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鬱の難関・風呂をどう倒す?『うつの人の風呂の入り方』感想
鬱病経験者ならわかると思うけど、鬱が深まると風呂に入れない。
私は過去、風呂に入れなくて3日経つと、「風呂に入る辛さ<自分が汚いことによるストレス」となり、なんとか風呂に入っていた。
「風呂に入ること」は、鬱の人にとって倒すべき強大な敵なのだ。
そんな人たちに向けたライフハックを教えてくれるのが、本書『うつの人の風呂の入り方/秋田巌』である。
本の内容
題名は「風呂の入り方」と銘打っているものの、内容は風呂の入り方に限らない。
朝起きてから仕事に行き、風呂に入るまでの一連の流れを、どのようにクリアするかについて教えてくれる。
鬱の人は、なんでもない日常の動作にいちいちロックがかかってしまい、生きるだけでハードル走をしているかのように感じている。
そのロックをどうやって解除する?ハードルをどのように超える?という疑問に対し、対応を提示してくれる。
ひとつだけ注意点がある。
私がこの本を読んで思ったのが、「鬱が重い人向けではない」ということだ。
鬱が良くなってきたorなりかけの、「軽度〜中度」くらいの鬱の人にはおすすめだが、たぶん重度の鬱をかかえている人は、読んでて腹が立つと思う。
「こんなことできたら苦労しねえよ」
「そんな風に思えたら鬱になってねえよ」
みたいな感情が湧くと思う。
本の中でも、「希死念慮の強い場合は別です」と注意がなされているので、やはり本書は軽度〜中度の鬱向けだといえる。
軽い鬱の人からしたら、「薬や病院に通う以外で、自分でできる対策」を教えてくれるこの本はかなり参考になると思う。
基本鬱になって病院に行っても、「5分診療」と言われるくらい短い時間でさっと話をして、薬が処方されるだけだ。
そんな状況の中、「根本的に治そう」「家では自分でできることを教えよう」としてくれる医者は貴重だと思う。
自分の鬱の程度を見極めて、軽度〜中度に当たる人は、この本を手に取ることをおすすめする。
鬱を「自分で治す」
鬱の人はハードル走状態だということを前述したけれど、例えば「仕事に行く」なら、
・朝起きる
・布団から出る
・身支度をする
・家から出る
・電車に乗る
・会社に行く
という細かいハードルがあるわけだ。
このハードルたちのどれかにつまづいて、段々仕事に行けなくなったりする。
本書は、このハードルのひとつひとつの乗り越え方を教えてくれる。
「仕事に行く」というひとつの大きなハードルとして捉えるのではなく、細かいハードルが集まってると捉えてるところが、さすがお医者さん。鬱の解像度が高い。
ハードルを越える方法たちも、少し意識を変えるだけだったり、日常を工夫することだったりして、取り入れやすい。
なにより「自分1人でできる」ってところがいいよね。
私も今より鬱が深かったとき、病院に行っても薬を処方されて、「休んで」と言われるだけなのが嫌だった。休んでも休んでも光は見えず、「いつ治るのか」という焦燥感でいっぱいだった。
その中で、鬱を治すために「自分でもできる」方法を提示してもらえるのはありがたい。
「休む」が苦手な鬱の人たちからすると、今は休んでるのではなく、鬱を治そうと取り組んでいるのだ、くらい思えたら多少楽になるかもしれないしね。
ちなみに、「風呂に入る」を工夫する方法としては、こちらの記事に私なりの方法も書いてあるので参考にしてくれたら嬉しい。
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秋田巌先生の思想
本題からずれるけども。
本の中には著者である秋田巌先生の「思想」がちょくちょく出てくる。
それらが結構宗教色濃いので、苦手な人は苦手だと思う。
私は結構苦手な口だった。
かなり理想論というか、キリスト教の「原罪」とか「命は神のもの」という思想、ヴィーガンの思想とか、仏教の「地獄」という概念とか、その辺がわーっと混じった考え方をされているようだ。
「思想」については宗教とか個人の主義的に賛同できない部分が出てきた時、「思想が違うから人としても賛同できない」と捉える人がしばしばいる。
少なくとも本書において、そういう姿勢は得しないのでやめた方がいい。
著者の「思想」部分はさらりと読み飛ばし、方法論だけ拾うのが良いと思う。
なぜか私が出会ってきた精神科医たちも、ものすごく宗教っぽいことを言う人が多かった。
私からすると、鬱になった時点で「神なんていねえよ」と思っているので、宗教的なことを言われるとげんなりする。
医者なんだから、宗教じゃなくて科学で話してくれよ……と思ったりするのだけど、精神科医をやっていると、神や仏にすがりたくなるようなことが起きるのかもしれないね。
傷ついたヒーローたち
著者が提唱する概念の一つに、「Disfigured Hero(傷を生きる英雄)」というものがある。
理不尽で不幸な境遇により傷だらけになりながらも、運命を凌駕し天才的な才能を発揮していく人物……といったところだろうか。
この概念の代表例が「ブラック・ジャック」だそうだ。
Disfigured Heroは「傷が魅力にまで高まった状態」らしい。
確かに、彼の天才的才能もさることながら、彼の人間的魅力・人としての深みなどは、過去の傷から生まれ出たものかもしれない。
そう思うと、過去の傷があったからこそ「ブラック・ジャック」が完成したとも言える。
しかし、少年漫画の主人公ってほとんどDisfigured Heroだよな〜。炭治郎だって鬼に家族を殺されたから、鬼殺隊に入隊したわけだし、エドワード・エルリックだって、母親の錬成に失敗した結果、稀代の錬金術師になったわけだし……。
つまり、逆境や不幸な境遇は、時にはその人を作るのに欠かせない要素となっていくのだ(本人が望むと望むまいとかかわらず)。
不幸な境遇に育ったことが変えられないなら、私たちも傷を深みに変えていくことしかできない。
もちろん、最初から理不尽な目にあわないのが1番だけど。
辛い時は、自らを「Disfigured Hero」だと思い、鼓舞していこうと思った。
俺はエドワード・エルリックになるんだ……。
おわり
鬱病を治すために、自分でもできることがあるとわかると嬉しいね。
完全勝利までは長い戦いになるけども、なんとか生きていこう。
ここまで読んでくれてありがとう。
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