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せっかく札幌に旅行に来たので、全国上映中の映画「エゴイスト」を観ました。

この作品のことを知ったのはふとTwitterで流れてきた公式アカウントの投稿からだったか。

鈴木亮平と宮沢氷魚の2人がゲイカップルを演じるということ。
LGBTQが題材かな。
それだけで俄然観たくなった。
私が映画を観たくなるきっかけなんてそんなものです。
ない知識で、興味だけで観る。

観たいと思っていたもののなかなか足が進まず、札幌旅行にきたので今こそ観ようと観光の間に映画館へ。
遠出すると映画観たくなりますよね。

すみません、本題、映画の感想。
ここからはネタバレしかないので、まだ観てない方はご自身でご判断ください。
そしてうる覚えの部分もあり細かいところは違ってるかもしれないけれど、私の記憶と同じく、読んだことは忘れてください。

以下公式サイトよりあらすじです。

14 歳で⺟を失い、⽥舎町でゲイである⾃分を隠して鬱屈とした思春期を過ごした浩輔。今は東京の出版社でファッション誌の編集者として働き、仕事が終われば気の置けない友人たちと気ままな時間を過ごしている。そんな彼が出会ったのは、シングルマザーである⺟を⽀えながら暮らす、パーソナルトレーナーの龍太。
自分を守る鎧のようにハイブランドの服に身を包み、気ままながらもどこか虚勢を張って生きている浩輔と、最初は戸惑いながらも浩輔から差し伸べられた救いの手をとった、自分の美しさに無頓着で健気な龍太。惹かれ合った2人は、時に龍太の⺟も交えながら満ち⾜りた時間を重ねていく。亡き⺟への想いを抱えた浩輔にとって、⺟に寄り添う龍太をサポートし、愛し合う時間は幸せなものだった。しかし彼らの前に突然、思いもよらない運命が押し寄せる――。

映画「エゴイスト」公式HPより

映画を観た後に改めて読み直すと、なるほど。
浩輔と龍太の対比でまず、浩輔はハイブランドで着飾ることで自分を強く見せる。一方で龍太は、自分には無頓着であり、着飾ることなく在るがまま。
ここが、大事なポイントだったのかと思うと、浩輔にだけかな。龍太は正直少し違う気もする。
まぁそんなことは置いておいて。

浩輔と龍太が出会うのは、浩輔がパーソナルトレーナーとして龍太を紹介してもらってから。
出会って初日のトレーニング時、すでに浩輔はロックオン。綺麗だねと猛アタック。
トレーニング後にカフェでの会話、龍太が母のために夜にも仕事をしている話が出る。浩輔は関心する。また浩輔は、母のことを思い出すんだ。14歳の時に死んだ母。

2回目くらい?(映画では)で、ついに龍太が浩輔にキスをする。
浩輔は「どう意味?」と戸惑い龍太へ聞くが、龍太は「魅力的だから」のような曖昧でありながら素直な言葉で返す。そのまま浩輔のマンションへ行き、身体を重ねる。
ちなみに腐女子的思考ですまんが、この時、浩輔が受けです。ネコです。そっちなんかい。

作中のセックスシーンはここまでやるんだとびっくりした。日本のゲイのセックスシーンの中でもかなりリアル=生々しい(実際見たことは無いが)。
ただ演者2人があまりにもお見事で、リアル=現実的に感じて、私自身の心も熱を帯びた。
こうやって好きな人ができるのか。ただやりたいだけの気持ちかもしれないけど、好きになっていくのか、と。

最初、浩輔の豪華な空間を体験できて龍太は浮かれてるようにも見えたけど、実際はどんな気持ちだったんだろうか。浩輔のガウンを羽織り、絵画の瞳と目を合わせ、浩輔の淹れたコーヒーを飲む。自身の暮らしとは全く違う空間。龍太にとって、浩輔はどんな人だったんだろう。
正直、それはわからない。
つまりだな、これは作者高山真氏(2020年にお亡くなりになっていた)の自伝的な物語、だから自身以外の心情は見えにくい。でも、それで良い。その時点で「エゴイスト」のタイトル回収フラグだ。

そのまま2人は、浩輔のマンションで過ごし、コーヒーを飲み、出勤を見送り、夜はセックスもしちゃう生活。大事な要素が抜けてた。浩輔は龍太にいつも手土産を渡す。「これ、お母さんに」と。最初は龍太には高くて買えないものだし、龍太は戸惑い拒んだけど、浩輔のまっすぐな気持ちをまっすぐに受け取ることにする。

ちなみにもう一度腐った思考でごめんなさい、別のセックスシーンで、シャワーのところは龍太がネコだった。まぁ、もはやそんなことどうでもええ。

とある日、いつものように朝を迎えた2人。龍太を見送る際にいつもと同じように手土産を渡す浩輔。龍太は受け取れない。なんでか。
そう、龍太の夜の仕事は「ウリ」だった。浩輔のことが好きだから、仕事がうまくできなくなってしまった。だから別れを決める。

この後の龍太の描写が辛かった。毎度違う男の相手をする。宮沢氷魚さん、お見事です。

浩輔は去ってしまった龍太を探し出し、龍太に「俺がおまえを買う」と、お金を渡したい、だからもうウリはやめて足りない分は別の仕事をしてと懇願する。龍太は泣きながら、その願いを受け入れる。

浩輔のこの優しさが正直怖くも感じた。ここまで他人に対して捧げられるものなのかと。というのもここまでで浩輔にとって龍太でなければならない理由がなかなか掴めない。本当に愛していたのか。また、浩輔が離したくないのは龍太だったのか、それとも母を支える龍太だったのか。この両者は同じ龍太だけれども本質が違う。
好きになるべく相手だったのだろか。でも愛なんてそんなものか。

龍太もそれ以降皿洗いの仕事と廃棄処分の仕事で昼夜忙しく疲れの溜まる毎日になった。でも浩輔との時間も短いけれど幸せで、自身の家にも呼び、龍太の母、妙子にも歓迎された。でも2人が付き合ってることは内緒。浩輔は自分の母のこともまた思い出す。

そしてその日は突然で。
龍太、死ぬ。

ほんとびっくりした。龍太の母、妙子が死ぬかと思ったら、龍太が死んだ。

龍太の葬儀で泣き崩れる浩輔に、妙子は、あなたが龍太の大切な人なんでしょと声をかける。女でも男でも大切な人は関係ないと。妙子は知っていた。

ここから、浩輔と妙子の構図に。

浩輔は、龍太に渡していたように生活費を妙子にも渡そうとする。頑なに断る妙子に「自分が龍太にしていたことを無かったことにはできない」と最後に伝えてやっと受け取ってもらえた。ここの2人の空間が、親子でもなく他人同士の距離で、不思議だった。この2人は、子のようになりたい男と、子を失った女だ。

献身的に妙子を支える浩輔。
家族でもないのに生活費をわたし、良い果物や生活用品を買って妙子のアパートに通う。
かつ、浩輔は一緒にすまないかと提案までする。さすがに妙子は断るが、そりゃそうだろ。断る。家族でもないのに、だ。なんともこの男は奇妙に感じられた。

とある日、妙子が留守にする。1週間前に入院したとのこと。妙子はステージ4のガンだった。
その話を打ち明けられた時、浩輔は涙を浮かべ謝る。自分が龍太に無理をさせて働かせてしまった、そのせいで妙子の病気に気づけなかったと。でも妙子は自分と息子を愛してくれた浩輔に感謝する。そこで浩輔は泣きながら「愛がなんなのかよくわからないです。」と。

なるほどな。ここだ、この物語。
果たして浩輔は龍太を愛していたのだろうか。自分が救えなかった母を思い出し、母のために必死に生きる龍太に自分の気持ちを押し付け、妙子のことを支えようとしていたのではないか。それは愛していたのか、と。何を愛していたのかと。
浩輔が愛していたのは母ではないか?
じゃあ、龍太は?妙子は?
妙子の言うように「愛してくれた」の愛は何?
これが浩輔にもわからないのなら、私にもわからない。でも龍太への愛はいつしか、母への愛の具現化に変わっていたようには感じた。
龍太と母に手を合わせる男にはもう妙子しかいない。

弱っている妙子を母と重ねながら、浩輔はまた献身的に病院へ通う。
同室の患者に息子と間違えられ、最初は否定していたものの肯定する妙子。妙子の中でも浩輔の存在は大きかったんだろう。
もうかなり弱っている妙子を見守り、浩輔が帰ろうとするところ妙子はまだ居てと手を握る。浩輔はあたたかく妙子を見つめる。

ここで、映画は終わり。
妙子、死なない。
きっと後10分くらい長ければ、このエンディングを迎えていたかもしれない。きっとすぐに亡くなってしまうだろう。
でもここで終わったことの意味も考えると、この作品はやはり「浩輔の母への愛」の話だった。

浩輔は龍太を利用した、となるのか。そこは私は違うと思う。龍太のことを好きなのは確かで、それはもちろん美しさ、可愛さ、そして母を支える優しさ。全部好きだったと思う。
ただ、龍太を自分と重ね、自分が母にできなかったことをしている(してくれている)存在であり、浩輔の想いや気持ちを満たしてくれる存在ではあった。
浩輔は自己犠牲を伴いながらも龍太を、龍太の奥にいる妙子を支え、いつしか母のように妙子を想い、自分の母への愛を満たしていく。

浩輔は、自身も恐れるほどに、利己主義者の本来の意味のように周りのことを排除し実現していくほど強くはなくとも、確実に自身の母への愛を形にしていくのがなんとも恐ろしく切なかった「エゴイスト」であった。

と、だらだらと書いたけれど、この物語がLGBTQが題材ではない。これはマイノリティではなく、普遍的な物語であるべきこと、と私は思う。ゲイだから起こった話ではなく、それがゲイだったから選択肢が狭くなりできることもできなかった、ということがたくさんあるということ。それはやはり社会的に問題なわけだ。この作品の中だと、選べる仕事がウリだった、家族に彼氏がいると紹介できなかった、現実もっとたくさんあると思う。こういう事象で悩み苦しむ人たちがいるのはマイノリティであるから、ではなく同性も異性もどんな人間も数で人生を左右されるべきではない。

ちなみに鈴木亮平さん、宮沢氷魚さんのお二方は本当に素晴らしかった。セックスシーンはマジでそこまでやっちゃうのってところまであります。龍太のウリのシーン、宮沢氷魚さんの相手の方々(複数)はなかなかの中年の方もいたりで、物語の流れと撮影のことも考えちゃってなんか…私が泣きそうになった。
ちなみに、宮沢氷魚さんは映画「his」でもゲイの役をされてますが、それもとても良いのでおススメしときます。

最後に、浩輔が自身の母と妙子を重ねてしまったように、ガンで弱っていく妙子の姿を私も誰かと重ねてしまったわけで。

そんなもんなんだ、人間は。
愛は利己である。

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