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#1家族と過去の話(秘密のドライブ)

家族との関係が難しいと感じる人がいる。
僕もその一人だ。
血の繋がった家族とよく耳にするが
一緒に暮らす時間が長いだけで
それぞれの意識や価値観を持っているのだから
結局は赤の他人と変わらないと思っている。

「家族は大事にしよう」
その考えは素晴らしいと思うし尊重するが
それをすべきであると強要されたくはない。
それでも歳を重ねると、親の気持ちを想像したりして
関係性を見つめ直そうと考えることもある。
自分の中に家族へのわだかまりがずっとあって
何年かに一度歩み寄りを試みるも
(あぁ、やっぱり違うな)
と再び距離を置くことを選ぶ。
二十代の頃はその繰り返しだった。
自分が歩み寄ろうと努力しても相手が変わらなければ意味がない
今はそう思うことにして関わることをやめた。

将来、家族との関係性に変化があるかは分からないが
人格形成のひとつである家族とのことを
少しずつ書いてみようと思う。

福島県で生まれた僕は
二つ上の兄と母、父とで平屋の借家で暮らしていた。
両親は漁師をしていたため
僕は港近くの保育園に0歳のときから
預けられていたらしい。

物心がついた頃から両親はよく喧嘩をしていて
楽しい思い出というものがあまりない。
絵に書いたような家族団欒には程遠く
父の怒鳴り声と母を殴る音が家の中に響いていた。

ある日の夜、兄とTVを見ていると
隣の部屋から父の怒鳴り声がして
肌に何かがぶつかる音がしていた。
その連続音の中に、時折
カチャカチャと小さな金属音が混じっていた。
翌朝になって布団に横になる母を見ると
顔から頭にかけてぐるぐると包帯が巻かれていて
昨夜ベルトで殴られている母の姿が
当時、小学二年生の僕にもイメージできた。

小学生になってから
仮病を使って学校をよく休んでいた。
友達もいたし勉強が嫌いな訳でもなかったが
母と一緒にいたいという気持ちが強かったからかもしれない。
その日も「お腹が痛いから学校を休んで良いか」と聞くと
「休みなさい」と母は許してくれた。
包帯まみれの母の顔を見てはいけないような気がして
母のそばに近づくことはできずにTVを見ていると
30分程で学校の先生が家まで迎えに来た。
「お腹が痛いから休みます」という僕の声は
仮病であることの後ろめたさから先生の耳までは届かず
母のいる部屋を見つめながら先生に手を引かれて学校に向かった。

父の暴力は母の浮気を疑うことが原因であり
「父の被害妄想だ」と母からよく聞かされていた。
父は次第に働かなくなり
電気を止められてロウソクの灯りで夜を過ごすことが増えた。
母は夜に小さな工場かどこかへ働きに出るようになり
それまで見たことがなかった指サックが珍しくて
テーブルの上で転がしながら母の帰りを待った。

「新しいお父さんを見つけよう…」

「お父さんのいない場所にいこう…」

そんな風に母とよく話していたし当時の僕の目には
父が悪魔のような存在に見えていた。

母はたまに明け方、大きなバッグに荷物を入れていて
その物音に起きた僕を「誰にも秘密ね」とドライブに連れて行ってくれた。
知っている建物や道路のすべてが薄い青色に染まっていて
見たことのない景色が秘密らしさを際立たせていた。
僕がたまたま起きた時にだけ行ける秘密のドライブ
寝ている兄にバレずに何回行けるだろうかと胸が躍った。

秘密のドライブは一度だけ夜に行われた。
誰もいない漁港に到着し母は車から
指輪やネックレス等のアクセサリを取り出して海に落とした。
「捨てていいの?」と聞く僕に
「お父さんから貰ったやつだから」と母は短く答えた。
外灯の明かりを反射してキラキラ光る指輪やネックレスが
真っ暗な海の底へと吸い込まれていくのを僕は無言で見つめていた。
あと何回、秘密のドライブに行けるだろうかという期待は
いつか母は僕を残していなくなってしまう不安へと次第に変化し
「僕も連れて行ってね」とドライブの度にお願いするようになった。

小学三年生になってすぐの朝
また物音に目を覚ました僕が母に声を掛けると
「出ていくから荷物をまとめなさい」と言われ
兄を起こして家を出る準備をした。
(ついにこの日が来た)
悪魔のような父から離れられることや
新しい生活を想像してワクワクしていた。
玄関を出ると一台の白い車が停まっていて
運転席には二十代くらいの若い男の人が座っていた。
「アニさんに連れって行ってもらうから」と母は言い
アニさんと呼ばれた男の人が
僕たちを救うヒーローのように思えて嬉しかった。
親戚や友達、誰にも知らせる事もなく
アニさんの車に乗り込み家を出た。
フロントガラスから差し込む朝日がやけに眩しく見えた。






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