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国家が生まれる前、「精霊の王」。

中沢新一著

今年の4月、寿城池のほとりで水崎林太郎さんの追慕式がありました。その次の日、追慕式に来られた善光寺のお坊さんを、案内させて頂くことになったのですが、その時いろいろなお話をする中、おすすめ下さった本がこれ!

5月にこの本を注文して娘に送ってもらったのですが、遂に今回読むことができ、この時期にぴったりの大変ありがたい一冊になりました!!


国家というものがこの列島に出現し、人々の思考がそれによって大きな変化をとげてしまうと、かつては列島上にみちあふれていたシャグジの精霊=神たちの、巨大な規模での没落が始まった。この精霊の祀られていた場所に神社が建つようになると、居場所を失ったこの「古層の神」たちは、神社の脇のささやかな祠や道ばたの粗末な祭場に放置されるようになってしまった。

まず、そもそも国家というものがなかった時代が、世界や日本にもあったということなのです。

そしてそこには、「古層の神」であるジャグジ=精霊がいた・・・


西洋でも一神教であるキリスト教が生まれる前、「自然への畏敬の念」から精霊や妖精が語り継がれてますよね。

有名な妖精ではピーターパンの「ティンカー・ベル」ですが、調べたところによると、人間の赤ちゃんが最初に笑ったときに生まれ、「妖精なんていない!」と言われる度に、一人ずつ消えていく妖精の一人だそうです(笑)


一方、神社の脇や道ばたに追いやられた、日本の精霊たちは・・・

社会の表舞台から姿を消したかのように思われた、この縄文的な精霊であるジャグジという「古層の神」が、たくましく生き残っていた世界があった。芸能と技術を専門とする職人たちの世界では、この精霊はその名も「宿神(シャクジン)」と呼ばれて、芸能に生命を吹き込み、技術に物質を変成させる魔力を与える守護神として、大切に守り続けられていたのである。

なるほど・・・

日本では、芸能と技術を創る「職人たち」の世界に、守り続けられているとは!!


実際、海外から戻ると毎回「この雰囲気は、いったい何だろう?」と思う感覚が、日本にはあるんですね。

それが、この感覚だったようです・・・

つまり、今日「日本文化」の特質を示すものとして世界から賞賛されている芸能と技術の領域を守り、そこに創造力を吹き込んできたのは、この列島上からすでに消え失せてしまったかと思われた、あのシャグジ=宿神というとてつもなく古い来歴を持つ精霊だったのだ。


この本では「能」や「庭園」などを例に挙げていますが、私が帰国した時に感じるのは、例えば「建物の精密さ」からくる息づかいだったり、技術の域ではない一般の「お掃除」にしても、細かいところまで気が届いている「職人気質」などあります。

もしかして現在アメリカの、おかたずけコンサルタント「こんまり」さんの人気だって、その「職人気質」の中に棲む、日本文化のシャグジ=宿神のおかげなのかもしれませんね?!


芸能と技術を生きる職人たちの世界においては、比類なき独創性をそなえた「創造の空間」を擁護し、その様式と内容を不断に発達させつづける守護精霊として、深い愛着と尊敬を持って信仰されてきたのであった。まったくこの宿神なくしては、今日言われているような「日本文化」というものさえ、存在することはできなかったかも知れない。(略)シャグジは「創造の空間」に棲むことによって・・・

そういえば、職人さんたちの職場には凛とした「神聖さ」がありますよね。

また職人さんだけではなく、何かに集中している時の「創造の空間」には、別の感覚で「サクサクッ」とスムーズに流れることなど、ありませんか。

例えば、このnoteの記事を書いている時などにも・・ジャグジが、共に?!


これは余談ですが、もしかしてAIと人間との差別性を考えた時・・・

ジャグジ=宿神に守られた「創造の空間」における、「人間の無限の可能性」にこそ、AIには真似できないものがあるのかもしれない・・・なんて思ったりしました(笑)



いろいろな内容が、込められている本ですが・・・

今回は、この文章を引用して終わります。


私たちは今日、「国家」と呼ばれてきたものの内容と組織の原理が、大きく変貌をとげつつある時代に暮らしながら、国家の先に出現するものの本質を、なんとか見通してみたいと考えている。そのときいちばん必要とされるのが、国家の原理が作動していない社会に生きるとき、人間にはどんな思考、どんな身体感覚、どのような姿をした超越または内在の感覚がふさわしいのかをあらかじめ描き出しておく、想像と思考実験なのである。
シャグジ=宿神の存在は、そのような思考実験にとって、きわめて大きな意味を持つことになるだろう。なぜなら、私たちはもはや神などいらない、と言いながら、その思考は国家というものが無意識のうちに人の思考に埋め込んでいる「超越性」のプログラムから、少しも自由ではないからである。国家の原理によって汚染されていない思考の痕跡が、粗末な石や木の祠として、この列島のいたるところに放置されていることを、思い出そうではないか。また厳しい差別の現実に堪えてでも、非国家の感性を守ろうとしてきた人たちの苦難に、思いをはせようではないか。それはきっと今に、思考に野を開く鍵を、私たちに与えてくれるはずである。



また、こちらの記事は・・・

いつも感慨深く読ませて頂いているway_findingさんの記事で、「言語」という観点から、この本を解釈されております。 素敵ですよ。



長い間お付き合い、ありがとうございました!

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