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読書ログ#3

Twitterで新書の紹介をすると、ちょいちょいリツイートされる。その主は、だいたい著者、書店、そして版元の新書用アカウントのどれか。自分の読書用のアカウントは、そんなにフォロワーいないから、そうした人たちにリツイートしてもらえると、自ずといいねも増えてくる。読書ログ用のアカウントで反応をもらいたいという自己顕示欲を、読書のエネルギーに変えています。というわけで、noteのほうも似たような感覚で更新していきます。

藤野裕子さん著「民衆暴力」(中公新書)

吉村昭さんの「関東大震災」なんかも、デマが起こした虐殺のひどさを物語っていたけど、民衆が持つエネルギーが社会状況と絡み合うことで、暴力として作動していくというのは、いつの時代にも起こり得る。この先の社会を描くにしても、そうしたエネルギーの存在も加味していかないと、望まない暴走を生み出してしまうかもしれない。

デヴィッド・スタックラーさん&サンジェイ・バスさん著/橘明美さん・臼井美子さん訳「経済政策で人は死ぬか?」(草思社)

読んでいるうちに、積極財政論者になってしまう1冊。公衆衛生学からの財政論を、緊縮財政を講じた国と積極財政の国との比較でわかりやすく示しています。医療統計データ×財政という組み合わせで、この先の未来を見据えていった場合、財政赤字大国日本の進むべき道はどうなるのだろうか。

熊本史雄さん著「幣原喜十郎」(中公新書)

「幣原協調外交」なんて言葉は高校日本史あたりで習う言葉だけど、その人物に絞って追っかける機会はあまりなかったので、興味深く読めた。近現代史は、人ごとに追っかけ直してみると、新しい視点をたくさん得られる。出来事中心で生半可に追っていくと、当時のレッテルに流されて、たとえば幣原外交を、当時の軍部よろしく軟弱外交となじってしまうような落とし穴にハマってしまうパターンもあると思うので、人物ごとに追ってみることで歴史への視点を増やすのは案外、大事かもしれない。近現代史の新しい研究成果が新書レベルで読めるのもありがたし。

広中一成さん著「後期日中戦争」(角川新書)

太平洋に戦端が開かれてしまうと、本来の戦いだった中国戦線について視線が向きにくくなるのは、後世だからなのだろうか。それとも当時もそうだったのだろうか。この時代の日本の戦争を見てると、それぞれの組織が、各々の自己都合と面子だけで勝手なことをして、それを周りも感情で許してしまい、結果、収拾がつかなくなるというパターンが多いような。

植木雅俊さん著「今を生きるための仏教100話」(平凡社新書)

これからは「祈りの時代」なのではかと、割と強めに思っているので、植木さんが新書でわかりやすく解説してくれるのはありがたい。祈りの時代とは、精神性、心のありようなどにより高い関心が払われる時代といった意味合いで、ここ30,40年でモノからコトへと消費の対象が変わってきたさらに先に来る価値観。つまり、消費の対象も、より精神的なものや、人の心を整えるものに向かっていくんじゃないかなと。マインドフルネスだ、ヨガだ、スピリチュアルだ、といったものも、そのバリエーションの一端で、この先、“霊験あらたかな観光地”とか、”素朴な宗教体験”とか、”超高齢化社会での死との向き合い方”とか、そういったサービスが増えてくるのではなかろうかと。たとえば、松島観光を日本三景ではなく、霊場体験として巡るなど、既存のコンテンツが文脈を替えて登場してくるなど。宗教への関心を高めることで、このあたりはもう少し探究してみたい。

と、前回の記事に続き、たまたま植木さんの著作で締めになったので、宗教や祈りについての語りになってしまいましたが、言語化しきれてないが故に、駄文が長く続いてしまったのは、頭の体操を兼ねてということでご容赦を。

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