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モースとゲゼルの時代に突入しているのか


マルセル・モース(フランス 1872-1950) 文化人類学者、社会学者
シルビオ・ゲゼル(ドイツ 1862-1930) 実業家、元金融担当相


両者の代表作の一つをそれぞれ上げると下記になる。

モースは「贈与論」1925年
ゲゼルは「自然的経済秩序」1916年

専門家ではないので、僕の読んだ解釈の範囲内とその他の文献からの受け止め方だけで書くことをお許し願いたい。


二人が生きた背景には、西欧で産業革命が16世紀ごろから段階的に進み、急激に農業共同体が失われていき、工業化、すなわち現代のサラリーマンと社長的な、経営者と雇用されるものがマジョリティ化していった過渡期、黎明期があった。

前提として、その時期と現代の社会情勢を照らし合わせると、今まで会社に属して生活していたが、これからは、その食い扶持元や企業に属するという共同体的なものが崩れている環境が似ている時代といえる。現代の個人の不安に似た、先が見えない心理状態を常に抱えている人々が、その時代も多かったのではと。


ここで詳細について、ちょっとだけ定義の引用をして記すると、産業革命の急性期の定義の一つとして提唱したアメリカの経済史家ロストウがいる。
「生産的投資率が国民所得の5%ないしそれ以下から10%以上に上昇すること」彼はこの時期を「テイク・オフ」期間と定義した。その時期がイギリスは1783~1802年、ドイツは1850~1873年、日本は1878~1900年(明治11~33)と言われている。この定義からすると、二人ともこのど真ん中で生きていたのだと。
 

さて、モースを日本人にとって身近に思えるようにするには、「岡本太郎」の師匠的な人だった、とするのが分かりやすいかもしれない。渋谷駅にある『明日の神話』はみんな知っていると思う。
 
え、岡本太郎って、大阪万博(1970年)の「太陽の塔」の?60歳以上の人はそっちのほうが分かりやすいと思う。(写真は太陽の塔の内部)
 
 
文献によると、どうやら岡本太郎は父の仕事の関係で、軍縮会議の取材に同行し、18歳の時にロンドンに渡ったとのこと(1929年)。


その後、単身でパリへ向い10年間ほど過ごしている。その時、パリ大学(正式にはコレージュ・ド・フランス研究機関の教授)の一般講義(民族史学)をしていたモースに学んだ。その影響は多大で、ナチスがパリを支配する時まで師として伴走しながら学んだとのこと。
 
そんなモースの「贈与論」の作中にて「人は現実には自らの特性あるいは実体の一部を他者に与えなければならない」と書かれている。詳細は研究者の方にお任せするが、彼は人の「道徳的状態」の贈与的な部分を信じ抜いた、という感じだろうか。


元々、学生時代から生活協同組合の活動を支援し参加もしており、パリの学生の代表になるくらいの活躍であったという。その時代は、下記してある大きなカタストロフィ期間のただ中で、さらに産業革命によって徐々に資本家と労働者の格差も広がり、農村の協同体も崩れつつあった変動期でのことだ。
 
 
ゲゼルについては、時間どろぼうの「モモ」で有名なミヒャエル・エンデが大きな影響を受けたことで有名なのは周知の事実かもしれない。「減価する貨幣」を提唱した人だ。


彼は実業家として、スペイン、アルゼンチンで経営者として活躍し、ドイツに戻ったのち、1918年‐1919年のバイエルン革命で成立したバイエルン・レーテ共和国にて、金融担当大臣に就いたが、一週間程度で他の共産主義者に地位と権力を奪われ大臣職での活動はできずに終わってしまった。

彼が提唱した「減価する貨幣」というのは、簡単に言うと生の食べ物と一緒で、お金は時間と共に腐っていく、価値が減る、ということだ。身近にある近いものとして、地域振興券や商品券みたいなもので、満額で使える期限が決まっている、と考えると分かりやすいかもしれない。
 

現代の感覚で聞くと、「そんなの困る、、、」と思う人が大半だと思うけど、もし自分だけじゃなくて、全世界のお金が減価したらどうなるのか、を想像するだけでも結構ワクワクする。

まあ、今の社会、経済制度だと貨幣から金融資産や土地などに資産が代わるだけかもしれないけど、その他諸々の制度も含めて変更するなら、面白そう。

他に土地を国有化し全地球のみんなの土地として、その土地での経済活動から世界中の母親への年金制度みたいなものを提唱している。これも詳細は専門書にお譲りする。

同じ時代に生きた二人の時代的背景として、下記が大きなカタストロフィである。

・産業革命
・第1次世界大戦
・ロシア革命
・ファシズム、ナチズムの台頭
・第二次世界大戦
 
これだけ外部要因として環境が変わっていく時代は、現在の情報革命と言われている時代よりも、はるかに変化のベクトルと渦は強かったのだと想像できる。
 
 
少し脱線するが、吉本隆明氏は対談の中で、戦前の五・一五事件(1932年),二・二六事件(1936年)、金輸出解禁と世界恐慌で、失業者があふれ、特に農村では自分の娘を女郎屋(売春宿)に売るなどが多発し、様々な共同体が崩れゆく中で必然的に起きた出来事であるとし、現在は右翼が起こしたこと、と簡単にかたずけられているが、元々のスローガンと目的は、農村を救うこと、そのために贈収賄や汚職まみれの政界を打倒したことは、すごく良くわかる、と話されていた。

この世界恐慌後のいくつかの革命事件の後に制定された、『思想犯保護観察法』、『軍部大臣現役武官制』 が、第2次世界大戦の参加と軍部の暴走を構造的に固めた、と言われている。

なぜこんな話を挟んだのかというと、第二次世界大戦の前のこの期間、第一次世界大戦で戦勝国として棚ぼた式に日本が手に入れた,中国の青島、サイパン島、パラオ島の30年間近く統治することになる国として、遅れて列強国となった未熟さと欺瞞、準備の遅れというか、国、政治機構のちくはぐさが、市井の放置(その時期は確か自由主義と市場経済主義の導入がされていた。1次産業と2次産業がメイン)をまな板のだと思う。その時期は、国民の生活も価値観も、生活様式も農村部と都市部で相当な変化があったことからこそ、クーデター的な事件が何度も起こるくらいの変動期だった事実をご紹介した次第。
 
 
話を戻すが、モースとゲゼルの生きた時代の激動期に、人間性に訴える、倫理と道徳感、云うならば性善説的な観点と構造論は1世紀の時を経て、今こそ時代の流れのなかで、新自由主義と資本主義の成果・能力主義に疲れた世間の中で、求められている思想と構造なのではとも感じた。

多分これは、内田樹氏のいう「成熟した市民社会」の元素となる、一人ひとりの人としての成熟度が、網羅的に社会に反映されたときに初めて、社会としての倫理や道徳観を優先することができるのではないかとも思う。

という今の僕は自分ができること、思うことをまずは思考実験してみる、との段階だが、今後も考察を重ねたい。

以上


 
【参考文献】
・マルセル・モースの世界(モース研究会)
・時代病(吉本隆明、高岡健)
・シルビオゲゼル入門(廣田裕之)
・自然的経済秩序 (シルビオ・ゲゼル (著), 山田 明紀 (翻訳))
・怯えの時代(内山節)
・呪いの時代(内田樹)
 


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