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本当に好きなことは秘密にしておきたい気持ち

今まで一週間ほど私の考えごとを綴ってきましたが、今回は、もう少し私自身のことについてお話したいと思います。

端的に言って、私はこういったことが苦手です。

「この好きなことや、やりたいことを大きな声で言うのを躊躇う、後ろ暗い気持ちはなんなのか?」

その原因について、一つ私の属性を自己紹介させていただきたいと思います。

私は、アニメや漫画が好きないわゆるオタクです。

…これをお伝えすることが、まさに「好きなことを大きな声で言う」ことになるので、もうホントは今の時点で「消えちゃいたい!」な気持ちなのですが。。

現在、30代以上の方にはよくご理解頂けるのではないかと思うのですが、私が学生だった頃は「オタク」が非常に生きづらい世の中でした。

極端な言い方かもしれませんが、今のように「オタク」が大手を振って歩けるような雰囲気ではなかったのです。

「オタク」であるということは、それだけで世の中のマイノリティーに属していることになり、集団の中での弱みになり得たのです。

私の地元が田舎であり、保守的な地域性だったということを抜きにしても、今よりは確実に「オタク」という個性は虐げられていたと思います。

被害妄想と思われるかもしれませんが、当時、オタクである私はそう感じていたのですから、私の中ではそれが事実になってしまっているのです。

これが恐ろしいところで、人の記憶というのは、客観的な事実ではないのに、自分が感じたことを事実として記憶してしまうことがあるのです。

今となっては、本当に私がオタクだったから、学生時代に集団の中で嫌な思いをしたのか?違和感を感じていたのか?それはわかりません。

ただ単に、その集団の人たちとは気が合わなかっただけなのかもしれないのですから。

いずれにしても、私の中では

「オタクであるということは隠しておかないと、集団に所属することは出来ない」

=本当に好きなことは秘密にしておこう

という方程式が出来上がってしまったのです。

これは、結果として長い間、私の人生の中で物凄く足を引っ張る価値観になってしまいました。

「好きなことを究める」というと、1人孤独にコツコツと没頭する作業のようなイメージがありますが、本当は、自分以外の誰かと話したり、意見を聞いたり、教えて貰ったりする外部からの刺激や交流が必要だと思うのです。

感じたり、考えたりすることはとても大事ですが、それを人に話したり、伝えたりして言葉にすると、それらを明確に感じ直すことも出来ますし、相手のリアクションによっては、更に深化させることも出来ます。

それに気付いてからは、なるべく好きなことを言葉にするようにしています。やりたいことを言葉にしていくようにしています。

オタクという、かつてコンプレックスとして感じていた自分について、誰か同じような気持ちでいる人がいるのかも?なんて思いつつ。。

自分が妊婦だとか、どんなこと考えてるのかを話すより、オタクだっていうことを言葉に出来ない拗らせてる感満載な自分にちょっと呆れつつ。。

今日はここまでといたします。

あなたの貴重な時間をありがとうございます。私の表現することを少しでも面白いと思っていただけたなら、飛び上がって喜びます。スキやコメントも合わせていただけると、とっても嬉しいです!