野球はなぜ「Baseball」なのか?

先日、こんな記事を書いた。

現代の野球にいたるまでの野球型のスポーツの系譜について触れ、ルールの変遷から野球というスポーツの原型とそこからの発展の過程について想像した内容だった。もしもこっちの記事をまだ未読の方がいれば、今回よりも先にこちらを読んでもらえると幸いだ。

この記事の最後に、野球のルールの変遷を辿っていく上でのこぼれ話として取り上げていたのが、

・最古の野球型スポーツの痕跡はアフリカにあり、その成立年代は遅くとも6世紀と考えられる証拠が出てきてるけど信憑性が怪しい話

・結構な長い間、野球はアメリカ人によってゼロから発明されたスポーツだという全くの捏造が信じられており、野球殿堂がクーパーズタウンに置かれているのはその謬説に基づいたものである話

・baseballという単語、それからその中のbaseという概念の名前の由来は鬼ごっこ的な遊びから逆輸入する形で付けられたという話

という3つだ。

今回は前回の続きのような形で、この3つの話について取り上げていきたい……のだが、前の2つについてはすぐに話が終わるので、今ここで終わらせておこうと思う。

アフリカにある最古の野球の原型


一つ目については、日本語で情報を探す場合恐らく一番詳しいのは前回も参考文献として挙げた「ベースボールのアルケオロジー」だ。

ここで言う「最古の野球型スポーツの痕跡」というのは、リビアの「ゲベル・ネフサ」という地域で行なわれる「タ・クルト・オム・エル・マハグ」という儀礼的な性質の強い競技(?)のことで、詳細は省くが、打者は打つと打席とそのグラウンドを挟んだ反対側を往復することで得点を獲得でき、反対側のライン外に留まることもできる(つまり、出塁概念がある)といったルール上の特徴を持つ。
で、なぜこれが野球型スポーツとして最古の痕跡と言われるのかというと、

  • この競技が儀礼的な性質を強く持つものであるため、古くからルールがあまり変わっていないと考えられること

  • 地理的に独立性が高い集落であり、なおかつ周辺地域に類する文化が見当たらないため、じわじわと文化が伝わってきたとも考えにくいこと

といった点から恐らくは過去にこの元となる競技が外部からの移民によってもたらされたと考えられ、その上でこの地域への別人種の流入があった痕跡は紀元前6000年から3000年の間の記録か、もしくは紀元500年ごろまでにあった「ゲルマン民族の大移動」の時を置いて他にないとされているからだ。

つまり、この地域に伝わるこの競技は野球との関係が示唆されるルールを持っているにも関わらず、

  • 野球のルールが確立された後の年代になってから入ってきた文化ではない

  • 確立される前の年代に入ってきたとすると、遅くとも紀元500年までには入ってきている

ということになり、そうなると「1500年前の野球の原型」がここにあったということになる、という趣旨の話だ。なかなかロマンを感じさせる話だし、「では、この地域への流入元の地域はどこで、そこではどんなスポーツが行なわれていたのか?」というところから本当の野球の発祥に迫れそうな雰囲気も感じる。

が、もうお気づきの方も多いだろうが、この話には大きな問題点がある。
つまり、

それ、ほんまか?

というところだ。
まず、「ほんまにその文化あった?」というところも定かではないところがある。
この話の初出はCorrad Giniという学者が1939年に発表した"Rural Ritual Games in Libya (Berber Baseball and Shinny)"という論文なのだが、このGini、名前を知られている功績は「ジニ係数」と呼ばれる社会における所得の不平等さを測る指標の提唱などであり、主な肩書としては統計学者、社会学者などになる。

つまり、こういう文化人類学(でいいのかな?自信ないです)のようなジャンルについては全くの門外漢で、なんでそんな人からこんな話がポンと出てきたんだ?というところに疑問の余地が残る。(ちなみに、「なんでこんな論文を出したの?」のところには時代背景などを鑑みると邪推の余地がある※触れない)

中には「本業は社会学者なんだからこんな関係ない分野で捏造とかしないでしょ」という見方もありはするが、とはいえ、この論文はあまり顧みられるものではないというのが現状だ。

また、もう一点、「ほんまに後の時代に入ってきたもんじゃないんか?」というところも定かとは言えない。

紀元500年以降に流入の痕跡がない、と言ったって、それは必ずしもそこから流入が一切なかったということを意味しない。記録に残っていないだけで、人や文化の出入りがあったことは十分に考えられる。

だからこそこういう何かの「最古」「初出」を考えるときには、その事柄が記録に登場するいちばん最初のタイミングが重要なわけで、そうした記録が残っていない以上、このリビアの競技が6世紀からプレイされていたと結論付けることは出来ない。

仮にこの競技が本当に現地住民にとって「古くから伝えられる儀礼」だったとしても、100、200年前に記録に残っていない他地域からの移民があり、その移民が伝えた文化であった可能性は十分にある。そうなれば、「Baseball」という単語の初出年(1744年)よりも後になってもたらされたものということになってしまう。

この話を前回の本編で扱わず、あくまでこぼれ話としたのは上記のような事情があったからだ。ちなみに、ジニの論文の引用は以下のリンクから読めるので、興味があれば参照してほしい。

あと、このジニの論文の内容を真実だと信じた上で論を進めようとすると、先述したように「では、この地域への流入元の地域はどこで、そこではどんなスポーツが行なわれていたのか?」という問いが出てくる。

この問いに対する有力な答えの一つとして考えられるのが、Per Maigaardによって1941年に示された「ロングボール」というスポーツだ。

これは先述のリビアの競技よりも前にアングロサクソン民族の中でプレイされていたゲームであるとされており、これがリビアに流入することであの競技が生まれたと推測されている。

Per Maigaardによる論文ではこのロングボールのルールがクリケットやラウンダーズなどと比較される形で示されており、確かにリビアの競技とよく似たルールを持っていることが分かる。

……問題は、この「ロングボール」がそんなにも古い時期にプレイされていたことの根拠が誰からも、Maigaard本人からすらも示されていないことだ。
そんなわけで、この「ロングボール」が野球の祖先であるという説もあまり支持されることはない。
ちなみにMaigaardによる論文も以下から読める。興味があればどうぞ。

あと、さっきから挙げているこのブログ記事の引用元は前回の参考文献にもある『Baseball before We Knew It』だ。よかったらこちらもどうぞ。

以上、「最古の野球型スポーツの痕跡はアフリカにあり、その成立年代は遅くとも6世紀と考えられる証拠が出てきてるけど信憑性が怪しい話」でした。

野球発祥の地はアメリカ・クーパーズタウン説

二つ目のこぼれ話として挙げた

結構な長い間、野球はアメリカ人によってゼロから発明されたスポーツだという全くの捏造が信じられており、野球殿堂がクーパーズタウンに置かれているのはその謬説に基づいたものである話

は、上の一つ目の話よりもはるかに早く話が終わる。というのも、これはそこそこよく知られた話題だからだ。日本語wikipediaにだって記述がある。

一言で説明するなら、元MLBの大投手でありスポーツメーカースポルディング社の創設者、アルバート・スポルディングが、野球はアメリカで生まれたものだということにしたくて捏造したらめっちゃ支持されたという話だ。(※本当はスポルディングの勝手という訳でなく、スポルディングの主催する委員会が寄せられた投書を丸呑みにして発表したという経緯らしい


その支持され具合といったら相当なもので、この説における野球発祥の地であるクーパーズタウンには野球殿堂が建てられたし、この説がほとんど完全に否定されるようになった今現在もそこにある

ちなみにこのスポルディングによって組織されたチームがこの説を提示したのが1907年。野球殿堂が設立されたのが1939年ということで、20世紀になって30年もの間このきわめて根拠の薄い話が広く信じされていたというのも面白いのだが、この説が信憑性を失った決定的な証拠が

最終的にダブルデイは1839年にはクーパーズタウンにいなかったことが判明。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A4%E8%AA%AC

なのも面白い。そのくらいは確認してから発表できなかったんだろうか。

この「ダブルデイ説」については、日本語の範囲でもたくさん情報が見つかるので、興味があればぜひ気軽に調べてみてほしい。wikipediaでも以下の辺りの記事でまた視点の異なる記述が読める。

ということで、「野球はアメリカ人によってゼロから発明されたスポーツだという全くの捏造が信じられており、野球殿堂がクーパーズタウンに置かれているのはその謬説に基づいたものである話」でした。

前二つの説明が終わったということで、最後は3つ目の話について、少し本腰を入れて語っていきたいと思う。

なぜ野球はBaseballなのか?

三つ目のこぼれ話のテーマは、「なぜ野球はBaseballなのか?」である。これはつまり、我々が「野球」と認識しているあのスポーツが、なぜ「Baseball」という名前で呼ばれているか?ということだ。
前回述べたように、「Baseball」という単語の初出は1744年、『A Little Pretty Pocket-Book』という本の中に登場するものだ。

この本の中でBaseballと呼ばれていたスポーツは、挿絵と説明文から推測するに、バッターが打った後、ポストと呼ばれる塁のようなものを走っていってホームまで帰ってきたら得点、といったルールのスポーツだった。

このBaseball以前にイギリスで流行していたバットとボールを用いるスポーツはストゥールボールでこちらは走塁のルールがなく、イギリス以外に目を向けると、同じようにバットとボールを用いるスポーツで走塁要素があるものにはロシアのラプタなどがあった、というのが前回で触れた内容だ。

今回の話はこの「Baseball」の語源を扱うわけだが、これらの前身スポーツとイギリスのBaseballを比較して考えれば、第一段階の答えは簡単に推測できる。

つまり、他のスポーツに比して特徴的な概念である「Base」を用いる球技だからBaseballなのだ、という答えだ。

この当時は名前こそポストと呼称されているものの、この「Baseball」には現代と変わらないベース、つまり塁の概念が登場している。
また、特徴的な概念+ボールという形でスポーツの名前がつくというのは、あえて例を挙げるまでもなくごくごく一般的なことだ。カゴを狙うからバスケットボール、ノーバウンドの状態(ボレー)でボールを扱うからバレーボール、というわけだ。
名づけの理由を示す歴史的な史料などは存在しないのでどうしても状況証拠からの類推にはなってしまうが、ベースがルールの特徴的な部分だからベースボールという名前になった、ということにはあまり疑念の余地がないように思える。

話を次の段階に移そう。では、なぜ「あれ」を「ベース」と呼ぶようになったのだろうか?

baseという英単語には様々な意味がある。底・土台・基地・基盤・基点…などなど、英辞郎で調べるだけで30個ほど出てくる。
核となる語源は、古代ギリシャ語・ラテン語の「basis」で「土台」を表すらしいから、そもそもの意味はそれで、そこからだんだん派生していろんな意味を持つようになった、ということだろう。


そこから考えると、baseballの「base」も、土台の意味から来たということになるのだろうか?
確かに現代野球のベースは薄くて四角い踏むためのもので、土台と言われればそういう風にも見える。

だが、前回引用した『A Little Pretty Pocket-Book』の挿絵を見ればわかる通り、この形のベースはあくまでも後の時代になって生まれたものだ。
Baseballという名前の初出であるこの書籍で紹介された時点では、ベースに当たるものは地面に建てられた棒だった。これを見て「土台」を連想するのはちょっと難しそうである。

ではということで他の意味で野球におけるベースの概念に近そうなものを探してみると、軍事用語としての「基地」の意味がそこそこしっくり来る。

攻撃者である走者は、本拠地を出た後各基地を攻略して帰還する…といった具合の連想だ。
一度手中に収めた後は基地にいれば安全(ベースについていればアウトにならない)という辺りも一致している。

ちょっと魅力的な説に見えるが、この説は語源辞典によって否定される。
baseという単語が軍事的な基地の意味で用いられたのは、1860年代になってからのことらしいのだ。

もちろん、これは文書上の初出ということだろうから、それよりも前の時代からこうした意味を持っていた可能性はなくはない。

だが、だとしても、この単語がこのスポーツの名前の一部として文書に登場した初出が100年以上も前であるということを考えれば、「baseの基地の意味から連想してbaseballと名付けられた」という説はかなり厳しいと言えるだろう。

そもそも、後にbaseと呼ばれる概念を持っていてスポーツの名前がbaseballなのに、その概念を示すものの名前が「post」なのも不思議な話だ。

これはつまり、post自体が直接「base」という単語の何らかの意味と対応するからbaseballという名前がついたという経緯ではなく、なにかもう少し間に挟まる概念があると考えられるのではないか。


そして、先に言ってしまうと、その「間の概念」と考えられるものは確かに存在する。

それがのちに「Prisoner's base」や「Darebase」などと呼ばれるようになる、団体戦型の鬼ごっこのような遊びだ。

Prisoner's base

まず、このPrisoner's baseというのがどういうルールの遊びなのかを説明したいと思う。あまり図解などのセンスに自信がないが、他に資料が見つけられなかったため自力で描いたものを見せながら書いていく。分かりづらいかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。

人数は大体10人前後からそれ以上で遊ばれ、2つのチームに分かれてプレイする。

フィールドには2本の線が引かれており、それぞれのチームのプレイヤーは、その線に挟まれた領域を挟むようにして線の外側で待機する。

ゲーム開始と同時に、片方のプレイヤーのうち一人が、線を越えて相手チームの方に近付いていく。

近付かれているほうのチーム(青チーム)のプレイヤーは、好きなタイミングでこのプレイヤーを追いかけるために線を超えてよい。

誰かが追いかけてきた場合、最初に近付いたプレイヤー(赤チーム)のプレイヤーは引き返して自分たちのチームの陣地内(つまり、線の向こう側)に帰ろうと試みる。

この時重要なのが、それぞれのプレイヤーは、自分よりも前に陣地を出たプレイヤーのみを捕まえることができる、という点だ。

図で言えば青チームのプレイヤーはこの飛び出した赤チームのプレイヤーを追いかけて捕まえることが出来るが、逆に赤チームのこいつは青チームの誰かを捕まえることが出来ない。

わかりづらいなこの図

ところが、赤チームのこのプレイヤーが逃げて逃げて自分の陣地にもう一度入れば話は変わる。

今度は青チームのこの追跡者が赤チームの誰よりも先に陣地を出ているわけなので、こいつが追いかけられる側の人間になるわけだ。

○×が逆になってるんです

で、今度は青チームのこいつが自分の陣地に帰ろうとすることになるので、それを赤チームの誰かが追いかけていく……というように、攻守が絶え間なく入れ替わる団体戦の鬼ごっこ、とも言うべきゲームがこの「Prisoner's base」だ。

もちろん、実際に遊ぶときはこんな風に行儀よく一人ずつ出入りするわけでなく、一人を追いかけるために複数人が出てきて、その複数人を追いかけるためにまた別の複数人が…という、追う側追われる側が激しく入り乱れるゲームになるものと思われる。

出た順に数字を振っていくとするとこんな感じ?
数字が大きいプレイヤーはより小さいプレイヤーを捕まえる権利があるので、
例えば5はこれから陣地に帰ろうとするだろうが、6や7に追われるかもしれないし、逆に2や3を追いかけることもできる

こんな感じで追いつ追われつ、自陣の外で相手に捕まるとアウトになり、ゲームから除外されてしまう。
勝利条件は先に相手プレイヤー全員を追い出すことだ。

そんなこの団体戦鬼ごっこ「Prisoner's base」だが、この遊びの何が「baseball」と関係があるのかというと、その関わりは15世紀の半ばに遡る。

元々この遊びは14世紀には文献に登場するのだが、当時の名前は「barres」だった。この初出の際の登場の仕方は、イングランドのエドワード3世による宮殿付近の大通りでの禁止のお触れという形であり、当時すでに市民権を得た遊びであったことがうかがえる。

時代を降っても遊ばれ続け、15世紀半ばになると、この遊びは「Base」などと呼ばれるようになる。
そしてまたこの時期、この遊びの中における各チームの陣地のことも「base」と呼ばれるようになる
なぜこれがそう呼ばれるようになったかを示す資料は見当たらなかったが、ゲームの最初にそれぞれのプレイヤーが配置される基点のところだからなのか、あるいは、位置的に各チームから見たフィールドの手前側の領域だからなのか、そのあたりなのではないかと思う。

そしてこの後、この「Base」という概念はこのゲームの中に定着する。その後ゲームの名前は「Prisoner's base」「Darebase」「Chivy」「Chivy chase」などなど、様々なバリエーションで呼ばれていくことになるが、この陣地は一貫して「base」と呼ばれたようだ。

さて、ここでこのゲームにおける「base」とは何かということを考えると、一言で表すならば、「その中にいればアウトにならない安全地帯」ということになるだろう。
勝利に近付くためにはその中にとどまっていてはいけないが、そこから出れば相手によってアウトにされる可能性がある。

この性質は、ベースボールにおける「base」でも同一ではないだろうか?

「Baseballのbaseは『基地』から来たわけじゃない」の文脈でも話したが、野球の塁には、「そこから離れなければアウトにならない安全地帯」という性質がある。つまり、これらの「base」は、同じ性質を持っていて同じ名前で呼ばれているものな訳だ。

由来が同じである可能性は高そうではないだろうか?

加えて言えば、この鬼ごっこで陣地が「base」と呼ばれ始めたのは、先述の語源辞典によれば15世紀半ばごろ。

baseballの文献上の初出は1744年。15世紀の半ばといえば、イギリスではストゥールボールが、他の地域ではラプタなどがプレイされていた時期。つまり、野球型のスポーツに走塁要素があったりなかったりした時期ということになる。

つまり、時代的にも一致する。そうなってくると、この鬼ごっこの「base」から、野球における塁概念に名づけが行なわれたのではないだろうか?

一つ、証拠のない話を前提に、もう少し補強を試みる。
ストゥールボールから発展したと考えられるクリケットや、さらにその祖先から分かれた可能性のあるラプタといったスポーツを考えると、より原始のbaseballにおいては、塁はホームと一塁の二つしかなかった可能性が高いように感じられる。

その二つの塁とは、これらスポーツに共通する打者が踏み越えると走者になるラインと、投手を挟んで向かい側に引いてあるもう一本の線という形のベース概念だ。

つまり、守備の人数などもろもろを考慮せず模式化すれば、競技風景はこんな見取り図になるはずだ。

上でも述べたように、HOMEとBASEはそれぞれ安全地帯の性質を持った場所である。
こんな形であったとすれば、この両端の領域をあの鬼ごっこと同じ名前で呼んだ、という仮説がよりもっともらしくは聞こえないだろうか?

せっかくなのでもう一段階論理を飛躍させてみよう。
前回説明したルールを踏まえて、「ラプタ」のプレイ中の想像図を描いてみよう。

向かい側に線が引いてあり、まずはそこを目指す。
「誰かがアウトになると他の走者はその場で立ち止まる」という特徴的なルールにより、複数人の走者がグラウンド内を入り乱れる。
守備側は走者をアウトにすべく、追いかけてボールをぶつけようとする。
走者は守備側とボールを避けながら走る。

こんなところだろう。

守備側に狙われている走者は挟殺プレイのような形で複数人のプレイヤーに囲まれるだろうし、場合によってはアウトを取る走者を切り替える選択もできるよう、それぞれの走者にゆるくマークがつくはずだ。

ここで、さっきのPrisoner's baseのプレイ風景の想像図をもう一度貼ろう。

プレイ風景が、めっちゃ似ていないだろうか?

そしてラプタは少なくともbaseballの近縁スポーツであることは間違いないので、baseballの祖先がこれに近い形であった時期も恐らく存在するはずだ。

一段階飛躍して主張したい内容というのが、これである。

つまり、鬼ごっこである「Base」みたいになるボールゲームだから「Baseball」と名付けられたのではないか?

ということだ。

仮にこの説を受け入れるとすると、「Baseballなのにbaseはpostと呼ばれている」の謎も解ける。baseballのbaseはあくまで見た目が近い遊びの名前にすぎないので、ゲーム中に登場するやつはpostでよかった、というわけだ。(結局後にbaseと呼ばれるようにはなるのは、やはり概念として似ているからと推測する)

もちろん、これは何も証拠のない、妄想にすぎない。
前半部分で語った謬説や怪しい説を例示するまでもなく、証拠がない状態で事実と事実を繋ぎ合わせて素人がぶちあげただけの仮説は、よくて与太話、悪く転べば陰謀論だ。
あくまでそういうものとして受け取ってもらいたいというのは断ったうえで、以下でこの風呂敷をたたんでおきたいと思う。

まとめと断り書き

と、いうことで、自分の今回言いたかったことと、どこまでがソースのある話で、どこからが単なる妄想なのかを明らかにしておきたいと思う。

自分の今回の主張は、

  • baseballの「base」は14世紀に文献に登場し、15世紀半ばに「base」と呼ばれるようになった団体戦鬼ごっこに由来するのではないか

  • その鬼ごっこの中の概念であるbaseに似たものを持つ球技だったからbaseballになったのかもしれないし、プレイ風景がbaseとよく似る球技だったからbaseballになったのかもしれない

という二点だった。これらの根拠として提示したもののうち、

  • barresという遊びが遅くとも14世紀にはあり、15世紀中ごろにbaseと呼ばれるようになった

  • baseballの文献上の初出は1744年

  • プレイ風景の想像図を描いたラプタは14世紀ごろに記録があり、イギリスにおけるbaseballよりも初出年代が早い球技である

といったところはソースのある話だ。

https://castle.eiu.edu/reading/MEDIEVALGAMES.pdf

一方で逆に、

  • 鬼ごっこのbaseとbaseballに語源的な関係があるという推測自体

  • 1744年時点のものより原始的なbaseballはラプタに近く、ベースが2つしかなかったという想像

  • ラプタとPrisoner's baseのプレイ風景が似通うであろうという考え

これらは自分が単に想像したものに過ぎない。根拠を示せるものではないので、この辺りは無責任な空想として受け取ってもらいたい。

「もしもこうだったら面白いなあ…」が、今回のこぼれ話3つ目のすべてである。

以上、ここまで、一緒になって面白がってもらえていれば嬉しい。

※今回の参考文献はすべて文中に挙げたものによる。


この記事が参加している募集

#野球が好き

11,173件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?