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殺人現場からいなくなった犬『犬を盗む』感想
表紙のわんこの目がうるうるとしながら、こちらに訴えかけてきまして。これは読むしかないね。
あらすじ
資産家の高齢女性が殺された現場には、犬がいたはずだ。しかし、その犬がどこにも見当たらない。
犯人は本当に金目当てだったのか?
もしかして……犬が目的?
殺人現場にいたはずの犬をめぐって、それぞれの人間たちの思惑が混ざり合っていく。
真実は犬だけが知っている……かも。
ネタバレなし感想
とても文章が読みやすい。
小説って、文章としてすごく美しいんだけど、意味が頭にスッと入ってこない。っていう文章を書く方がちらほらいらっしゃる(特に高齢の作家さんの文章は、超綺麗だけど難解に感じる)。
それはもちろん、読者であるこの私の頭が足りないのが理由であるが、私はもう疲れているので難しい文章がそう読めない。
にもかかわらず、平易で読みやすく、意味がわかりやすい文章。
本のページ数も少なくて、一気に読み終えてしまった。
内容も、何人かの人物の視点を点々としていく中で、あっちの謎、こっちの謎がやがて一本に繋がっていくのが心地いい。
謎自体は複雑でなく、ある程度あたりがつくものなので、「自ら探偵役となり、複雑な謎を解くのを楽しみたい」タイプの方にはあまり向いてないかも。
「非常に現代的な問題」の提起も所々に見られ、犯罪系の社会問題に関心ある方にもおすすめ。
ネタバレあり感想
法は倫理の味方じゃない
作中でも体現されていることだけど、法律って、倫理を担保するものではない。
宮内は多頭飼育崩壊を起こし、何匹もの犬を不幸にしている。もし人間の子供に同じようなことをしたら、虐待として逮捕されるだろう。
しかし相手は犬だ。だから法的には何の問題もない。
対して木戸タカ子は、宮内から犬を盗んだ。その結果として、チロは不幸な環境から脱し、幸福となったわけだが、法的にはこれは「窃盗」にあたる。
宮内は法を犯してない。
木戸タカ子は犯罪者だ。
これが法的な視点に立った場合の見方であるが、「倫理的に悪いのはどちらですか?」と聞いた場合、答えは全く逆になるだろう。
このことからも、法というものは倫理のためにあるわけではないことがよくわかる。
学生の頃から思ってたけど、これ本当に問題だと思うんだよな。
倫理的に間違ってるのに、法律では裁けないというパターンが多すぎる。
刑法の本とか読むと、「法は倫理を守らせるためにあるものではない」とは書いてあるんだけど、でも「人を殺してはいけません」って倫理か宗教じゃないか、と思う。
法クラスタ的には、法は倫理のためにないから、法で裁けない倫理違反があってもセーフなんだろうけど、それは法が追いついてないだけで、実質的に法は倫理のためにあるだろ、といつも思う。
現実の犯罪に法整備が全然追いついてない。
特に動物•子供•女の権利って法整備が追いついてないな〜と思う部分が多い。
具体的出すと、動物殺しても刑法的には「器物損壊」だったり、「親権」が強すぎて子供が虐待から守られてなかったり、性犯罪が適切に処罰されなかったり。
法律ってなんのためにあるかわからなくなってくる。弱者を守るためにあるべきだと思うんだけどね……。
人は死んでもいいけど犬はダメ
松本が人より犬の命を重んじる考えをしてるけど、この考えをする人って現代日本にたくさんいるよなと思う。
最近あった羽田の航空機事故でも、海上保安官が5名亡くなっているのに、ネットではペットが2匹亡くなったことの方が、はるかに多く注目を浴びていた。
あと、ホラー映画で人が死ぬのはいいけど、犬が死ぬのは見れないっていう人、一定数いるよね。
こういう心理って、一般的な人々からしたら「意味がわからん」って思うだろう。
推測に過ぎないけど、「ペット重視」の人たちって、「人間」というものに失望しているのではないだろうか。
人間は醜く愚かだ。宮内のように、犯罪者ではない倫理違反者が跳梁跋扈してたりする。
「悪」が適切に裁かれず、正直者が馬鹿を見る世界。
対してペットというものはとても清らかで、純粋な存在だ。「悪意」がない。愚かな人間にも優しさと癒しを振り撒き、信じてついてきてくれる、愛にあふれた存在。
そういう比較をした結果、人間とかいう汚い生き物より、ペットという清らかな存在の命の方に、重みを感じているんじゃないだろうか。
人間によって傷ついてきた心を、ペットに救われてきた人たちなんだと思う。
かくいう私も、猫が死ぬ描写がかなり苦手で見ることができない(犬は平気)。
個人的には、どっちが正しいとかないと思うので、ペットの命の方が重いって思うのも個人の自由だと感じている。
私だって危機的状況で、見知らぬ人間と飼い猫どちらしか助けられないなら、飼い猫助けるしね。
罪を償うことはできる?
松本に関して、法による裁きを受け、罪を償ったといえる、みたいな描写がでてきたけど、これは松本が殺したのが毒親だったから言えることだよな、と感じた。
この両親は松本に教育虐待をしており、テストの点が悪いのを理由にムサシ(犬)を撲殺するとかいう、ヤバすぎる親だ。
正直、松本が両親を殺しても、それは「ムサシの仇」であって、虐待への復讐にしかみえない。
つまり、私的な欲望で殺してた場合は、松本に対する印象がかなり変わったと思う。
例えば、「親の遺産が入れば一生遊んで暮らせると思ったから」とか。そういう身勝手な理由だったならば、松本に対して「お前何犬飼って細々としているけど楽しげな生活送ってんだよ」と思っただろう。
松本は一生罪を背負っていく覚悟だったが、やはり人間の命を軽視する根本的考えは変わってないし、何を持って「更生した」と見るかは難しい。
ていうか、殺人において「償い」って不可能だと思うし……
なので、ハッピーエンドにするためには、松本の親を毒親にしておくのは絶対必要なことだったと思う。うまいなあ〜。
小野寺について
余談だけど、小野寺のやったことに対しては私はあまり責められないのかなと思った。
小野寺の行為は「歪んだ正義」的に評されていたが、犬をも殺した殺人犯が、近所でのうのうと生きており、また犬を飼ってると思えば、私でも同じことをするだろう。
小野寺は真実を知らないわけだしね。
小野寺自身が放火をしたわけでもないし、放火行為を招いたわけでもない。松本が「人を殺した」代償として、一生消えない他人からの過去の詮索が付きまとうのは、仕方ないし、それも社会的な罰の一環だと思う。
「歪んだ正義」とかじゃなくて、明らかに正義ではない。だけど、許容すべき嫌さなのかなと思った。
ところで、小野寺の行為は「犯罪行為」と言われていたけど、何罪にあたるのだろう?
プライバシーの侵害自体は刑法犯にならないと思うんだけど。名誉毀損に当たるってことかな?公共性の要件満たさないのかな?
「犯罪」というか、「違法行為」で民法での損害賠償を争うって形になる気がするけど……あくまでも小野寺の夫目線でということかな。
ちなみにこの本を勧めてくれた彼氏に、小野寺についてどう思うか聞いてみたら、「小野寺の夫と同じ意見」と言われた。
「自分の今の生活を守ることが1番大事。それをして何になるの?と思っちゃう。
自分たちの生活よりもそっちを優先してたら、何やってんの?と思うから、夫と同意見だね。」
とのことでした。
小野寺と同じことにならないように気をつけます……。
おわり
読みやすくておすすめ!
犬好きの人には特に共感できるところが多いかもね。
表紙のわんちゃんもかわいい。
ここまで読んでくれてありがとう〜。
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