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地図と銀杏【かねこの食べ物自由帳】

 共働きだった両親は、毎朝各々の車で出かけていきます。母が白い軽自動車に乗り込む音が聞こえると、僕は裸足で玄関を飛び出して、なんとか母の出勤を阻止しようと号泣していました。

 それを、後ろから羽交い締めにして止める人がいます。母方のばあちゃんです。車が動き出して追いつけない距離まで離れると、ようやくばあちゃんの手が緩みます。手を振りほどいて母の車を必死に追いかけるのですが、道沿いにあるさくらんぼ畑の影に車が消えると、ようやく諦めてトボトボ家に戻ります。家の前でばあちゃんが待っていて、大きくて固い手で頭を撫でてくれました。ばあちゃんの太ももの間に顔を挟んで「うー」と泣く。泣いてる僕の背中を、ばあちゃんがポンポンと優しく叩く。それが二人の日課でした。

 茶飲み友達とおしゃべりをしているか、じいちゃんと喧嘩しているか、家事全般、特に何か食べ物をこさえているか、この三つを繰り返すのが、僕の覚えているばあちゃんの生活サイクルです。普段は口数が多い方ではありませんでしたが、冗談が好きで、友達と話しているとよく笑う人でした。小さな部落の中でも年齢が上の方だったようで、頼まれて若い夫婦の喧嘩の仲裁に入ったりと、面倒見がいい人だったみたいです。

 ただ、他人の喧嘩は上手いこと中和出来るのに、じいちゃんとは毎日のように喧嘩していました。「ばー!」とじいちゃんがばあちゃんを呼ぶと何かしら口論がはじまります。自分は動かないけど几帳面な夫とよく働くが大雑把な妻の夫婦でしたから、ぶつかることが多かったのでしょう。「またやってるなー」と、日常過ぎてBGMくらいにしか感じていませんでしたが、喧嘩するほど仲がいいという言葉を後に知った時は二人の姿を思い出して「なるほど」と納得したのを覚えています。じいちゃんに文句を言いながらも、毎日違うおかずをせっせと作るばあちゃん。ぜんまい煮、筍と鶏肉の煮物、昆布巻き、多種多様な漬物達。茶色くて派手さはないですが、昔から作り続けてきた安定したおかず達が、白飯と抜群に合います。

 書いていて恋しい、もう食べられないのが心から残念です。僕はいつもばあちゃんにくっついていた子供でした。

 四つ上の兄ちゃんは自分の友達と遊ぶのが忙しくて、弟である僕と遊ぶ暇なぞなく、僕は家でじいちゃんばあちゃんと一緒に居ることがほとんどでした。ゲームや漫画と出会う前の田舎の生活は退屈との熾烈な戦いを強いられます。じいちゃんは老眼鏡をかけながら難しい顔で新聞を読んだり、テレビを見たり、茶の間から動きません。そうなるともっぱらばあちゃんの家事の手伝いや見学が暇を潰す手段になります。

 ほっかむりに、何柄かも何色とも言えない全体的に紫色の格好をしたばあちゃんにくっついて、畑で胡瓜やら茄子やらをもいで周ったり、山から採ってきた土や独特の臭いがムワッとする山菜やキノコを新聞紙の上に並べて選定して、どうやって食うのか聞いてみたり、家で一番話す人がばあちゃんでしたから、嬉しかったことも悩みもよく話していました。もはや第二の母です。

 さて、そんなばあちゃん子だった金子少年の一番の悩みと言えば、小学校六年生まで続いた「おねしょ」でした。

 所謂「夜尿症」と診断されるようになるのは五歳からということなので、僕は随分大きくなるまでそれに悩んでいたことになります。父ちゃんにも母ちゃんにも、叱られたりすることはありませんでしたが、「おしっこもらし」と妖怪のようなあだ名を付けてケタケタ笑いながら茶化す兄ちゃんに、何も言い返せないのが悔しいのなんの。

 そんな僕を見かねたのも、ばあちゃんその人でした。

 とにかく僕を可愛がってくれたこの人にとって、誰も叱ることのない僕のこの情けない癖を「治す」ことは、いつの間にか至上命題になっていたようです。

 秋になって肌寒くなると、ばあちゃんは「なおと、おねしょ治そう」と僕の手を引いて近所の神社に向かいます。

 最初は「神さまにまでかっこ悪いこと教えたくない」とイヤイヤついて行ったわけですが、ばあちゃんの目的は神頼みではなく、境内に転がる真っ黄色な銀杏の実でした。銀杏の実食うどおねしょ治っからな、とばあちゃんは言います。

「いっぱい拾ってけろな」

 軍手と金物の炭バサミを渡されて、二人で網かごにその黄色い実をひょういひょいと拾っていきます。小さな神社の境内は大きなイチョウの木からヒラヒラ落ちる葉っぱで埋め尽くされて黄色い絨毯敷きのようです。通り雨なんかで濡れた葉っぱはよく滑るので、飛び跳ねていると盛大に転んでしまいます。あと実を踏みつけると、家にあの強烈な匂いを持ち帰ってしまうので、すぐ洗える長靴を履いて、歩幅を狭く摺り足で実から実へと渡って行きます。まだ子どもでしたから、くっさい実を一生懸命拾っているのが妙におかしくて、いつの間にか僕にとっても毎年の楽しみになっていました。

 拾ってきた銀杏の処理は、「手がかぶれるから」とやらせてもらえません。でも表面が乾燥した銀杏の種をにんにく潰し機で優しくヒビを入れたり、円形の石油コンロに置いたブリキの煎り鍋でガラガラ煎るのは少しやらせてもらえます。パチパチと銀杏の殻がはじける音を聞くのが好きでした。

 煎りあがった銀杏を皿に移して、塩を振ってあっちあっちと言いながら殻を剥きます。取りにくい薄皮を剥こうとして、爪の隙間に熱々の銀杏が挟まって悶絶しながら、やっとつるんと光沢のある黄緑色の銀杏が出てきます。

 熱いのを冷ますために、上下の前歯で軽く噛んで息を吸ったり吐いたり。冷めたらコロッと口の中で転がして奥歯でグッと噛み締めます。小さいながらもホックリとした実は、ねっとりとした独特の甘さがありました。この時期にだけ食べられる特別なこの木の実が、僕は好きでした。

「なおとはみんなより多ぐけーな。おねしょなおっから」

 ばあちゃんは毎年そう言って、僕だけ少し多めに銀杏を分けてくれていました。そのおかげなのか、小学生の間になんとかおねしょは卒業できました。兄ちゃんは未だに「中学生までしてたろ」と名誉の引き下げに余念がありませんが、確かに小学生で克服しているはずです。たぶん。しかし銀杏を食べるとおねしょが治るなんて、子供ながらに迷信だろうな、と思っていましたが、実は科学的に根拠のある話だと知ったのはごく最近です。すごいなばあちゃん。

 今も安心して床につけるのはばあちゃんのおかげだと、たまに思います。


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