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【エッセイ】法は強いることはできない

10月に入り、今年もまた「法の日週間」(10月1日からの1週間)がやってきました。
(法の日週間については過去記事でも記述しています。)

この週間の頃には、関係機関などの掲示場所に「法の日週間」を知らせるポスターが貼られますが、ポスターといえば、私はどうも興味あるポスターにセンサーが働くようになっており、いつもはただ通り過ぎる場所でも、何かを感じるポスターには無音のセンサーがピピピと働きます。

つい最近のこと。
イオンスーパーでの買い物のあと、自販機の横にあるポスター掲示板の前で、私のセンサーがピピピと作動しました。

立ち止まって眺めると、それは、全体がオレンジ色のポスターでした。
「令和6年4月1日スタート」に続いて、真ん中に大きく「相続登記の申請が義務化されます」と書かれています。

「ついに……」と思いました。

相続登記の申請といってもピンとこない方のほうが多いかと思いますが、かつて、不動産の登記申請にかかわる仕事をしていた私は、任意であった申請が義務化されることに感慨を覚えました。

不動産を担保に金融機関から融資を受ける場合は、「所有権移転(あるいは保存)登記」と「抵当権設定登記」が必要となるため、こちらの方はなんとなく馴染みがあるかもしれません。

でも、実のところ、不動産登記で義務とされているのは、家屋の新築・増築などの表示登記と呼ばれる申請だけなのです。が、不動産が自分の所有であることを公にし、融資を受ける担保とするためには、権利登記と呼ばれる申請が不可欠となってきます。

一方、相続登記というのは、不動産の売買など差し迫った事情がなければ、申請されないケースが多く、所有者不明の土地問題へと発展したため、この度の「相続登記の申請義務化」の運びとなりました。
参考までに、法務省ホームページの当該リンクです。→【所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し

***

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

今年の春先、離れて暮らす姉から電話で相続に関する相談を受けました。
姉の旦那さんの近しい親戚の身内話でした。
聞けば聞くほど、今のうちに遺言を残しておけば後々争いにならないと憶測できる内容で、中には、早めに何とかしておいた方がいいものもあって、私にしては珍しく、その点を強めに指摘したのです。

すると、いつもはおっとりとした姉が激しい口調で、
「そんなことはカニナに言われなくてもわかっている」とピシャリと拒絶。
いつもだったら、それ以上踏み込まないはずの私も、
「いえいえ、わかっていないからそんなふうに言える」と強気なコメント。

ちょっとした口論となりました。

このさき起こるかもしれない争いを未然に防ぎたい私の一心は、昔からどこか肝が据わっている姉には通じず――。電話を終えてからも高ぶった感情がおさまりませんでしたが、よくよく考えると、ずいぶん立ち入り過ぎた感は否めず、しばらくしょんぼり打ちひしがれました。

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そんな私をさとすように、ふっと思い出した言葉が、「法は強いることはできない」です。

日テレの長寿番組『行列のできる相談所』が『行列のできる法律相談所』と番組名に「法律」が付いていた頃は、日常の法律問題について3人の弁護士軍団で見解を述べあうコーナーがあり、北村春男弁護士が対立した2人の弁護士に対して「法は強いることはできない」――そう力説する場面がありました。

「強いることはできない」とは、なんてふところの広い言葉だろうと、お得意の青い手帳に「法は強いることはできない」と記しており、日付けは2017年9月17日(日)。

『彼女が「できない」と言えば改善の余地があると主張する2人の弁護士に対し、そういうことが言えない人にそれを求めることはできないと反論』とも小さく走り書きしていますが、メモは日付と番組名の2行も含めて全部で7行。心に響いたところだけを書き留めているため詳細は不明です。

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姉と気まずくなった後の帰省時、妹とゆっくり話す機会がありました。
電車で帰る私を妹が駅まで迎えに来てくれることになっていたのですが、電車移動を始発の高速バスに変更したため、私の到着時間は予定よりぐんと早まり、10時半には駅に到着することとなり……。

「それならさ、お昼まえになるけど一緒にお茶でもしようか」

妹の優しい計らいで、私たちは古民家を改装した素敵なカフェへとゴー!
ゆったりとしたお茶の時間を楽しむことができました。

そのときに、姉とちょっとした口論があったことを伝えると――。

「あぁ……。その頃は、お姉ちゃん、ミオ(姉の長女)の結婚式のあれこれに、旦那さんの家の方のことも重なって大変な時期やったと思うよ」
と、妹はサラリ一言。それ以上は触れることなく、4月にとり行われたミオの結婚式の話題へと方向転換してくれましたが……。

***

――そうやったんや。

いつも大らかな姉が、あんなにも憤った口調だった理由。
そうとも知らず、さも自分が正論であるかのようにムキになった自分。

その人の置かれた立場も知らないで、自分が正論と思うとは、なんと浅はかなことかと、思い知りました。

「法は強いることはできない」は、なにも「法」に限ったことじゃない。
「自分の考え」に置き換えることもできるし、「常識」に置き換えることもできる。

――ごめん、ごめんやったね。

***

謝ったところで、一度放った言葉は取り戻せないと今も再び痛感。
痛感しすぎてこの先が続かず、なんとも不完全な終わりかたとなりますが、今年の法の日週間におけるエッセイはここまでとします。

実は、法の日週間にぴったりなエピソードがもう一つあったのですが、こちらは、かれこれ8年前の話につき、今年でも来年でも鮮度は変わらないと、来年の法の日週間までとっておくことにして、この結末です。

と、言い訳がましくなってきましたので気を取り直し、最後に、昨年の法の日週間に投稿した記事のラストを引用して了とします。

いつもと同じ10月。
「もう下半期かぁ」という恒例の呟きではなく、「法の日週間を題材にしてみよう!」と思い立つ新鮮な気持ち。
何かがこうも新鮮で、何だかこう楽しくなりました。
noteさん、ありがとう!

2022年10月9日
【エッセイ】法律に思いを寄せて


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