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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年1月の記事一覧

逆境から逃げることなかれ

「逆境」は恵み。「逆境」は宝。その逆境こそが、人間を鍛え、育て、善くする。「逆境」は辛い。「逆境」は避けたい。その逆境から逃げてばかりいると、人間、落魄れていく。なぜならば、人間、死ぬほどに悩み、苦しみ、考え抜くことが出来なければ真理を悟れないようになっている。即ち、それが実相であり、この地(第三世界・陰の国)に生きる宿命。しかし、人によってそれぞれ境遇や苦境の種が違う。それはなぜなのか。それは、長い人生の輪廻転生の中で、過去、どれだけ苦労や逆境に立ち向かい、悟ってきているか

本当の運

生きることに必死になる。自力で奮闘をする。どのような困難に遭ったとしても、あきらめないで頑張れ。何事も、死ぬ気で立ち向かえば何とかなる。がんばって、がんばって、がんばりぬけ。努力奮闘。頑張り抜けば、いつか必ず報われる。天も神も仏もご先祖様もみんなで見てくれている。それは皆々からの鍛えであり、情であり、恵みなのである。結果が出ないのであれば、潔く原点に立ち返る。もう一度、見直し、あきらめずにがんばれ。本当の運は、そうして付いてくる。 そのことを肝に銘じ、今日一日を努力します。

なぜ気付けぬのか?

お金が人生を良くするのではない。財産や物に溢れていることが本当の幸福なのか。お金がなくては、何も解決できないようでは、人間たるものの価値がないということだ。お金が人間の価値を決めるのではない。有り余るほどのお金が有っても人間性の欠陥を修正できなければ、大事なものは離れ、最後は孤独に打ちひしがれることになる。本当の孤独は、お金で癒すことは出来ないということだ。人生の目的とは何ぞや?何の為にこの世に生を享けたのか。少なくとも、人生は、お金を持つこと、増やすことが目的ではないという

現代科学はなぜ限界を迎えているのか

科学の元は、どこにあるのか。人間界における科学の解明方法には、限界がある。なぜならば、目で見えることだけが正、としているからだ。真実は、誰が見ても解るところにはない。見えないところに科学の元、真実がある。即ち、元の元はどうして生まれたのか。誰がどのようにして創ったのか。そこを抜きにして、真実を捉えることが出来ない。人類は、宇宙の一部、宇宙の中で生きている限り、宇宙の規制を受けている。目に見えていることだけを正としていると、この実感も沸いてこない。人間の人生は、宇宙全体の中での

地獄とは何か

宇宙は広大。その中の小さな惑星が地球。この地球は、第三天国。第三世界。陰の国。ここは限りある有限の世界。この地球で人間として生まれ、生涯を生きる意味とは何か。元は宇宙は天国。初発はみな善人。そこから人生修行のため、善悪を持たされ、魂の旅に出る。この修行の場としての地球、即ち第三世界。この地で、平等に持たされた善悪により、悪を克服し、善を極めることが肝要とされる。しかし、修行の本来の意味、人生の意味を失念し、悪に塗れ、いい加減に生き、堕落していくから、地獄が生まれた。元々地獄な

分かったつもりになった時点で成長が止まる

上には上がある。この世において、人として仕上がれたとしても、更に上には上がある。従って、各々のそれぞれの長い人生は、終わりなき学習の場であり、様々な経験を経て、成長を志すべく宿命を負っている。であるから、人間、分かったつもりになった時点で成長が止まる。上には上があるのだから、進化向上をし続けなければならない。自身が少しでも成長することができれば、人類全体も成長したことになる。もっというと、本人が高いレベルで仕上がることが出来れば、繋がっている多くの先祖に対し、真の供養ができる

99.99点

人生修行における99.99点は、合格か。否、不合格。100点満点でないと、合格にはならない。また、この世に留まるしかない。0.01点の重み。0.01点欠けても合格にはならない厳しさがある。実相は、白か黒か。灰色はない。誰、知るまいと思いながらやったことを追求される。全て見られ、記録されている。これはSFの世界の話ではない。この世は、まったく自由な世界。しかし平等ではない世界。何故ならば、人間それぞれに異なった過去の生き様という基礎の上に、現在の姿(現実)がある。従って、出発点

一切合切を手放す

ゼロから再出発が出来る潔さはあるか。見栄や体裁はいらない。古いものにも拘ってはいけない。性根を入れ替えるには、一旦、ゼロになるしかない。ゼロになれると気持ちはサッパリする。気持ちの切り替えが大事。全てを脱ぎ捨て、これまでのことに感謝をして、静かに置いていくことが出来れば、また新しいものを預かれるようになる。先の真なるもの、大切なものを得るために、持っているものに固執せず、一切合切を手放すこと。苦しい時、追い詰められている時は、尚のこと早い方がいい。間違ってはいけないのは、それ

【追悼】ティク・ナット・ハン師

【追悼】私たちの心の師、ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)師が昨日、亡くなられました。享年95歳。森夕花先生に先ほど、瞑想の会の時に教えて頂きました。私自身も2015年頃から、ハン師の祈りに傾倒し、ことある毎に映像を見つめたり、日常の中に、瞑想を取り入れたりしていました。心の支えが、岸辺に打ち上げられた波が深くて広くて果てしない大海に帰っていくように、静かな本来の世界に帰って逝かれました。本当に有難う御座いました。合掌。

只、求めても何も得られないことを理解出来ている人間は少ない

今の人間は、代償を先に払わなければ得られない時代に生きている。即ち、初発(人類がこの世に生を享けた時)に、人間は、全てのものが与えられていた。しかし、人間は、時代とともに、多くのものを自ら失って(消失させて)きた。従って、今の人間は、欲するものがあったとしても、その代償を払ってからでないと、もはや与えられない状態になっているということだ。只、求めても何も得られないことを理解出来ている人間は少ない。どうすれば代償を払うことができるのか。自分自身が、長い人生において、何をしてきた

人生本気で良くしたいのであれば

物事を形成、維持していく際に最も必要なこと。それは「真善美」。これこそ本流。真のもの、善きもの、美しいものであること。人間は、これを目指していくこと。今の世は、その逆をいっている。本当でないものがまかり通り、いい加減で中途半端で、豊かでなく、真に役立つものではないものであふれている。それにどっぷりと漬かり、心地よいものと勘違いしているのが今の人間。従って、このままであれば、本流に乗れず、必要性の乏しいものとなり、生命が弱く、生かされないものに落魄れ、枯れて、滅ぶという流れにな

目の前の利を追いかけることはしない

人生は長い。死んでも続く。少しずつ生成化育していく。そのことが分らないと、人間、目の前の利を追いかける。損か得かで判断する。もし、人生は長く、その目的を理解できているのであれば、目の前の利を追いかけることはしない。損か得かで判断もしない。人間は、生まれつきは無垢。未知の存在である。その時点では、善人とも悪人ともならない。人間、死ぬまで生きてみなければ、善人なのか、悪人なのか分からない。善人だったのか、悪人だったのかは死んでみなければ分からない。従って、今この生き様次第というこ

相応の原理

人間は生かされている。しかし、人間は、単に生かされているだけではない。何もしなければ生かされない。良く生きようという「気」がなければ、よく生かされることはない。従って、人間は、良く生きようとすれば、より良く生かされる。これを相応の原理と云う。これは人間界のみならず、人間と自然界との関係の中でもこの原理が働く。心を整え、一片の曇りもなく、真っすぐに道を行く。より良く生きようという気があれば、たとえ荒野にいたとしても道は啓き、照らされる。月夜や風が教えてくれる。この生かし、生かさ

第4期 船出

感性!あ、いや完成! 【ダイジェスト版】第4期ショック・コヒーレント基礎講座①VUCA・止まらない有事に脅かされる世界/エントロピー増大の法則とは何か?(2022年1月18日) https://youtu.be/Tb8HQVy589Q こちらも更新しました!フルバージョンはこちらから!■第1〜4期「ショック・コヒーレント基礎講座」アーカイブ・オンデマンド映像集(有料)第4期ショック・コヒーレント基礎講座①(2022年1月18日)VUCA・止まらない有事に脅かされる世界/エン