![草笛双伍d](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7268665/rectangle_large_type_2_bd75a5e108095774e4d3d231922258ee.jpg?width=800)
草笛双伍 捕り物控え一 風魔襲来3
3日後の夜、丑三つを過ぎた頃、
火付盗賊改方の与力同心の詰める官舎の
程近く、日本橋にある反物問屋、大越屋から火が出た。
半鐘が打ち鳴られ、闇夜をその轟音が引き裂いた。
町火消しが総動員されて、火消しに当たる。
町見回りをしていた、明智左門筆頭与力、
佐々木音蔵同心、川田一郎同心らも駆けつける。
だが同心たちには、火がおさまらぬ限り、
何も出来ない。ただ、燃え盛る大越屋を
見上げるしか術すべがなかった。
双伍の姿は、黒煙を上げる大越屋から3間ほど
離れた屋敷の屋根にあった。
わずかだが、屋根の上に棕櫚のわらじの
跡が見える。棕櫚で造られたわらじは、
通常の藁わらのわらじより、数倍の強度がある。
忍びが好んで使う履物だ。
ほかならぬ双伍も、棕櫚のわらじを愛用している。
忍びだった頃からの習慣みたいなものだった。
双伍は、大越屋から放たれる炎の明かりを頼りに、
棕櫚のわらじの足跡をたどった。
その人数は10名前後。方角は南に向かっている。
逃走経路としては、妙な方向だ。
日本橋より西には、他の与力同心が網を張っている。
そこを避ければ、海に出るしかない・・・。
まさか―――。
双伍は息を呑んだ。
<風魔>は海に向かっているのではない。
八丁堀・・・与力同心の官舎を標的にしているのでは―――。
双伍は猛烈な速さで、屋根から屋根へ飛んでいった。
疾風のごとく・・・。間に合ってくれ・・・。
それだけが双伍の願いだった。
八丁堀の与力同心の官舎には、長谷川平蔵長官と駿河右京同心、
沢村誠真同心、それに数名の下っ引きしかいない。
百戦錬磨の暗殺集団<風魔>10名を相手にするには、
手勢が少なすぎる。
駿河右京同心は不動流捕手術の名手ではあるが、
<風魔>の殺しの術には通じまい。
頼みの綱は覇道派一刀流免許皆伝の達人、沢村誠真同心と
一刀流の達人、長谷川平蔵長官が
持ちこたえてくれることに賭けるしかない。
そうなのだ、銭も無い与力同心官舎を襲うとなれば、
<風魔>の目的は殺し。
それも火付盗賊改方長官長谷川平蔵の首・・・。
さすがの双伍も息が上がってきた。
だが、官舎はもうすぐだ。双伍は目を凝らした。
そこでは表に出た長谷川平蔵長官をはじめ、
沢村誠真同心、駿河右京同心らしき姿が見えた。
その周りには数名の下っ引きの骸が転がっている。
長谷川平蔵長官らは、10名の漆黒の忍び装束に身を包んだ、
<風魔>に包囲されていた。
それだけでなく、駿河右京同心は肩口を斬られ、
右足には数本のクナイを打ち込まれて、
刀を杖代わりに立っているのが、やっとのようだった。
長谷川平蔵も左腕を斬られたのか、おびただしい血を流している。
唯一、無傷なのは沢村誠真だけだった。
それでも彼は肩で息をし、その顔は汗だくで、
焦りの表情が浮かんでいた。
<風魔>の一人が、平蔵を標的に、クナイを3本連続して投げた。
2本は平蔵自身が刀で叩き落したが、
残る1本が、長谷川平蔵の首に向かって空を切った。
双伍はとっさに、十手を投げた。
十手は平蔵を狙うクナイを、命中する直前に弾き飛ばす。
ようやく官舎の敷地に着いた双伍は、
残る1本の十手を腰帯から抜いて、身構えた。
3名の<風魔>が双伍に向かって、
飛び掛ってきた。3名とも計算された動きだった。
互いに交差しながら走り、相手の目を翻弄させる。
だが、双伍にとってその動きは容易に読めた。
二人が斬りかかってきた。その刃を十手で弾く。
その直後、もう一人がクナイを投げてきた。
双伍はそのクナイを、左手の鉄製の籠手で弾き飛ばす。
空に舞ったそのクナイを掴むと、<風魔>の一人に
投げた。そのクナイは、ひとりの<風魔>の胸に
深々と刺さった。その<風魔>はもんどりうって倒れ込む。
「ひけいッ!」
その時、頭目と思しき男の声がした。
まるで潮が引くように、ただ一人を除いて、
残る<風魔>9名が闇の中に溶け込んでいった。
とても、今の手勢で深追いできるはずもなかった。
下手をすれば、<風魔>の術中に入るかもしれない。
だが、目を凝らさねば見えないほどの闇の中、
双伍は頭目らしき男が振り返ったのを見た。
その目は細く、双伍を見返していた。
まるで、嘲笑うかのように・・・。
沢村誠真が用心深く、倒れている<風魔>のひとりに
近づいた。
すでに事切れていると思われたその<風魔>は、
跳ね起きると、沢村誠真の首を狙って刀を薙いだ。
沢村は、その太刀を刀で弾くと、
その<風魔>を一刀の元に斬り伏せた。
「誠に怖ろしい忍びよ。
死を前にして、ひとりでも手向かうとは・・・」
長谷川平蔵はしぼり出すように言った。
その顔は蒼白そのものだった・・・。
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