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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年4月の記事一覧

2種類の失敗

人間は、失敗をしないと成功しない。これが本当の良い流れ。成功出来ないのは、失敗を恐れ、何もしないから。では、失敗はどうすれば起こるのか。失敗には2種類ある。一つは、悪行からのもの。これは業が深くなる。もう一つは、善行からの失敗。即ち、最善を尽くした上の失敗。「最善を尽くす」とは、今の自分に出来る最高の事をやり切るという意。この善行からの失敗は、成長につながる。必ず何等かの教訓を得ることが出来る。その教訓は人生を加速させる触媒となる。しかし、いずれの失敗も、人や何かの所為にした

「正直者は馬鹿をみる」は本当か?

本音と建て前を使い分けて、目先のこと、損得勘定で行動していないか。一見、賢そうに見えるこの生き方では、真の運命は開けない。なぜか。自分自身を偽って生きているからである。日々を正直に生きているか、不正直に生きているのか。「正直者は馬鹿をみる」という俗語があるが、これは否。「正直者は徳を得る」が真理。人間には誰もが二面性を備えている。これは紛れもない事実であり、聖者ですらこれを持つ。しかし、それを選択するのは、自分。どのように生きるのかも自分次第。自然体で誠実に生きるのか、利己的

運命は、全部自分自身が作ってきたもの

運命とは、命を運ぶという構成になっている。運命は他力本願でなく、他人の所為でも影響でもない。自分の命をどう運ぶかは、全て自分で選択し、決断し、実行するか否かに掛かっている。夢も希望も持たず、自分の運命を良くしたいという思いもなく、努力もしない人は、自己実現など出来るはずがない。自分の今の運命は、全部自分自身が作ってきたもの。人間の初発として生まれてから今日に至るまでの間、自分が何を考え、どの様に生きてきたかということの現れ、その生き方が、運命の原点となっている。全ては必然が支

今やるべきことに集中し、経験を積み、人間性を高めていくしか、道はない

人は、自分以上の人には出会えない。それが真理。出会いたい人、学びたい人、結ばれたい人がいるのであれば、自分自身の中身(人間性)を高め、向上させていくしかない。仕事も同じ。自分自身の中身以上の仕事はやって来ない。良いチャンスを狙っていたとしても、そのようなものは決して巡ってこない。肝心なことは、自分のやるべき事、やらねばならない事を悟り、粛々とそれを行い、身に着けていく他にないのである。成功した人の話を聞いて、真似てやってみたところで、同等の結果が出ないのも同じこと。なぜならば

ふと立ち止まり、空を見上げてみるといい

足元があぶないからと、下ばかりを見て歩いている。足元の世界は、小さくミクロの世界。そして足元は現実であり目先のこと。この営みは必要なことではあるが、足元ばかり、目先のことばかりに気を取られ過ぎてはいないか。忙しない日常の中で、目まぐるしく時は過ぎていく。しかし、それだけでは目が回るし、自分が一体何者で、どこに向かおうとしていているのかが分からなくなってしまう。ふと立ち止まり、空を見上げてみるといい。空は広大で、その先には、宇宙と繋がっている。呼吸を整え、目線をぐっと高めること

潜在意識

人間の顕在化した意識は、ほんの数%にすぎない。その奥に眠る潜在意識や才能をどう活性化させられるか。潜在意識が眠ったままの状態では、人間の成功や成長は成し遂げられない。どのようにしてその潜在意識にアクセスし、掘り起こしていくか。それは、何かの拍子で、突如現れるたぐいのものではない。経験を積み、努力を重ね、感性を研ぎ澄ます日々を送らねば、潜在意識への道は閉ざされたまま。毎日をその日暮らしで、いい加減に、のんべんだらりと生きている人間には、その道の扉は開かれない。しかし、真理はさら

過去の精算

全ては過去の生き様に起因する。過去とは、今世のことだけではないから混乱も起こる。苦難の度合いが激しいこともある。それは全て、自分自身に関わりのあること。今の苦難から逃れようとしても、何処までも追いかけてくる。なぜか。それが今、当人にとって必要な精算事だからである。死ぬような苦しみを感じてしまうこともあろう。しかし、乗り越えられない苦難は与えられない。全ては当人を向上させるために起きていること。決して当人を潰そうとして起こることではない。それが真実。そのことが分かれば、「なんで

まずは根っ子を見よ!

木の根は、人間でいえば、意識・思考をつかさどる元。木の根は地中にあり、見えない。人間の意識や思考も見えない。見えないということはゼロの世界。このゼロの世界が、見える世界の元になっている。木の根は、大地に深く広く広がり、水分や養分を得るだけではなく、地中の中で、菌糸どうしがシナプスを張り巡らせ、互いの木や草花たちと連絡を取り合っている。人間も本来は、意識や思考の世界での互いのやり取りが可能な時もあったが、今やその能力も絶え絶えになってしまっている。この目には見えないゼロの世界、

その一瞬の人間性を見逃しはしない

人間性を問われている。信じようと信じまいと、全ては人間性を見られている。自負の善人であろうが、その一瞬の我欲を見逃しはしない。自負の悪人であろうが、その一瞬の人間性を見逃しはしない。善は栄える。そして悪は滅ぶ。悪は強いようでも弱い。善、まさにこれは強い。今この瞬間、強いように見えていても、物カネであふれ豊かで幸福そうに見えていても、人間性の未熟さを認め、鍛錬をせず、我欲にまみれた思考に憑りつかれているならば、遅かれ早かれ堕とされていく。今それに気付いて改めるならば何とかなろう

安請け合いは決してされない

この人生は、訳もなく与えられている時間ではない。「この世での限られた人生」という有限の時間の中でその生き様を問われていく人生であるということを受け入れ、如何に全うしていくか。思うようにならないのは、自分自身の日々の生き様に問題があることを認識しなければならない。今、今、今の積み重ねである今の大切な時間を、いい加減に考え、いい加減な生き方をしていると、いくら嘆いてみても、道理の結果として、いい加減な現実みる将来となるだけ。お願い事、救い、許しを乞い唱えたとしても、安請け合いは決

この世に生まれ出た理由

人生というものは、汗もかかずに、苦労もせずに、楽して生きられるものではない。そのような楽な時もあるやもしれぬが、一瞬のこと。人生の大半は、苦労の連続。なぜならば、その苦労をするために自らこの世に生まれてきていることを忘れるなかれ。「人生は、できる限り楽に、楽しくさえあればいい」という者がいる。それでもよかろう。それが努力や忍耐によって成し遂げられたものであるならば。しかし、そうではなく、楽を前提に生きようとするならば、そこにはより苦難の道が待っている。人は、多かれ少なかれ、努

苦言は薬、飲むか飲まぬか、その人なりて

何が起こっても、誰に対しても、自分自身の態度や姿勢は変えないこと。苦境に立たされても、酷い叱責を受けようとも、苦手な人に怪訝を言われても、自分の心の在り様は、常に変えないこと。もし関係が拗れ、捻じれてしまうようなことが起こってしまったならば、気付いたら直ぐに行動し、どんな些細なことであっても、感情的にならずに、その都度、落ち着いて、冷静に対応し、片づけておくこと。まずは自分の在り様を振り返り正すこと。事態は、自分が作り出していることを自覚すること。苦言は薬、飲むか飲まぬか、そ

自然との調和を図る触媒

地球誕生から46億5000万年。地球を生命体とするならば、老齢期に入っていると言われている。この地球も有限。その寿命にも限度がある。人間は、多くの生物と共に、この奇跡の星に住まわせてもらっている。私たちの命は、地球の生きてきた時間と比べれば、瞬きにも満たない。その人間という種が、この星にとって、脅威の存在となってしまっている。なぜか。人間の地球における役割を忘れてしまったからである。人間は、その命の営みによって、大和の道を作り上げること、即ち、自然との調和を図る触媒であること

宇宙がどのような仕組みで在り、人間が生かされているか

眼に視えるものだけが真実だと捉えていると必ず行き詰まる。物理学や化学、生命学などの科学界の見方はどうしても片手落ちとなる。眼に視えないものの中にこそ、真実が在る。この眼に視えない世界を精神界としたならば、この科学界と精神界の両面を見ることで宇宙の真理を正しく理解することが出来る。地球がなぜとてつもない速さで回転をしているのか。その地上で生きている人間は、なぜ、その回転速度(時速約1700km)に耐えられるのか。なぜ、朝目が覚めると瞼が上がるのか。なぜ、食べ物や水を補給しないと