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口出し

毎日毎日、娘を食べさせ、着替えさせ、抱っこして、オムツを替え、抱っこして、外に連れ出し、一緒に遊び、抱っこして、抱っこして、またご飯を食べさせ、抱っこして。。そんなことを繰り返していたら、気がつくと5年ほど経っていました。。

この5年があっという間すぎて、でも内容は濃すぎて、娘が産まれるまでどうやって生活していたのか?記憶が霞がかっています。。

育児とは、親の忍耐力が試される試練

本当に。つくづくそう思う日々です。
もともと私は自分自身をどちらかといえば短気ではない方だと思っていたのですが

自分1人のことさえやっていればよかった日々よ、再び!!と切に思うほどには、忍耐力がないという自己認識に変わりました笑。

例えば、どういうことが起こっているかというと

「冷蔵庫の中身が足りないからとりあえず買い物行くか〜」なんて軽い気持ちで買い物に行くことはできません。
ちなみに、子供が生まれる前の私はこの程度でした(今も家事能力は底辺ですが笑)

仕事終わりの疲れた脳みそで、娘のその日の体調、ご機嫌、それに伴う明日の予定、お天気などを踏まえた買い出しに対する必要性の高さを検証し、夫の動きも想定した上で、どうしても買い物しておかねば!という判断を下した場合のみ
「お買い物一緒に来てくれるかな?」と娘に提案。OKが出ればラッキー。でないのが通常なので、渋々おやつなどの購入を餌に交渉をしてスーパーへ連れ出します。
もうはっきり言ってここで疲れてます。

でも、ここからが本番。スーパーに着けば、やれカゴを取りたいだの、自分でカートを押したいだの、疲れたからやっぱりおんぶして欲しいだの、無限に繰り出される娘からの要求に応えつつ、周りのご迷惑にならないように配慮し、買い物リスト通りに買い出しを終えます。
瀕死の状態でやっとスーパーから出られたものの帰り道にもトラップがあります。

「あ!あそこの公園行きたい!!」

「さっき買ったアイス溶けちゃうよ?」とか「今日はもう遅いからだめだよー」とか軽いジャブで納得してくれればラッキー。だいたいは承認されませんので「じゃあブランコ乗るだけだよ」とか「時計の長い針が9に来るまでだよ」とか条件付きで遊ばせます。
でも、この約束は絶対に守られません。もう絶対と言っていいです。
「あれ?ブランコだけって約束したよね?」「もう時計の針9になったから行くよー!」こういった私の声は虚しく響き、娘からはたった一言。

「やあだ!!!!!!!」

もうここまでの一連の流れはほぼ予定通りと言っても過言ではないでしょう。 
問題はこの後、いかにしてアイスが溶ける前に娘を家に連れ帰るか?ということです。

ここまでの時点で私には精神的にも体力的にも余裕はなくなっていて、持ち合わせていたはずの忍耐力も底をつき始めています。

もう娘と交渉するほどの余力がないので「帰るって何回も言ってるよー!」と力押しの主張しかなす術がありません。

こうして無事、娘の機嫌が最悪もしくは号泣状態で帰宅することになるのです。

行きたい時にサクッと買い物に行ける幸せ。
スーパーでゆっくり商品を品定めしながら買い物できる幸せ。
用が済んだらさっさと帰宅できる幸せ。

なんでもないようなことが幸せだった思うんですよね。二度とは戻れない夜に。

単純に。育て方間違えてるのでは?

そう。そうですよね。
こういう心無い言葉、かけられたこと実際にはないですけど、心の中でそう思われてるのでは?
と考えてしまうことが100000000回くらいあります。

なので、実際言われたことはなくても、ほぼ言われたのと同義なストレスが発生するんです。
言われてないのに。
これって育児ストレスの中でも見えにくい部分だと思うけど、たくさんの人の心の負担になっているところだと思うのです。

「親は何してるんだ?」
「どんな躾してたらこんな子になるんだ?」

などなど
私の中の他人が酷い言葉を私にかけてくる想像をしてしまいます。

「育て方を間違えてるから育児が大変な私」には、どうすれば軌道修正できるのか教えて欲しいし、言われたらやるくらいの素直さはまだ残ってるので、具体的に今からなにをするのがこの苦しみから逃れられる最善策なのか教えて欲しい!

ほんと、わがままなもので。
自分の育児に口出しされたくないかと思えば、どうすれば良いかの口出しはして欲しいんですよね。。

まだまだ精進が足りませんね。
毎日がんばります。。

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