪れていない。

それどころか。

洗濯室で鉢合わせたアパートの古株お爺さんには「いつも素敵なチェロの音色をありがとう」とのあたたかな言葉をいただき。

そして昨日は、楽器を背負ってクタクタになりながら帰宅すると、エレベーター前で遭遇した隣人に「練習の音聞こえてくるけど、今弾いてるあの曲は誰の作品?」と声を掛けられた。

なんとかこのアパートでも無事に暮らしていけそうと胸撫で下ろし―――
ただし、練習でも下手な演奏はできないな、とも思うのであった。


『幸福は日常にふと転がる』
Happiness is born suddenly and unexpectedly in everyday life / 9th May, 2021



ドイツに渡って生じた大きな変化といえば、仕事の大半が教会での演奏になったことだろうか。

石壁がもたらす冷気
意匠を凝らした内外装
ステンドグラスの彩光
聖書を表す絵画、彫像
揺れる蝋燭の火

それらによって生み出される静けさと荘厳な空気の中で音楽を奏でていると、演奏に向き合う思考とは乖離した別の場所で、様々な思いを巡らせることがある。


教会で、がっつりとモーツァルト漬けの三日間を送ったのは、ちょうど先週のこと。彼と教会には、面白い逸話が残っている。

旅の途中、父と共にシスティーナ礼拝堂を訪れた幼いモーツァルトは、アレグリの合唱曲『ミゼレーレ』を耳にする。

それは年に三日、その礼拝堂でのみ歌われる秘曲であり、外部への楽譜の持ち出しも公開も固く禁じられていた。

しかし、宿へと戻ったモーツァルトは、一度だけ聞いたその曲を楽譜に書き起こしてしまったのだ。


そのエピソードを思い出したのは、アンコールの演奏中。

神のために生み、そして秘曲として特別なものとされていた自曲を、無邪気さと気まぐれによって容易に丸暗記され、楽譜におこされたアレグリ。

勿論、彼はその時すでに逝去していたが、もし生存していたならば、その時何を思っただろうか。


私の思案の外、教会に鳴り響いていたのは『Ave Verum Corpus』だった。

恩人への謝意によって生み出され、合唱団は神への感謝を歌っている。

この作曲のひと月後、謎に包まれたレクイエムの作曲依頼を受け、モーツァルトはまるで転がり落ちるように、たった半年で死へと向かった。


天才であるが故に、人を幸福にも不幸にもしたであろう彼の生涯だったが―――それをみていた神は、なにを思っていたのか。

拍手を受けながら、刹那、教会の高い天井へと目を向けた。


『神の瞳』
Under the Eyes of God / 30th August, 2019

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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