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芸術を調べようと決めた

大学のゼミで履修している西洋哲学。
今日そのゼミで書く卒論のテーマを決めました。

いや、なんの話やねん。っとなる前に少しくらい立ち寄って目をなぞってみてくださいな。

本来の芸術を知りたい


僕たちの芸術は

芸術、といえば
絵画、音楽、彫刻
いわば作品ってやつらです。

絵画だったら、今は写真やイラストもこれに近いし(っていうことにしておいて)音楽だったら、ロックにポップにヒップホップに演歌やオーケストラ。彫刻は少し馴染みの無さを感じる人が周りにも多い気が、

みんながこれらを目にしたとき、耳にしたとき、何を感じるのでしょう。
作者がなんだ〜、どんなこと考えて〜、意味わからない
などなど。

でも、実際、そんな感想、製作者や作品そのものには、一切関係のないことらしいですよ。



本当に藝術?

哲学者の面々曰く、
芸術は表現活動でも慈善活動でも自己満足でもない
”思想そのもの”思想に襲われて創作するもの

直接聞いたわけではないので、これは正解ではないです。
それに、正解は自分自身が持っているものとのことですので、
それを探しにいくことが、このタイトルの本命です。

今僕たちが捉えている芸術は浅はかなもので、そんな簡単なものではない。

そうやって先人の人たちに怒られているような気がしたので、追究しようと決めました。




なんでわざわざ芸術を


正直やかましいことではある。
今でも十分芸術は楽しいし、それでこそ芸術なのに、なんでそんな難しいこと考えようと思い立ったのか。

逆に、芸術って何?と聞かれて答えられますか?
それが正しい保証ってどれだけあるんでしょう。
なんの根拠を持って、どれだけの根拠を持って正しいと言えるのでしょう。

これはムカツくけど大切なんじゃないかって。

だから、最大限、芸術とはなんなのかを見直してみようと。

僕はTOMOOさんが大好きで(マジでみんな聴いてほしい)
大好きな写真家さんがいて、風景を眺めるのが好きです。

言葉にならないものを表現することがしてみたくてデザインを始めました。

アートはオークションで高額にかけられるくらいのもので、経済に影響を及ぼす力を十分に持っています。

これだけ自分自身が芸術に関することに関心があるのに、
この先も芸術について今の自分の経験のみで測るのはもったいなさ過ぎる。

だったら知らんぷりしないで向き合ってみようって思います。



見て見ぬふり

自分が思うように目に見えるものを描いてみたり、思い出してみたり
ものすごく楽しいことなんですけど、

それ以上がない。

これって、楽しいようで楽しみきれていない気がします。

一度覚えた電車のルートをなぞるように毎朝通勤通学の電車に乗る
僕はその「電車に乗る」ことが楽しいと思えたことはそんなにない。ましてや満員電車なんて乗りたくもない。

だのに、遠出をする時の電車は少しワクワクします。
出先を想像しているとはいえ、ちょっとレアな電車とかは行き先関わらず乗ってみたい。

そうして、自分の目に見えるものを変えてみることのほうが実は楽しい。
少し時間のかかることで面倒くさいことなんだけど、楽しい。

逆に楽しめてない時、楽しめていないことがあるということは
自分が一度決めたことをそのままにしてしまっている証拠

あれはつまらない、こういうことは疲れるからしんどい
好きなことだからこれだけやろう、これってとにかく楽しいんだよ!なんでわからないの?

時には自分がつまらないし、時には人からつまらないと言われること。

それはきっと、物事が固定されているように見えて、自分自身が固定されています。縛り付けられているんだと思います。

周りの人が揃いも揃って「素直に受け入れろ」ということは
そういうことだったりするのかな。

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