中途障害者の哲学

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中途障害者の哲学

ご覧いただきありがとうございます。Note初心者で使い方を学んでいるところです。 障害者手帳を持ち、社会との共存に奮闘中です。 見えない障害と社会との付き合い方、社会学、科学、経済学、宗教学、文化人類学を薄く広く(たまに深く)を交えた投稿と、体験や観察から学んだ投稿が主です。

最近の記事

15cmと 2mの物差しで変わること

誰かから批判された時のリフレーミングの一例 私の認識している人の認知というか、認識基準の幅、ボラティリティ、種類、その他諸々の項目が多ければ多いほど、また、それをしっかりと認知の枠組みに活かすことができるほど、その人の懐が深いのでは、と現状考えています。 テーマの「15cm と2m」とは、その人の生きてきた人生で感じたこと、学んだこと、取り入れたこと、思考実験、実証実験等々、自己認識と、メタ認知も含め、しっかりと把握できていることの、基準になります。 例えば、自分発の言

    • 共存はあり、共生はなし

      ちょっと抽象的なお話だけど、最近の体験から書いてみます。   僕は、脳外傷の後遺症の影響で、一旦ダメになった人間関係、環境、雰囲気などなどのレジリエンスがとても低いです。    無理に我慢すると、体調がさらに悪化した経験あったりもして、今は無理せずに生き延びる、という感じで生きています。   有史以前もそうだと思うけど、有史以来からずっと、人と社会、自然は淘汰され続けてきた歴史があって、それぞれみんなが「合理化」=自分はある程度正しい、という理由から生き延びてきたのだ、と認識

      • 【超裏技】ビンのシールを簡単完璧に取り除く方法

        綺麗なワインなどの瓶を、別用途で使いたい時におすすめです。 色々とネットで調べてきたのですが、下記の方法では何か手間がかかってしまい、大変でした。例えば、 1.ドライヤーで温める 2.お湯をビンの中に入れる 3.消しゴムを使う などなど。 今回、沸騰したお湯をビンに入れて、ドライヤーで温め、剥がしにかかったのですが、シールは頑固に残ってしまい、どうしようか、、、と悩んでいました。 そこで、ふっとひらめいたのが、台所用ハイター、茶渋などのブリーチ用溶剤です。何か溶剤からす

        • 善意で舗装されている社会

          以前とても影響を受けた本「リーダーシップの旅」の著者である野田智義氏と、以前よりファンでもある社会学者の宮台真司氏の共著であり、MBAの講義の記録でもある 「経営リーダーのための社会システム論」 と出会い、一気に読んでしまいました。 現代の構造的貧困があることを前提に、その説明の理路は整然とわかりやすいもので、僕にも理解できました。そして、この構造的な系には、「悪者役」がいないことで、それに立ち向かうヒーロー像やその解決策がはっきりとしない、とのこと。 さらには、「安全、

        15cmと 2mの物差しで変わること

          私たちは神の前で踊る

          以前読んだ、ジョーゼフ・キャンベル著の「神話の力」の作中に、世界の宗教団体のリーダーが集まる会議に出席した時の、ある一場面が紹介されていた。   僕の中で一番記憶に残った箇所だった。それは、日本の神道に関わるものだったから。著者が神道のリーダーに質問をした際の、その回答が、表題のものだ。 「私たちは神の前で踊るだけです。」 前後の内容は詳しく覚えていないが、セム系一神教の宗教観とは、その考え方と認識の方法は、全く異なり異質なもの(快不快、善悪、是非を超えての意味で)である

          私たちは神の前で踊る

          イノヴェーションが起こる時

          大層なお題を書いてしまった。。。 ただ今日ふっとそんな言葉が思いつき、相手には言ってないフレーズがこれだった。 ある業務を依頼されてやり取りをしていた際、相手は恐らくこちらの作業の細かい手順や効率的なことは、わからないためどちらが良い悪いではないのだけれど、主観的な見方のすり合わせとして、編集作業の中で、残す部分と省く部分について少々議論になった。 私は省く派、相手は残す派、作業の効率や正確性、伝達性の表現を維持する最低限のこと、等々の論点からみて、一応判断したつもりだ

          イノヴェーションが起こる時

          加点式と減点式

          これまで様々な学びの場や働く場、団体等に身を置いてみた経験からと、日々のニュースやコメントなどから気が付いたことがある。 日本という国は、多くが「減点式」だ、と。 人に迷惑をかけてはいけません、と学校で先生から、家では両親から言われたことがある人は多いと思う。そしてそれが「正義」「正しいこと」として、その軸を基準に批評家やマスコミが発言することもよくみかけるし、世間全体がそんな空気感を持っている。 例えば小学校の時に「お漏らし」をしてしまった生徒は、それ以降ずっとその「

          加点式と減点式

          『矛盾』のすゝめ

          「矛盾」という言葉を聞いて、ワクワクして喜ぶ人は、多分少数だと経験測から思う。僕の知人の中では、確かに一定数はいる。特に連続起業家(シリアルアントレプレナー)がそれにあたる。 世界的に見ても、連続起業家の割合は少数だから、そのような種類の人と一般の人を比べると、相当な比率で少数派とみなせるはずだ。 では「矛盾」を好まないのが大多数だとする根拠は、今の世の中での現代人の生活様式が確かな証左となっている。 「人間は基本的に怠け者である。仕事にも、その性質が表れてしまう。」

          『矛盾』のすゝめ

          「合理化」から新規能力の気づきに

          合理化     言葉通りに読むと、 理(ことわり)に合う(あう、かなう)、そして化ける(ばける) となる     ここでちょっと心理学の辞書に相談してみると、こんなのがあった。 合理化(rationalization)= 防衛機制   要するに、「負け惜しみ」らしい。 自分にとってイヤな葛藤を高めないための行動や考え方、とのこと。     百科事典でも同じような文言があった。 「諸個人が自己正当化という意図をもってみずからの行為の真の動機を意識的あるいはなかば無意識的に隠

          「合理化」から新規能力の気づきに

          モースとゲゼルの時代に突入しているのか

          マルセル・モース(フランス 1872-1950) 文化人類学者、社会学者 シルビオ・ゲゼル(ドイツ 1862-1930) 実業家、元金融担当相 両者の代表作の一つをそれぞれ上げると下記になる。 モースは「贈与論」1925年 ゲゼルは「自然的経済秩序」1916年 専門家ではないので、僕の読んだ解釈の範囲内とその他の文献からの受け止め方だけで書くことをお許し願いたい。 二人が生きた背景には、西欧で産業革命が16世紀ごろから段階的に進み、急激に農業共同体が失われていき、工業

          モースとゲゼルの時代に突入しているのか

          世界の95%はまだ解明されていない

          観念論と形而上学 僕は16年前に交通事故で、頭を強打し、後遺症を負った。 当時は、緊急病院で簡単な検査だけをして、すぐ仕事に戻ったが、仕事が全くできなくなっていた。簡単な症状だけ書くと下記になる。 ・物事を覚えられない。すぐ忘れる ・人との距離感が分からなくなる。俗にいう空気が読めないっていうものだ。 ・人との上下関係も分からなくなる。距離感が図れないから。 ・自転車が載れない。小脳のダメージから。 ・すぐ疲れる、脳疲労から突然倒れてしまう。 ・すぐにキレる。

          世界の95%はまだ解明されていない