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京急の街「八丁畷」|すてないで

2022年、夏。
安倍元首相が襲撃・殺害され、僕はもう少し今の世の中をちゃんと見なければいけないような思いに至った。

何か違う時代に突入したような、そんな感覚で、でも何が起こっているのかと問われても、自分なりにでも説明ができない。
こういうときに写真というツールを用いて理解を深めていきたいと思うのはなんだろう。自分の中で写真というのはそういう存在らしい。

とはいえ、何を撮ればいいかわからない。でも、「とりあえずどこかを撮りたい」ということで、八丁畷に行ったのだった。

八丁畷について

八丁畷はKK27。京急川崎の隣の駅で、品川からは21分。実はJR南武線(浜川崎支線)も乗り入れている。

大正5年12月25日、八丁畷駅として開業。その後、昭和5年3月25日には、南武鉄道(のちに国有鉄道)との共同駅となった。
駅名の由来は、開業当時の地名から名付けられたもの。同駅付近は江戸時代、川崎宿(現在の小川町付近)から市場村まで、たんぼ道がまっすぐ八丁(約800m)ほど続いていたので八丁畷と呼ばれていた。

https://www.keikyu.co.jp/ride/kakueki/KK27.html

これまでの駅と決定的に違うのは、ウェブ上での情報の少なさ。
ググってもほとんど何も情報がない。

Twitterを見ると、南部支線の駅でもあることから貨物列車のファンの方がその写真を撮っているのもいくつか見られるくらいだ。

ただ一つ、写真を撮りに行ったときにたまたま見つけた情報があった。

なんと、ここにドヤ街があるという。

ドヤ街(ドヤがい)は、日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことばであり[1]旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることに起因する。
東京の山谷、横浜の寿町、大阪のあいりん地区が有名である。 
戦後の高度成長期日雇いの仕事を斡旋する寄せ場に日雇い労働者が多く集まり、彼らが寝泊りする簡易宿所が寄せ場の周辺に多く開設されることで、ドヤ街が形成された。いわゆるスラムとは異なり、その地域全体が日雇い労働者のドヤで占めているわけではなく、中産階級の住宅も存在しているのが大きな特徴である。

wikipediaより

そう、僕が聞いたことがあるドヤ街というのは山谷であり寿町でありあいりん地区。
日進町なんて聞いたことがなかった。

聞いたことのないドヤ街とは。。。
そんな疑問を抱きながら僕は八丁畷駅に降り立った。

線路脇のゴミと閑静なドヤ街

しばらく駅の東側周辺を歩く。
昭和風情な飲み屋、がらんとしたアーケード、そしてマンション群。
「いつもの」京急のいびつな感じがこの土地にもある。

「いつもの」ではなくなったのは線路脇を歩いたときだった。
付近に住んでいる方には失礼なことは百も承知だが、とにかくゴミが多い。

というか、山ほどのゴミが投棄されている塊が何箇所かある。
ほとんど人通りはないが、視界は開けている。
いつ誰がここに運んできたのか。
別に責める気持ちはないのだけれども、周りの様子がそんなだから、純粋に疑問に感じたのだった。

踏切をわたり西側へ。
さらに人通りは少ない。
日曜ということもあり、休業中の事業所が並ぶ。
ふと、先に見たブログにあった光景に出会った。

ここがドヤらしい。
ほんとに?
少しボロいアパートにしか見えない。
そして奥には立派なマンション。
人の気配はない。
ドヤですら、形だけが残ってしまったのか?
京急沿線にはそういう場所がたくさんある。
古いものを置き去りにして、新しいものを建てる。
そういう光景を今までも見てきた。

通りを変える。
少し綺麗めというか、古いのだけどしっかりと整えている家屋が並ぶが、どうやらこれらもドヤらしい。

角を曲がると今風な、図書館くらいのサイズの建物がある。ドラッグストアや公共の施設が入っているらしい。ドヤと今風な建物の間を子供が歩いていく。

どうやら、ドヤはあっても「ドヤ街」というような雰囲気はここにはないらしい。

このドヤに住んでいる人は、この雰囲気をどう感じているのだろう。

街は捨てられない

川崎方面へ歩く。

今度は、「蔵前か?」と思うような、カフェなのか雑貨屋なのか、そんな店が何軒かある。


ここまでごった煮でいいんだろうか。
いや、良いも悪いもないのだ。
こういう方が街の生き様を感じるってもんだ。

川崎手前の交差点でまた線路の西側へ。


こっちはこっちのごった煮感がある。

そんな街を歩いていたら、こんなメッセージを門に掲げている家があった。

人はものをどんなに捨てても、街はものを捨てられない。
少なくとも京急の街は。

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