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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2023年6月の記事一覧

このような妄信は、全て祓った方がいい。

この地球上において、天が特別扱いするものは何も無い。 それは国家や民族においてもそう。 ましてや聖地などというものは無い。 「我が国は神の国、我が民族は神の子、この地は人類の聖地…」 このような妄信は、全て祓った方がいい。 この未熟な人間の特別扱いや贔屓(ひいき)に対する身勝手な思い込みは、笑止千万。 この先は、選民思想に行き着くことを押して知るべし。 自分たちは選ばれし者。だから特別。あっちは選ばれていない者。 だから粗末に扱う。 ならば殺めてもいい。

調和の道

人生の真実。 人間は、輪廻転生を繰り返し、長い永い人生を生きていく。 誰もがその中で、貧も福も全て経験していく。 今の境遇に一喜一憂したところで、起るものは起こる。 成るように成るのである。従って、この学びから己は、何を見出せるか。 「ああ、そうか!たまたま関わりのあった人が裕福な生活をしていたり、成功して有名になったり、やりたいことを自由にしていたりすることに、いつも嫉妬してしまうけど、あの人もこの人も、これまでの過去や過去世で苦労をし、課題を克服してきているから

人間三つの宿命

人間は、輪廻を通しての絶対なる万人共通の「宿命」を有している。 一つ、人間は、善と悪の両方を持っていることを素直に認め、故に、常に善を使い、悪を一切使わないことに努めるべし。 一つ、常に進化向上を目指し、自ら適切な生涯学習を課すべし。 一つ、精神的に自立し、孤独を味わい克服すべし。 人間は、これらが今の生き様の基礎となっていることを押して知るべし。 これ即ち、人間の輪廻転生過程において、善悪の実行行使の程度、学習実施の程度、孤独の克服の程度が、今を形成している。

そんなに勝ちたいか?そんなに損をしたくないか?

人間、毎日毎日、損か得かで、何度も何度も判断、選択をしている。 これ、我欲の典型。 自分にとって損か得かの判断を繰り返すことで、不徳に至っていることをそろそろ気づいた方がいい。 更に云えば、本音では、勝ったか負けたかの精神が関わっている。 己、そんなに勝ちたいか?そんなに損をしたくないか? 己のその判断の行き着く先に思いを馳せたことはあるか? 己が勝った先には負けた者がおり、己が得を得た先には損をする者がいるということだ。 現代の人間は、この感性の乏しさが滲み出

最も低レベルの意識

この超大宇宙は、総コントロールされている。 この事実を、人間は、中々認めない。 なぜか。 人間自身が、自己中心の塊だからだ。 この全宇宙の中で、このような最も低レベルの意識では、見ようとしてもこの全体性を捉えることは土台無理。 人間は、あたかもすべてが自分たちで作ったものだと錯覚している。 この地球すらも…。 そのような下等な精神性のままでいるから真の進化を遂げられずにいる。 勝手きままに、我が物顔で地球を改変し、生命を非道に扱い、与えられた叡智を悪用し、弱き

どうすれば、今のモヤモヤが晴れるか

人間の真の生き様、その目的とは何か。 安全に、楽に、得をして生きることか? 自分の好きなことをして楽しんで生きることか? それとも他にあるか? 一つの真理は、今世運よく、財産を得、名声を得たとしても、それが人間の最終ゴールではないということだ。 「え?そうなの?親は将来のために貯金をしなさいって。それから良い学校に入れれば、大きな会社に就職できて、安定した生活が出来るようになるから勉強がんばりなさいって。それがあなたの一番の幸せだって…。もし、そうじゃないとしたら、

魂を成長させる機会は、この世にしかない。

人間は、一生涯に、運が良ければ三度、輪廻転生を繰り返す。 この世で100年、あの世で300年。 魂を成長させる機会は、この世にしかない。 だからこの世は厳しい。 修行が前提のこの世。 100年とはいえ、一日一日、死に向かって生きている。 己、この与えられた貴重な機会を本気で大切に思って生きているか。 あの世の300年の不自由さに耐え、ようやく自由を得た身。 思う存分に生きなくてどうする。 人の目を気にして、あっちに行ったり、こっちに行ったり、あれもこれも中途

実相は、己の生き様を全て記録している。

人間、皆、死んだらあの世に逝く。 死んで終わりではない。 そこで「己、確信を持って、善に生きたか?」と問われる。 ほとんどの人間が、「はい。私は善きに生きました」と答える。 しかし、実相はそうはみない。己の生き様を全て記録している。 己が好もうが好まざろうが、完璧に隠していたと思っていることも全て。 善でない行為、不善、微悪、極悪の類まで、すべて証拠を見せられる。 「ああ、神様、どうかご勘弁を…私はそれでも一生懸命に生きてきたつもりです。多少の不備はあったにせよ

あらゆる行いが、金銭に換算されてしまう世。

見返りを気にしすぎる世になっていないか。 善は普通。 当たり前の所業。 当たり前のことをしたまでで、それに対し、何かを只管待っている輩があまりにも多いことか。 これ、現代の社会の仕組みに問題あり。 あらゆる行いが、金銭に換算されてしまう世。 実相は、やって当たり前なのだから、本来、見返りを与えるなどという行為はない。 全ての人間が、善行を行えば、対価などという言葉は必要なくなる。 やって当たり前の世。 これが実現できれば、もう少し、地球は本当に存続できる。

真理を知ろうとすることは、自分を知ろうとするのと同じ。

己、真理に至らぬのは、己自身が知ろうとしないから故に。 真理を知ろうとする心、真理に近づこうとする心。 この思いが有るか否か、真理に対し真剣に取り組むか、いい加減に取り組むかで、それによって結果は自明の理。 真理を知ろうとすることは、実は、自分を知ろうとするのと同じ。 それは、宇宙を知ろうとするのと同じであり、人類の由来、人間の生きる目的を知るのと同じ。 そして、過去と未来を知るのと同じこと。 真理が分かってくれば、3次元にいながら、上の次元のことが分ってくる。

人間の宿命とは何か

人生の大いなる宿命。 その一つに、生涯学び続ける、ということがある。 お主ら、学び続けているか? もうこれで十分学んだ、もう終わり、ということはない。 命の灯がついえるまで、人間は、学び続けなければならぬ。 これが実相における宿命。 「なあんだ。そんな簡単なこと、やってますよ。学校出て、社会人になってからも、本とかセミナーとか資格とかで勉強は続けています。それが何か?」 「ええ?一生勉強なんてムリ!学校の勉強だってつらくて早く終わりにしたいのに、一生ずっとなんて

相手は、変わらないし、変えることは出来ない。

己、苦しければ、自らを改めよ。 心底“良くなりたい”と願うのであれば、自分が変わるしかない。 これしかない。 父、母、夫、妻、子供、仕事の上司、同僚、教師、隣人、友人、知人、政治家、経営者、国、世界の所為にしたところで、何一つ変わることも、良くなることも、楽になることもない。 絶対にない。 相手は、変わらないし、変えることは出来ない。 これ、望もうが望まなかろうが、道理。己自身を鏡で見てみよ。 これまでの生き方や、生活態度が、今の己を形成している。 誰かに謀ら

人間全てに与えられた真理。

人間、過去世で人として仕上がることが出来たならば、この世には生まれて来ない。 この世で生きている人間すべて、人生の課題、即ち”業”を持って生まれて来ている。 「え?ということは、私には、何かやらなければならないことがあるっていうこと?それ、教えてほしい!まったく想像もつきません…」 「そんな過去世だのなんだのって、宗教の話は御免です。人間の生涯は1回きり。だから、思いっきりやりたいことやって、人生楽しみます!」 「私には、過去世があって、そこでどのような課題を抱えてい

努力は無駄だと思っている

未熟な人間が、人として仕上がるために出来ること。 それは、反省、忍耐、努力しかない。 これしかない。 残念ながら、人生一足飛びはない。 己の人生の目的、使命がはっきりしたのなら、あとは一心不乱に、そこに辿り着くまで、自らを省みて、耐え忍び、努力を続けるしかない。 現代は、これを否定している。 だから、良くなるどころか、悪くなる一方であることを自覚すべし。 現代の人間は、反省の仕方、忍耐の度合い、努力を続けることの本当の有用性を知らない。 知らないから、実行しな