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とがりもの

エモーショナルフットボール
ロックンロール
ヒップホップ

爆笑するのが大好き、感情を揺さぶられるものが大好きな僕が、その中でも特に外したくないと思う重要な要素がこういった類のものです。

相手や味方に対して声を荒げたり、世間一般の意見に対して中指を立てたり、周りの言うことそっちのけで自分の意思を貫いたり

あるひとから見たら少し近寄りがたいこともあるけど、自分にとって大正解なもの

世間からの評価を上げるにしては逆行しているように見えるもの

人から求められなければ生きていけないような僕が、どうしてこんなもの好きになったんだろうというのと
これって、本当に正しい意味があるんだろうかというのが
気になって気になって、今日は眠れないかもしれません。

エモーショナルフットボール


はじめは少しおカタイお話から。

エモーショナルというのは英語のemotionalからくる言葉で、
「感情的」「感情に動かされやすい」「感情に強く働きかける」など
とにかく無形のものが動き回っている状態。
見えるのは、目鼻口頬の表情、声、手足のしぐさ。これが動き回ることです。

激怒、号泣、大爆笑、歓喜、叫び

表情やしぐさというとわかりやすいですが、感情と一口に言われてもわからない人も多いと思います。

それに、感情的になる、とは冷静ではないことでもあり、何かに取り組む上ではあまり理想的ではないと思われることもしばしば。

ピッチ上でも、審判に口を出すことや危険なプレーを働くこと、相手プレイヤーやベンチサポーターに悪口を言うことは一般的にはいただけない行為です。

だから、煽ったり、悪口を言ったり、無駄に叫んだりするようなプレイヤーは嫌われることが多いです。

エモーショナルフットボールは、極端な話、これを理想的な形とします。

一つひとつ淡々とプレーをこなしていたかと思えば、
ギリギリのプレーで雄叫びを上げ、ひとつのゴールに歓喜して絶望する。
ペナルティが出れば激昂して、試合後は微笑ましく握手とハグを交わす。

冷静かのように見えて、いちいち大袈裟。

人からは理解されづらい自分自身の感情を忖度なく表現できることが許されることこそ、フットボールの力であると思うのです。



ロックンロール


1950年代アメリカで、複数の音楽性がミックスされたものに呼び名がついたものがこの「ロックンロール(Rock and Roll/Rock'n roll)」です。

古くからアメリカ英語の黒人スラングである性交や交合という意味もあったようです。この言葉が頻繁に使われるようになった当時は"バカ騒ぎ"や”ダンス”などという使われ方もしていたため、綺麗な言葉ではないです。

ロックを扱うアーティストの中には「D◯ag」「◯uck」などという言葉を使う人もいます。

それはアーティストの世代交代やトレンドの移り変わりを経て、ロックはカウンターカルチャーや反抗/反逆といった意味合いを含むようになります。

そうして、体裁をあえて省みず己を貫く、赤裸々な想いを込める、世間や社会に対して堂々と中指を立てる。そういった表現を代表するものになっていったものだと思います。

でも、それはただ、ストレートに思っていることをぶつけるだけではない。
ロック(ゆする/ゆらす)であり、ロール(転がる/軽やか)です。

ただストレートなだけでなく、ユーモアを含みます。

世間に対する愚痴を歌うかと思えば、最愛の人へ届けるメッセージをメロディに乗せたり、時には自分との葛藤を投げやりに見えるように表現する人もいます。

そして何より、詩であり歌です。
その表現の内容に、制限はありません。

本来であれば許されない発言が、ロックンロールの音楽性の中では少し許される。

忖度なしに、でも工夫を凝らしたメッセージを届けるものこそ、ロックンロールだと思います。

それは文字通り人々を揺らし、軽やかであることを許すものだと思います。



ヒップホップ


印象的なのは、ヒップホップ大好きな友人が「ライフスタイル」だと言っていたこと。

つまり、本人の生活に影響を与えるほど絶大な力を持つものであり、それでいて扱う人の生き様を表現するものであるということ。

アンダーグランドやダンスという言葉と少し馴染みがあるように、当時は路上で始まった文化ともされていて、抗争の時に用いられたという背景もあったりするようです。

でも実際は、もっと自由で幅の広いものとして普及しています。

アンダーグラウンド的なものにとどまらず、軽快なダンスに特化したスタイルや女性的なものまで、まさにライフスタイル。

僕のイメージとして強い、ラップはこの中でもアンダーグラウンドやスクールというものに近いものだと思いますが、
複数の音をミックスしたビートに、自身の気持ちやおしゃれな言葉の並びを乗せる。

特にラップバトルは、用意されたアレンジのビートに、即興の歌詞を合わせて、相手を貶したり時には持ち上げたり、口喧嘩/会話を交わすもので、そこには制限というものはあまりありません。

ありのままのライフスタイルとして表現する。
それでいて音楽性というポップさを持っているヒップホップもまた素晴らしい表現活動だと思います。



自由であるということ

自由は、束縛のないことであり、決断ができるということです。
それでいて、何にも流されないことです。

そこにはある程度の枠組みがありながら、その枠組みを感じさせません。

フットボールは音楽関連のカルチャーはまさにこれを感じさせるものが多くて、僕はものすごく大好きです。多分、自分でも理解しきれていないほどに、この上なく。

そして何より、こうしたものが操るのは「感情」です。

感情は見えないまま揺れ動いて、気がつけば自分を支配しています。
それでいて、自由を感じさせるのもまた感情だったりして。

でも、そこにもまた、境界線がなく、区別が曖昧で、制限もない。

もっと人生を豊かにできる大きなキーファクターだと思います。

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