時は流れて10年後。
ステイホーム。
大学進学を機に実家を出て以来、手付かずのまま置かれていた今までの思い出の品の整理を行った。
懐かしのプリクラや、写真、年賀状たち。
今のように携帯で可愛く加工なんてできなかったあの頃、いかに「盛れるか」を楽しみにしながら、プリクラを撮っていた。
やり直しなんてきかない、その一瞬一瞬にかけていた。
プリクラ帳と一緒に、
プリクラがたくさん貼られた鏡を発見。
自分のプリクラ以外にも、友達からもらったプリクラが貼ってある。
プリ交換なるシステムが当時あったらしい。
私が友人の物を持っているということは、私の分も差し出したということになる。
超恥ずかしい。今だったらできない。若いってすごい。こわい。
友人からのカップルプリクラも貼ってある。
仲良く写る2人のところには、
一生一緒、とデコられている。
(デコる……久しぶりに使った。
案外ナチュラルにスッと出てきた。)
そのカップルは、今は一緒ではない。
それぞれ、別の人生を歩んで幸せに暮らしている。
当時は、「友人の彼氏」という、
壁を一枚挟んだ知人だった彼。
時は流れて10年後。
彼は今、
私の同僚だ。
何気なくプリクラで見ていた人物が、
自分の同僚になっている。
なんでも話す仲に変わった。
彼は結婚してもうすぐパパになる。
友人はというと、恋人と一緒に幸せに過ごしている。
一生一緒ではないけれど、
それぞれが幸せならそれでよかった。
それぞれが持っていないであろう
カップルプリクラを持つ私という謎の構図。
なんだこれ博物館かな。
もう1組のカップルプリクラの彼の方も、
高校時代は一度も話したことなかったけれど、
社会人となって仕事で再会した。
地元で働いていれば、同級生と再会することは、そう珍しくないことかもしれない。
だけど、このプリクラが貼られた鏡を見ていると、ずっと実家で眠っていたこの鏡が、何かを引き寄せているような気がしなくもない。
中学時代の写真には、
今はもう連絡を取らない子たちと仲良く写る自分がいた。
友人関係は、歳を重ねるうちに、
広がって薄くなったような、
あるいは、一部に絞られて濃くなった気がする。
ずっと連絡をとって、長年付き合い続けることは、自然にはできない。
お互いの努力が必要だなと再認識する。
デコられた文字に書かれた、「17歳」。
恋した〜い!
語りっち!
ずっとナカコ!
当時好きだった人のニックネーム(黒歴史がすぎる。)
10年後、どうなっているかなんて、もちろん想像つかなくて、学校や周りの人たちが世界の全てだったあの時。
恋も友情も永遠にずっと続いていくものだと信じていたあのとき。
時は流れて10年後。
世界は、もっと広くて、
そして、たまに、狭い。
思わぬ人と近くなったりする。
今いる人は、ずっと一緒とは限らない。
それぞれが、然るべき遠慮と配慮のもと、
連絡を取っていくことが必要。
そんなことを学んだ。
それなりに恋をして、
悲しい失恋もした。
長い片思いも、乗り越えた。
たぶんこの人と結婚するという人にも出会えた。
変わらないのは、
10年後、どうなっているかなんて、もちろん想像がつかないところ。
でも、あの頃よりも選択肢は少ない。
だいたいこうなっているかな〜、
こうなっていればいいかな〜
という予測や期待はちょっとできるところが、大人ってことだろうか。
時は流れて10年後、
また、今日のようにたまに振り返る日があってもいい。
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