野球のルールはどこを起点にどう構築されていったか?

先日、こんなツイートを目にした。

これは確かに、すごく納得できる疑問だ。

僕は野球を12年ほど競技としてやっていたが、全く知識がない人にルールをスムーズに教えられる気はしない。

「投手vs打者」「走者vs野手陣」といった感じでゲームが二段構えになっている点、ぱっと見「この時は走っていい」「この間はダメ」という細かい規制がたくさんある点など、他の競技と比べてややこしいポイントは枚挙に暇がない。

僕も現役時代はこのあまりに複雑なルールを体系的に考えようなどと思ったことはなく、一つ一つのケースに対して「この時はこう、こういう場合はこう」という形で覚えていったようなものだった。

しかし今の僕は違う。

競技をやめてから早5年以上。立派な野球オタクおじさんになった僕は、練習やトレーニング、道具の手入れに充てていた時間を読書やネットサーフィンに充てるようになり、そのおかげで、「野球のルールがどんなものを原型にどう構築されていったか」を説明できるようになった。

そこで今回は、僕の知る限りの野球のルールの変遷(特に、元ツイートで言及のあるベース周りについて)の過程を、時代を逆に遡る形で語っていきたいと思う。

現代野球の誕生

そうは言っても、実は、現代で公式にプレイされている野球のルールは、細かな部分も含めれば相当短いスパンで移り変わっている。

例えば昨年からMLBで導入されたピッチクロック制度は大きな話題を呼んだルール変更だったし、前年比で盗塁数が40パーセントほど増加するなど、ゲームに与えた影響という意味でも間違いなく歴史に残る転換だったと言っていい。

ピッチクロックより前に遡っても、併殺崩しや本塁でのクロスプレーに関わるルールなど、ほぼ毎年のようにルールの変更は発生している。

こうなってくると問題なのが、どこまでを語るべきルールの変化とし、どこからを野球のルールが確立されて以降の調整とするか、という点である。すべてを詳細に語るには、自分の知識も時間も足りない。

そこで今回は少々大胆に、一般に「現代野球のはじまり」とされている、1845年の「ニューヨーク・ニッカボッカーズの結成」の際のルールを歴史をさかのぼる上でのスタート地点とし、それよりも後の時代に起こった変化は「調整」の一環とみなしたいと思う。

この時点ではまだ9イニング制ではなく21点先取したほうが勝ちであったり、ボールカウントが大幅に異なったりと、今日の野球とは結構な差がありはするが、「ベース周りのルール」について大きな変化があったのがこのタイミングなので、ここから話を始めたいと思う。

その変化というのが、「ボールをランナーに当てる」というアウトの取り方が廃されたことである。
ここから遡っていくうえで登場する野球の原型スポーツやその派生形の多くでは、守備側がランナーにボールをぶつけることでアウトを稼げるものが多い。また、こうしたスポーツの中には、「ベース」と呼べるものがないものの含まれる。それらではフォースアウトやタッチアウトの区別がなく、ボールに触れられた走者はアウトになる、というシンプルなルールがあるのみだ。

これらから推測するに、恐らく、野球における「アウト」の原型は、「走者にボールをぶつける」ところにあったと考えられる。その当時からぶつけるまでもない距離にランナーがいれば手に持ったままボールで触れていただろうからタッチアウトはこの時点で存在すると言える。
逆にフォースアウトという概念は、ベースというものがなければ成立しない。なんらかの理由(後述する)でベースというものが生まれた結果、ベースを踏むことでもアウトを取れるようになった、というような変遷があるわけだ。
つまり、そもそもの起点となったのは「ボールをぶつける」だったが、このタイミングでそのアウトの取り方がなくなってしまったために現代では「タッチするか、ベースを踏むか」という他のスポーツに比べて異質な方法が残っている、ということになる。

ちなみにこのニューヨーク・ニッカボッカーズの結成が現代野球の始まりと一般にされている理由は、現存する資料の中で最古の野球(ベースボール)のルールを明文化した文書がクラブの会則として残っているというところにある。
それまでの野球は「タウン・ボール」と呼ばれ、プレイされる街や地域によってルールがまちまちだった。あるいは、毎回若干ルールを変えながらプレイされていた可能性もある。
このクラブが野球のルールを文書化したことではじめて全地域的に同じルールで野球をプレイする機運が生まれ、統一ルールの策定やプロチームの誕生といった流れにつながっていったというわけだ。
この功績から、このルールの発案者であるとされるアレキサンダー・カートライトは野球殿堂に表彰されている。

フィラデルフィア・ゲーム

そんな統一以前のローカル野球「タウン・ボール」のバリエーションの中には、ニッカボッカーズ結成時のルールとほとんど変わらない内容のものも多く存在しているが、盛んにプレイされていたルールの中に一つ、ベースの取り扱い方が面白いものが存在している。

それは「フィラデルフィア・ゲーム」と呼ばれるバリエーションのもので、名前の通りフィラデルフィアが発祥と考えられているのだが、このルールには実は「出塁」という概念がない。
フィラデルフィアゲームにもベースは存在し、円状に並べられた6つを走者は一周して戻ってくることを目標としているのだが、一周することができれば一点、一周する前にボールを当てられたり自分より先のベースを踏まれたらアウト、というシンプルなルールになっている。
このルールにおいてベースは、単に「走者はここを通らないとダメ」ということを示すマーカーにすぎない。
走塁周りのルールとしては、野球の近縁スポーツとして語られることの多いクリケットに近いと言えるかもしれない。
(クリケットは打者と投手それぞれの後方に引かれた二本の線を往復することで得点が入る)

後述する理由からこの「通るべき場所を示すマーカー」をベースの原型概念とすることはできないが、ベースという概念を考える上での一要素としてこれを頭に置いておくことは必要になる。

ラウンダーズは野球の祖先?

この「タウン・ボール」からさらに一つ時代をさかのぼろうとすると、ちょっとややこしい問題に当たることになる。
インターネットで見ることのできる多くの文献(例えばwikipedia)では、タウンボールの原型は「ラウンダーズ」というスポーツであったとされていることが多いのだが、実はこれが正しいかどうかは意見が分かれているところであるらしい。

「タウンボール」が発達したのはアメリカ国内の話であり、この原型であるスポーツがイギリスからアメリカに持ち込まれた、というところはある程度確かなようなのだが、この持ち込まれた原型スポーツがラウンダーズであったか、それともその派生前のスポーツであったかというのがはっきりしないようなのだ。
後でも触れるこの派生前のスポーツは「Baseball」と称されていたことが文献で確認でき、名前的にいささかややこしいのだが、以降「イギリス式野球」と呼ぶことにする。
年代的に分かっていることとして、アメリカでタウンボールが盛んにプレイされるようになったころ、既にイギリスではラウンダーズが人気スポーツとなっており、イギリス式野球の人気は落ち着いていた。
このためにかつては「イギリスのラウンダーズがアメリカに伝来し、アメリカでベースボールというスポーツが生まれた」と単に考えられていたらしい。
ところが、さらに調査が進むごとに、ラウンダーズよりも前の時代に、イギリスでもベースボールというスポーツが盛んにプレイされていた時期があったことが分かってくる。
そのため例えばwikipediaなどでは、これを踏まえて「ラウンダーズはイギリスのBaseballから派生したスポーツであり、野球の祖先である」という書き方になっているが、「イギリスにベースボールがあったのであればベースボールはベースボールとしてアメリカに伝来し、その後アメリカ国内でルールが変わっていったと考えるのが妥当なのではないか」(つまり、ラウンダーズは野球の祖先ではなく、同じ親から生まれた兄弟ではないか)と考える研究者も多い、という状況であるらしい。

と、ここまで語っておいてなんなのだが、実はイギリス式野球がタウンボールになるまでにラウンダーズを経由したかどうかは、ベース周りのルールの変遷を考える上であまり重要なことではない。
ラウンダーズにはストライク・ボールの扱いなど野球と異なる点がいくつかあるが、ベースの機能としてはほぼ野球のそれと同一であるからだ。

ラウンダーズにおいて、ランナーはベース上にいる限りアウトにされることはないし、アウトにならなかったランナーは到達したベースの上で次のプレイを迎える。野手はベースを踏むことでこれから到達するランナーをアウトにすることもできるし、ランナーが全てのベースを一周して帰ってくれば得点が認められる。

つまりラウンダーズ時点で既にベースの概念は完成していたと言えるわけで、ここからルールの原型や変化を見出すことはできない。

タウンボールのフィラデルフィアゲームではベースの役割が一部のみに限定されていたが、それはルールがまだ未発達であったということではなく、他の役割をオミットする進化があったということになる。(これが先述していた原型と言えない理由。)

イギリス式野球

では、このラウンダーズ(と、もしかしたらタウンボール)の前身であるイギリスでbaseballと呼ばれていたスポーツのルールはいったいどのようなものだったか。

実は、これについてはハッキリとしたことが言えない状況にある。ルールを明確に記した資料が残っていないのだ。

英国内の文献にBaseballの用例はいくつか登場するのだが、その多くが「ベースボールをプレイした」「教会の近くでベースボールなどをプレイすることを禁ずる」というような日記や注意書きのものであり、それがどういったスポーツであったかを記すものはほとんどない。
ほぼ唯一のそれを示す資料として存在するのが1744年に出版された『A Little Pretty Pocket-Book』という本に登場する記述で、これがbaseballという単語の初出でもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%84%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF

ただし、この資料もルールを知る上ではけして十分なものとはいえない。

引用元: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Aprettylittlepocketbook.jpg

この一枚の画像に載っている挿絵と文章がこの本におけるbaseballの紹介のすべてであり、文章の内容は

The Ball once struck off, Away flies the Boy To the next destin'd post, And then Home with Joy.
(ボールが打たれて飛んでいくと、、少年は次に目指すポストへ。そして喜びと共にホームへ。)

という簡単な説明があるだけだ。(MORAL.以降はポエムのようなもの)

これらの文章と挿絵から言えることはあまり多くないが、

  • ポストというベースのようなものがあり、走者はそこを順に回っていくルールだった

  • 恐らくポストを一周すると得点が認められた

  • 投手と打者以外にポストに手を置いているプレイヤーが挿絵に認められるため、「出塁」の概念はありそう(守備側の選手は手を置かないのではないか、という推測に基づく)

といったことが推測される。
つまり、このスポーツにあるベース概念も、現代の野球のそれとかなり近いと言える。
出塁の部分に関しては、挿絵の中の選手が守備側のプレイヤーである可能性もあるし、フィラデルフィアゲームに出塁概念がないのも踏まえると難しいところではあるが、このbaseballの用例以前から存在したとされるスポーツの中に出塁の概念があるものがあるため、ここでは上記のような認識で話を進めたいと思う。

イギリス式野球にも現代野球と同じようなベースが存在した。
だとすると、原型を求めるためにはさらに時代を遡る必要がある。

ストゥールボール

『A Little Pretty Pocket-Book』が出版された1744年よりも前の時期にイギリス国内で流行していたバットとボールを使うスポーツであり、イギリス式野球の祖先として有力なのが、「ストゥールボール」という競技だ。

これは非常にシンプルなルールを持っており、だからこそ野球のルールの原型部分を考える上で非常に重要と言える。
そのルールは、

  • 投手と打者の二人でプレイし、投手は打者の後ろにある的(ストゥール)を目がけて投げる。

  • 打者は棒を使ってストゥールにボールが当たるのを防ぐ。

  • ストゥールにボールが当たれば投手に得点が入り、バッターが打ったボールを投手がワンバウンド以内で捕球できなかった場合は打者に得点が入る

  • ワンバウンド以内での捕球に成功したら投打を交代する

といったものだった。
一番目を引く点としては、ベースが存在せず、そもそも走るルールすらない、というところがある。
このストゥールボールは元々ミルクメイドという牛の世話などを行なう女性の中で盛んにプレイされていたとされており(的として使うストゥールは牛の乳しぼり作業の際に用いられていたもの)、仕事の合間に短時間・少人数で行なう遊びだった。
そのため、走者や守備といった人数が必要になる概念はこの遊びの中では発達しなかったと考えられる。

またもう一つ重要なポイントとして、投手が得点を得る手段が定められているというところもある。
他のスポーツと比べたとき、野球型のスポーツには「ボールを扱わない側が攻撃する」という大きな特徴があるが、「なぜそうなったか?」を考える際にこのストゥールボールの存在が非常に役立つ。

ボールを的に向かって投げ入れるプレイヤーとそれを妨害するプレイヤーという構造は、サッカーでもバスケットボールでも、多くのスポーツでよくみられる構造だ。
ストゥールボールは、その基本の構造に妨害した後のボールの行先にも注目するルールを追加したにすぎない。
その行先に応じて妨害側も得点を得ることが可能になり、妨害側は相手にとって捕りづらい打球を打つことを目的とし、シューター側はただ的に当てるだけではない能力が求められるようになった。
その視点で見れば、現代の野球も、ゴールの代わりにストライクゾーンという的を目がけて投手が投げ、それを妨害するプレイヤーが一人ずつ打席に立ち、方向や飛距離が多様化した打球に対応するためにたくさんの守備プレイヤーが配置されただけのPK戦という風にも見えてくる。

冒頭のツイートに「どこを起点にどう構築していったらこのルールになるのか」という疑問があったが、「PK戦のようなゲームを起点に、弾いたボールの行先に注目するところから構築していった」というのは有力な回答と言えるかもしれない。

とはいえ、このストゥールボールを野球の祖先とする場合、「では、ベース概念はどこから来たのか?」という疑問が残る。
ストゥールボールには走塁がないのに、その次の時代に流行ったイギリス式野球にはほぼ完全な形でベースがある。ではいったいどうやってその概念は構築されていったのか、と疑問が生じるのは当然の流れだ。

そして、残念ながら、この疑問に明確に答えることは出来ない。

もちろん、この時期に突然ベースという概念が発明された訳ではなく、1744年以前に存在したとされる球技の中に近い概念を持つものはいくつか存在するのだが、そのうちのどれが元になったか、ということをはっきりと断言することは出来ない。

そのため今回は、それら「ベース原型候補」のスポーツのうち、現代野球と少々異なる方法でその概念を実現しているものを紹介するにとどめたい。

それがロシアに存在する「ラプタ」という競技だ。

ラプタ

ラプタは14世紀には文献に記録が認められる球技で、これはイギリスにおいてストゥールボールが流行していたのと同時期に当たる。

投手がいて、打者がいて、打者が打った打球を守備が捕球しようとして、というところまでは現代野球と同じだが、打者は打った後目指す方向は投手の後方になる。

投手の後方に線が引いてあり、そこに到達すると今度は打席の方に戻っていく…というところはクリケットとも同様だが、ラプタにおいて、打者走者は投手の後方の線を超えた時点で立ち止まってよく、打席とその線との間に誰も走者がいない場合、だれもアウトにならずに次の打者に打席が回る。
そして線を越えた状態で止まっている走者は、次の打者の打席をその状態で迎える。つまり、打席の向かい側に「一塁」があり、出塁の概念があるのだ。

面白いのはここからで、上に述べたように、一塁にあたる線の後ろ側は安全地帯だが、そうでない場所、つまり本塁と一塁の間にいる走者にボールを当てることで守備側はアウトを得ることが出来る。
当然アウトになった走者はその場でグラウンドから取り除かれ、本塁へ生還する権利を失うが、誰か一人がアウトになった時、それ以外のグラウンド内にいる走者はなんと、その場で立ち止まる。
そして立ち止まったその場所で次の打者の打席を迎え、打てばそこから走り出すことになる。
つまり、グラウンド内の任意の場所に実体を伴わないベースが生成されるとでも言うべきルールを有しているのである。

ある意味でこれは、現代野球のベース概念よりも原始的なもののように感じる。(あくまで自分がそう思うというだけです)
例えば自分が新しい球技を考えているゲームデザイナーで、ストゥールボールのような競技に走る要素を追加するとして、今の打球がどれくらい取りづらかったかを評価する指標をゲームに導入したい場合、ベースを何個か設置するよりも先にこの「その場で立ち止まる」方式を思いつきそうな気がする。あなたはそう感じないだろうか。
まずこのようなルールが生まれた後、だれもアウトにならないプレイもあっていいということで安全地帯としての「一塁」が生まれ、「この一塁を何個か置けばいいじゃん」という感じで現代の野球のようなベース概念が形成された……というような過程があったのではないか、と想像することが出来てしまわないだろうか。
もっとも、この想像に歴史的な根拠は全くない。

タッチアップ

ちなみに、元ツイートでも言及されており、野球のややこしいルールとしてよく語られやすい「タッチアップ」についても、このラプタと現代野球の差を考えると面白いことが分かってくる。

先に断っておくが、そもそも野球において、走者が「走ってはいけない」タイミングはそんなに多くない。
主には、デッドボール、ファウル、送球などがグラウンド外に出てしまった場合、それから直接野手に捕球されるフライがまだ野手に触れていない間、くらいのものだ。
それ以外のタイミングは、守備側の誰がボールを持っていようが別にいつでも走って構わない。投手が投げる前に走り出してもいいし、一塁手が投手に返球する前でもいい。そういうことをすると高確率でアウトにされてしまってもったいないから誰も走らないだけで、ルールによって走ることが禁じられているわけではない。

一方で、数少ない例外ケースでは、走者は走ることが出来ないし、走って次の塁に到達しても元の塁に戻されることになる。(送球などがグラウンド外に出た場合は、元の塁にいったん戻された後規定の数進塁できる)

これら例外ケースの中で、ファウルと未捕球のフライに関しては、バッターがボールを打った後に発生するケースだ。つまり、走者は一度走り出した後、元の塁に戻されることになる。(未経験者だと気づきにくいかもしれないが、ファウルの場合も元の塁に一度触塁する義務がある)

これらのケースで元の場所に戻れるのは、走者が必ず「ベース」というマーカーをプレイの始点にしているからだ。前のプレイの時点でどこにいたかが明確に分かるため、その場所まで戻ればいい。

ところがラプタには、そのマーカーがない。前のプレイの時点で走者がいた場所は、その走者がそれまでに走った場所なのでそれぞれ異なる。なので、一度走った後元の場所に戻るということが出来ないのだ。

そうなるとどうなるか。そう。ラプタには、タッチアップもファウルも存在しないのだ。
打者は360°どの方向に打っても走ることが出来るし、フライを打ち上げたとき、ノーバウンドで捕球されると打者はアウトになるが、捕球までの間走者はいくらでも進んでいいし、戻されることもない。

しかも、ベースがないということはグラウンド内にいる走者の数に限界がないということも意味する。つまり、もうすぐ帰れるランナーが6人いる、というようなケースだってあるわけだ。

そこで考えてみてほしい。あなたはラプタのプレイヤーで、今グラウンド内には5人のランナーが待っている。
強くボールを叩いて正面遠くに打球を飛ばせばもちろん、5人の走者とあなた自身がホームに生還できるかもしれないが、遠くに強い打球を飛ばすのはそう簡単なことではない。
完璧にとらえたいい当たりが投手の正面に飛びあなたはアウト、走者も誰も還れない、ということだって十分考えられる。
一方で、高々とフライを打ち上げた場合はどうだろう?
恐らく、遠くに飛ばそうとした場合よりもずっと確実に捕球までの時間を稼げるはずだ。
もちろん、高確率で直接捕球されるだろうからあなたはアウトになるだろう。しかし、あなたが時間を稼いだことによって、5人のランナーのうち何人かは生還して得点を獲得できるはずだ。

そんな状況であなたはどんな打撃を行うだろうか?
よほど腕に自信があれば別だが、恐らく多くの人は「出来るだけフライを打ち上げようとする」ことを選ぶのではないだろうか。

そして、ラプタがプレイされているシーンにおいて、そうしたことは実際に起こっている。

以下の動画内にラプタのプレイ風景を映した画像が何枚か登場するが、明らかに高々とフライを打ち上げようとする、野球とは少々異なった構えをするプレイヤーを多く確認できるだろう。
(以前はYouTube上にラプタのプレイ風景の映像があり、その中には足の間からバットを真上に振り上げるようなスイングも確認できたのだが、現在は動画自体が見られなくなってしまった)


この差からまず言えるのは、ベースという概念がないと、強く叩いて遠くに飛ばすというシンプルな「正攻法」以外の戦術が強くなりやすいということだ。
タッチアップもファウルもないルールであれば、遠くに飛ばすよりも野手の間を狙う方が簡単になりやすく、局面によってはただ高く打ち上げるのがかなり有効な戦術となる。

このことと、ラプタはベースボールの成立以前から存在したという事実を踏まえて妄想をたくましくすると、「正攻法をより重んじるためにベース概念が導入されたのかもしれない」ということまで言う事ができる。

もちろんこの妄想が正しい可能性はけして高くないが、「遠くに飛ばして自分も生きる戦術がより強い方が分かりやすい」という力学によってファウルや捕球までは走れないルールが追加されていったという予想は、少なくとも筋だけは通っているように感じられる。

そういえば、昨年MLBに導入されたルールの変化も、投手が長くボールを持って打者の間合いを乱したり、打者ごとに極端な守備シフトを敷いて打球が間を抜ける確率を下げたりといった「奇策・搦め手」を規制する方向のものだった……
などというのは流石に邪推が過ぎるので、誰かに怒られる前にやめておくことにする。
(実際、この変更は別に単純な力比べを是とするようなものなどと類推する余地はなく、試合時間の短縮という別のはっきりした目的が示されて行われたものである)

まとめ

まだまだ語り足りない部分は多くあり、

  • 最古の野球型スポーツの痕跡はアフリカにあり、その成立年代は遅くとも6世紀と考えられる証拠が出てきてるけど信憑性が怪しい話

  • 結構な長い間、野球はアメリカ人によってゼロから発明されたスポーツだという全くの捏造が信じられており、野球殿堂がクーパーズタウンに置かれているのはその謬説に基づいたものである話

  • baseballという単語、それからその中のbaseという概念の名前の由来は鬼ごっこ的な遊びから逆輸入する形で付けられたという話

などが主なトピックとしてあるのだが、ひとまず野球のルールの成立に関連するところについては語り終えたのでそれらはまたの機会に話すことにする。

今回の話を踏まえて「野球のルールがどこを起点にどう構築されたか」ということについて、答えるとするのであれば、

  • 打者と投手に関連するルールはPK戦のような競技を基に、キーパーが弾いたボールの行き先に注目していくことで構築された

  • 走者に関連するルールは「その場で立ち止まる」を起点に、誰もアウトにならなくてもプレイが終われるような安全地帯の概念が導入されていくような形で構築されたかもしれない(あるいは、正攻法を強くするために「プレイの始点」を明確にしたいという力学が働いたかもしれない)

といったところだ。
後者の方はかなり根拠が怪しい予想ではあるが、自分なりの回答としてはこんなところになる。

参考文献

↑今回の話のメインの種本。
「ラウンダーズ野球の祖先じゃない説」や、イギリス式ベースボールの祖先としてストゥールボールを候補に挙げた部分の論拠は主にこれによる。
今回触れた部分以外にも野球の原型スポーツな話からアメリカでのプロ野球黎明期の逸話まで非常に面白いエピソードがたくさん載っていたので、この記事をここまで読んでいるような興味関心を持っている人にはぜひともおすすめしたい一冊。

↑イギリス式野球以前のスポーツにベース概念が存在したことを確かめるのに使った。
こぼれ話として扱った古代の野球の原型に関する論文の原本も掲載されている。

↑ラプタの成立年代やルールを確認するのに使った。
ルーマニアのオイナやチェコのペサパッロといった野球の原型として名前が挙がることの多いスポーツについても内容が詳述されている。

ロシア式野球「ラプター」って どんなスポーツ!? 

http://ifie.or.jp/images/library/File/rbaseball/rb_rule.pdf

↑ラプタのルールについて、日本語で簡単に解説してくれている資料。Wiki日本語版の記事すらないので、これが一番内容として親切と思われる。

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