新聞社でうつ病になった僕

 僕はうつ病を抱えています。新聞社に勤務していた頃、うつ病になりました。

 よく、「しんどくてうつになりそうだ」とか「昨日はうつだった」とか、日常で「うつ」という言葉は使われます。あるいは、「うつ病は心の風邪」という言葉もありますね。実際、僕がうつ病になって休職したときも、「風邪みたいなもんだからゆっくり休め」と、ある先輩から言われました。

 どれも、うつ病への無理解をあらわす言葉の使い方だと思います。うつ病は、そんなに甘いものではありません。恐ろしい病気です。

 どれほど恐ろしいか。うつ病は端的にいって、「死に至る病」です。

 厚労省の調査では、自殺の原因はうつ病が1位となっています。

 自殺者の70~90%が生前に何らかの精神疾患に罹患しており、60~70%はうつ病であるとも言われています。

 なので、僕は先ほどのように、「気持ちが上がらない」といった意味で「うつ」という言葉を使う人には、「死にたいという気持ちがあるのですか?」という疑問が湧きます。そういう気持ちがなければ、「うつ」という言葉は使わないでほしい。「風邪」という例えもおかしいと思う。そんなにすぐ治らない。一生付き合い続ける病気です。

 うつ病かどうかの重要な判断基準は、「死にたいという気持ちがあるかどうか」です。精神医学用語で、「希死念慮」といいます。

 「希死念慮」とともに、不眠、気分が晴れない、将来への希望が持てない、胃腸の消化不良、体重減少などの症状があります。僕にはすべての症状がありました。

 新聞社での休日を問わない長時間勤務。休職する直前は10日間連勤していました。僕の場合は、「死にたいという気持ち」というより、「死のイメージ」が頭のなかを占拠しました。それしか考えられなくなるんですね。あれは怖かった。もう二度とあんな気持ちになりたくないと思います。

 なぜ、うつ病になったか。これは意外と難しい問いです。個人的な要因と、会社が抱える「病理」の二つが理由としてあげられます。

 個人的な要因は、もともと不眠がちだったこと、どこでも眠れるようなタイプではなかったことです。新聞記者の不規則な生活に慣れることができませんでした。慣れてしまえる人はいます。新聞記者が全員うつ病になるわけではありません。

 でも、僕は会社が抱える「病理」によって、うつ病になったと考えています。

 いまの新聞社は「病理」を抱えています。どういうことか。説明してみましょう。

 新聞はどんどん読まれなくなっています。端的に購読者数が減っています。社会的な影響力も低下しています。

 メディア環境は激変しています。新聞を購読する人が減る一方で、1人1台スマホを持つ時代。SNSの発達で、誰でも情報を発信できる時代にもなりました。新聞社が情報を寡占していた時代とは違います。

 そのため、新聞社はシフトチェンジを強いられています。「紙の新聞」からウェブ、デジタル空間へ。記事のネット配信を強化しようと動いています。

 でも、新聞社のシフトチェンジは総じてうまくいってません。情報にお金を払う人がそもそも少ないからです。無料のネット記事があふれるなか、わざわざお金を払って新聞社の有料会員になる人は少ない。そのうえ、YahooやGoogleといったプラットフォーマーには完全に足元を見られています。

 消費者は非常にシビアになっているともいえます。新聞社の有料会員に1000円払うなら、同じお金でNetflixに加入したほうがいい。新聞社の競争相手は新聞社ではなく、グローバルなコンテンツ企業となっています。

 ウェブ記事の短所はもう一つあります。記者たちが「どれくらい読まれたか」を気にするようになった点です。紙の時代、記者は購読者数を気にはしていませんでした。それよりも、自社の新聞のなかで、「どの面に載るか」を競っていました。牧歌的で幸せな時代だったのでしょう。

 いまはPV数という形で、「その記事を何人読んだのか」が可視化されます。いまの新聞記者はPV数ばかりを見て仕事をしています。会社がPV数を増やすようプレッシャーをかけているからです。

 新聞記者は、常に新商品を生み出してバズることを要求されるインフルエンサーのような仕事になったのです。

 仕事の仕方も変わりました。締切が実質的になくなった。昔は朝刊、夕刊の締切があり、締切が過ぎれば一息つけました。しかし、今はネット速報が打てるので、締切は存在しません。24時間、記事を出せるようになりました。

 必然的に、仕事の「オン」と「オフ」の境目がなくなります。常に「オン」であることを求められる。裁量労働制という名の「定額働かせ放題」がそれに拍車をかけます。

 購読者の減少による経営状況の悪化、激変するメディア環境、数字のプレッシャー、締切のない長時間労働。それが今の新聞記者に求められる働き方です。

 それに加えて、新聞社は深刻な「男社会」です。

 「男社会」であることの弊害についてはもう少し説明が必要でしょう。「男社会そのものは問題ではない」という反論は一応ありえます。

 僕の言葉で言い換えます。新聞社は「男社会」であるがゆえに、「専業主婦のいる男性社員が私生活をすべて投げ打って働く職場」になるのです。

 新聞社で働いていると、夜の帰りは早くても午後9時、通常は10時〜12時になります。きつい部署になると、「毎日帰宅は午後1時」なんてこともあります。家事なんて全くできません。家で夜ご飯も食べられません。育児なんてもってのほか。できるわけがないのです。

 じゃあ、誰が家事をやり、子どもを育てるのか。家にいる専業主婦です。専業主婦が男性社員の私生活すべてを世話し、男性社員は仕事にすべてをささげる。そういうスタイルで仕事をする人が多いのが現状です。

 「夜早く帰る記者なんてありえない」ーー。これはかなり広く受け入れられた考えだと思います。僕が働いていた頃の上司は、早く帰った記者を指して「あいつは空気が読めないからダメだ」とよく話していました。

 こういう新聞記者の働き方は「病理」そのものだと思います。あまりにもジェンダー不平等だからです。

 僕は自分自身が弱いから「うつ病」になったのではなく、会社の抱える「病理」が、僕という一個人に「うつ病」というかたちで表出したのだと思っています。

 精神疾患を抱えてしまう新聞記者は少なくありません。実際、僕は多くの人から相談を受けています。

 新聞社を辞め、1年半がたったいま、このような整理ができるようになりました。会社のもつ「病理」は個人にしわ寄せがいくのです。

 近年、「ニューロ・ダイバーシティ」という概念が登場しています。「ニューロ」とは「脳」や「神経」のことで、「ダイバーシティ」は「多様性」ですね。

 すなわち、「ニューロ・ダイバーシティ」とは、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会のなかで活かしていこうという考え方」(経済産業省)です。

 うつ病は脳の病気です。うつ病患者に優しい社会を目指すことは「ニューロ・ダイバーシティ」の推進につながります。

 「脳や神経の多様性」といったほうが分かりやすいかもしれません。うつ病などの精神疾患を抱えていても、適切な配慮を行うことによって、その人の力を社会のなかで発揮してもらおうという考え方だといえます。

 僕は、うつ病という病気がどれほど身近で、そして恐ろしいか、多くの人に知ってほしいと思っています。

 でも、うつ病について書くことは難しい。うつ病がひどいときは、まとまった文章なんて書けないからです。そして、うつ病がおさまると、うつ病がひどかった頃の記憶は薄まり、思い出せなくなります。

 僕は一番ひどかった時の記憶がほとんどありません。うつ病について書くことにはかなりの困難があります。

 それでも、僕はうつ病について書いてみたい。

 約15人に1人がうつ病にかかるというデータがあります。女性は男性の2倍程度うつ病になりやすいというデータもあります。身近なのにあまり知られていない病気、そして当事者は書くのが難しい病気ーー。それがうつ病なのです。

 次回からは、「うつ病になったらどうするか」を実践的に書いていきたいと思います。うつ病になったときの対処法を知っておくことは、当事者かどうかを問わず、かならず役に立つからです。しばしの間、お付き合いをいただけますと幸いです。

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