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わかりやすく何もできないのが「海外」だった

「日本では刺激を感じない」
「日本では生きてるって感じがしない」
「日本で生きるのはつまらない、固定観念にがんじがらめで、窮屈だ」
ずっとずっとこんなことを思っていた。
だから15カ国もほぼ1人で、アジアからヨーロッパからアフリカまで、放浪旅をした。コロナ直前には男女のジェンダーギャップの核心に迫るべく、それを目的に掲げ、バックパッカー旅をやった。たぶん移動距離とんでもなかったと思う。やっていたことは実質ほぼ移動。え?

冒頭のセリフ、全部ただのわがままに聞こえるかも。そうかも。

もう6年近く前、ある人にこんなことを聞いた。
「◯◯さんはなんでそんなに『海外』に軸足を置くんですか?」
「わかりやすく生きてるって感じがするからじゃない。日本だったら何の難しさもない行政手続きも海外ってだけで一気にできなくなるし、公共交通機関使うのも一苦労、日本だったら当たり前にできることが海外だと当たり前にできないから、それで生きてるって感じるんだと思う」

なるほど。わかんないけどわかった、と思った。
当時海外放浪旅はしていたけど住んだことのなかった自分には少し理解が難しい言葉だった。その人の言葉には、海外に住んだことがあるからこその重みがあった。

今はカナダに住んでいる。
カナダに住み始めてすごく感じる。
言語の壁ゆえに電話がすごく難しいこと。
あらゆる手続きがわけわからないこと。
身の安全が日本にいるときと比べて確保されていないこと。

全てのことに慣れなくて、日々ストレスを抱えている。
言語の違い、文化の違い、生活習慣の違い、何もかも違う中で、それでも強くしなやかにしたたかに生き抜くんだ。

あんなに憧れた海外生活なのに。こんなにストレス抱えて。でも、それが幸せ。生きてるって感じがする。わかりやすく何もできない。それが生きることをわかりやすく難しくしてくれて、そこから生きてるって実感を得る。先に言っておこう、ドMではない。当たり前が、当たり前じゃない。そんな世界での生活、存分に楽しもうじゃん。

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