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【エッセイ】法律に思いを寄せて

あまり広く知られていませんが、10月1日は法の日です。
この「法の日」から一週間は「法の日週間」とされ、裁判所・法務省・弁護士連合会の共催により各地でイベントが開催されます。

昭和35年以降続いている公的な行事でありながら、なかなか浸透していない法の日週間ですが、新卒で配属となった総務課で、法の日週間のポスターを配布したことがある私にとって、法の日週間は思い出深いものです。

かといって、毎年10月1日に「今日は法の日!」と率先して思い立つほどではありませんが、今年の10月はいつもとちょっと違います。

8月にnoteデビューしてから3ヶ月目に突入。

これまで、応募したい企画ありきで6つの記事を作成しましたが、今回は書きたいことありきでエッセイに挑戦してみよう!と意気込んで、法律に思いを寄せてみることにしました。

項目は、憲法・民法・刑法の3つです。


・憲法 幸福追求権

第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

幸福追求権と称される憲法第13条。
英語ではright to the pursuit of happiness。

なぜ急に英語なのかというと、ウィル・スミスが主演した”幸せのちから”の原題がまさに”The Pursuit of Happiness"(幸福の追求)であり、幸福追求権といえばこの映画を思い起こすようになったからです。

試験科目に憲法がある資格(行政書士)を取得した年(2014年)に、タイトルが気になってDVDで鑑賞した”幸せのちから”。

息子のため、どん底の生活から成功をつかんだという実在のストーリーで、主人公のウイル・スミスが、朝、出勤前に窓辺に立ち、朝の光を受けながら学習する姿がとても美しく、今でもくっきりと脳裏に残っています。

「幸福になる権利なのではなく、幸福を追求する権利なのだなぁ」と改めて思いました。

プライバシーの権利だとか環境権だとか、新しい権利と呼ばれる権利の根拠として取り上げられる憲法第13条。

時代とともに新しい権利は生み出され、インターネット上のプライバシー保護のための権利として出現した忘れられる権利(right to be forgotten)もその一つです。

初めて「忘れられる権利」という名前を耳にした時、その凄味あるネーミングに衝撃を受けました。

「忘れられる権利」を立法化する動きがあったEUでは、2014年以降、「忘れられる権利」の代わりに「消去権(right to erase)」という文言が用いられるようになったとのことですが、いずれにせよ、ネット社会とはこういうことなのだと思い知らされる権利です。


・民法 善管注意義務

第644条
受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。

委任契約において、受任者は善良な管理者の注意をもって委任事務を処理するものと定められ、略して「善管注意義務」と呼ばれています。

職は変わっても、長らく法務事務に従事。
自分は委任状に基づく仕事をしてきたのだと実感するのは、善管注意義務という略語に懐かしい思い出があることです。

かつて私の上司だったОさん。

「善管注意義務にのっとって仕事をしましょう」というのが口癖で、善管注意義務に反しなければ、自分たちの判断で仕事を進めていける空気がОさんによって保たれていて、私たち部下は彼のもとでのびのびと仕事をすることができました。

茶目っ気のある目元が相手に親近感を持たせますが、ここぞという時に、決めるべきことは決める――そんなタイプの人でした。

Оさんのおかげで、机上だけでない貴重な経験ができたことは、まるで何かのご褒美みたいな日々であったと思います。

月日は流れ、今は法務と違う仕事に就いていますが、こうして法の日週間に思いを寄せるとき、真っ先に思い浮かんだのはОさんの笑顔でありました。


・刑法 未必ミヒツの故意

中学生の頃だったと思いますが、推理小説を読んでいて”未必の故意”なる法律用語を知りました。

犯罪が成立するためには、原則「故意」が必要で、故意とは犯罪が実現することに対する認識です。そのため、犯罪が起きたときに故意の有無は重大事項となります。

この未必の故意に焦点をあてた推理小説が、まだ中学生だった自分には衝撃的だったのでしょう。ミヒツノコイという文言が頭の中に強く残りました。

縁あって法学部に進みましたが、刑法の成績が良かったのは、刑法の考え方がなんとなくショウに合ったのだと思います。

たとえば、「未必の故意」に対して「認識ある過失」という用語があり、犯罪が発生する「かもしれない」と思いながら「それでいい」と思うのが「未必の故意」で、犯罪が発生する「かもしれない」と知りながら「大丈夫」と思うのが「認識ある過失」です。

このような違いが楽しく興味深かったうえに、刑法はなかなか文学的な用語の宝庫で、原因において自由な行為という理論を知った時などは、なんと心をそそる文言だろうとワクワクしたことを覚えています。


・おわりに

県をまたぐ引越しをして、noteを始めたこと。
この二つの出来事が、私を大きく変えてくれました。

いつもと同じ10月。

「もう下半期かぁ」という恒例の呟きではなく、「法の日週間を題材にしてみよう!」と思い立つ新鮮な気持ち。

何かがこうも新鮮で、何だかこう楽しくなりました。

noteさん、ありがとう!


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