61年の刑務所生活『日本一長く服役した男』感想
日本一長く服役した男。
その年数なんと61年。
25歳の私は、61年という時間の途方もない長さがまだ想像できない。
いったいどんな凶悪犯なんだろう。どんなことをしたら、61年も刑務所にいなきゃいけなくなるんだろう。
想像を膨らませながら、ページをめくった。
あらすじ
61年もの間服役し、83歳で刑務所を仮釈放された男を、地方放送局の記者2人とディレクターが追う。
服役年数は日本一長い。
いったい何をして刑務所に入ったのか。
何を思って生きているのか。
「更生」と「刑罰」を巡る、密着ドキュメンタリー。
男の罪状
まず、「日本一長く服役した男」(以下A)の罪状・経歴について、軽く触れておく。
Aは、21歳の時に強盗殺人事件を起こしている。
店じまいをした後の女性のレジ金を狙い、ナイフで切りつけ殺害するという、身勝手で残忍な犯行だ。しかも女性の子供の目の前で。
子供だけは逃げて無事だったというのが不幸中の幸いか。
その後、無期懲役の判決を受け、熊本刑務所に服役。
トラブルも起こさず、模範囚として評価された。そのため、仮釈放の契機はあったものの、仮釈放後の受け入れ先が見つからず、83歳になるまでずっと服役していたようだ。
「自由」がわからない?
「袖をまくる」ことすら、自分の意思で自由に決められないAに驚いた。
刑務所の中ってなんでも決められていて、「自由」がない。
私は一度だけ少年院を見学したことがあるが、1日のスケジュールが細かく決められ、トイレまでも見張られていた。
刑務所も少年院も、まあ似たようなものだと考えると、確かに自分が自由にできる部分が極端に少ない。
そんな環境の中で61年も生きていたら、「自分で決める」という能力が退化してしまうのだろうか。
私がAだったら、刑務所の外に出た瞬間に「やったー!自由だ!」となって、お菓子買いまくったり寝まくったりすると思うんだけど。
刑務所の外に出ても、刑務所のルールが染み付いているAに、 61年という期間がいかに長いかを感じた。
また、記者たちに何を聞かれても「わからない」と答えるA。
年のせいもあるかもしれないが、彼は唯一自由でいられる「思想」すら、61年の刑務所生活の中で手放してしまったのかなと思った。
記者たちの視点への疑問
記者たちには、この本を読んだ人々に「更生とはなにかとか、無期懲役の制度について考えて欲しい」という狙いがあったようだ。
多分その狙いがあるからだと思うが、全体的に加害者よりの視点になっていると思う。
「加害者側」にずっとくっついて取材しているから、というのもあると思うが、最初からAに対して同情的な意見を形成させるために、材料を集めたという感じかした。
そう思った理由は、「被害者側」として出てきた人物に対して、「この人は特殊例じゃないか?」と思ったからだ。
「被害者側」として登場した2名の人物は、どちらも親を殺されている。しかし、犯人に対する強い恨みや関心を持っているわけではなく、ただ親と2度と会えない悲しみがあるだけだという。
そう聞くと、犯罪者に対して重い罰を与える意義を考えてしまうかもしれない。
だが、1名は小学生のときに親と疎遠になり、20年ほど会っていなかった母親を殺されている。そしてもう1名は、自身がかなり幼い時に母親を殺されている。
つまり「親」といっても、その愛着は一般家庭と比べ、かなり薄いのではないか。
親とのつながりが元々薄いのだから、犯人に強い恨みを抱かないのは当然だと思う。
「20年会っていません」という関係性で、「犯人を恨まない」とか言われても、「そりゃそうでしょうね」としか思わないのだが……。
また、ネットの意見について、被害者擁護的な意見を「勝手に被害者の意見を代弁している」だとか、重罰を望む意見に対し批判的な描写が見られた。
しかし、被害者擁護の声を上げる人は、「勝手に被害者の意見を代弁している」のではない。
そうでなくて、「自分が被害者だったら」という想定をした上で考えている、という方が実情に近いと思う。
そしてその想定ができない人が加害者側に立ち、その想定ができる人が被害者側に立っている、というのが現状ではないか(あとは、「中立」的立場の人)。
というわけで、わりと加害者に同情するような雰囲気がただよう本だった。
刑罰と更生に対する、私的意見
Aについて、運命を恨みたくなるような不幸な生い立ちということで、同情的な見方があった。
たしかに、犯罪を犯す人間の多くは、その生い立ちが不幸であったり、障害を抱えていたりする場合が多い。
だが、無関係な人を感情のまま殺しており、特に反省もしていない様子を見ると、生い立ちに同情する意味などない。
不幸な生い立ちでも、人を殺していない人の方が山ほどいる。身勝手な殺人犯は、一生不幸を背負うべきだ。
私の意見だが、「更生」などというものは所詮「自己満足」であると思う。
「更生」をしたから、殺された人が帰ってくるのか?残された障害が治るのか?心の傷が元に戻るのか?
答えは否だ。
「更生」などというあやふやな尺度を基準に、刑罰を与える今の制度は、極端に加害者に甘いといえる。
回復不可能なダメージを他者に与えた場合は、同様に、彼らの人生も回復不可能なダメージを負って然るべきだ。
だから、終身刑を増設し、死刑の範囲も拡大するべきだと思う。
死刑や終身刑に反対する立場の人たちは、自分が被害者になることがないと思っている特権階級の人たちばかりだ。もしくは、楽観的な馬鹿。
私は家族やパートナーが殺されたら、絶対に許せない。法が裁けないというのなら、私が犯人を殺害する。
殺人に限らずに、刑罰は被害者感情と乖離し、現状の目的である「更生」も達成できていない。
法律も刑罰も、世の中の現状に全く対応できていない。抜本的に改革するべきだ。
特に弱い属性の人間(子供、女、障害者など)がターゲットになる犯罪は、罪が比較的軽い傾向にあるが、なんなのだろうか。本当に腹が立つ。
自らがずっと強者側にいると思っている人間が、法律を作り刑罰を決める。法律を都合のいいように解釈する。
許せない。
刑罰はもっと重く・厳しくし、被虐待児や障害者(犯罪に近い人間)への福祉を手厚くすることによって、犯罪を防止する方が真っ当だと思うが。
取り返しのつかない問題を起こしてから「更生」を考えるのではなくて、そのもっと前段階から救いが差し伸べられるようになってほしい。
おわり
思っていたよりも加害者よりの本だったので、読んでいてかなりもやっとした。
特殊な被害者の例を用いて中立ぶるのも、どうなのだろうか。
この世の中が、弱者を切り捨てる構造であるから、弱者がもっと弱いものを切り捨てる。負のスパイラルだ。
「弱者」の私は「加害者なら同情してもらえるんだ。加害者になった方が得かもしれない」と思った。
加害者になる前に助けて欲しいよ。
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