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全てが愛おしく感じる瞬間。⑤奇跡はおきる

2015年9月上旬、夫の仕事の代わりにソウルに行くことになります。知的欲求が絶頂に達している者としては、首都の博物館や記念館などに行かなければなりません。しかしその日は残念ながら月曜日で、すべてが休館日。

行くからには何かあるだろうと必死に探した結果、一つの講演会がヒットします。主題は「中国は朝鮮半島の統一を願っているだろうか」でした。

夫の仕事は早めに切り上げて、ワクワクしながらその講演会場に行きました。しかし、なんと、集まっている人達を見ると、白髪のおじいちゃんだらけ。「場違いかな?」と、帰ろうとも思いましたが、ここまで来たなら聞いていこうと思い、端の方にちょこっと座りました。

いざ講演会が始まってみると、講演者のお話がとっても興味深く、メモを取るのが必死でした。中でもこの言葉は、衝撃でした。

「ドイツのベルリンの壁を壊すのができたのも、この半島で38度線を守り抜いたからだ。」

ゾクッとしました。

「そうだ、あの多富洞(タブドン)で守り抜いたからこそ38度線があり、ヨーロッパにおける東西問題にも影響を与えたのは考えられる。」と思い、その感動の勢いで、講演者を目がけて近寄っていったのです。

そして「私は日本人なのですが、ベルリンの壁のお話に大変感銘を受けました!」というと、その講演者は「ん?」という反応と共に、目をキラッとさせながら「一緒にお茶を飲みましょう。」といわれ、集まるおじいちゃんの群れを貫けて、裏道から下の階のカフェに行ったのです。

他にも一人、大学で中国の政治関係を教えておられる在韓中国人の教授(あとで、この方のコメントが出てきます)とも、一緒にお茶をすることになりました。

実は後で知ったことですが、その場所は今回、南北首脳会談で言論界全てが集まって報道を一括していた場所で、講演者の方は韓国ではとても有名な言論人だったのです。

この話を夫や知り合いにすると、大変驚いてました。私の印象としては、とっても気さくな「隣のおじさん」感覚でしたが・・。

そして、その方が「なぜ一生懸命、メモを取っていたのか?」と聞かれるので、多富洞(タブドン)・倭館(ウェガン)・浦項(ポハン)地域のことと、そこに韓国人と日本人の方を案内させてもらっている話をしました。すると・・・

「それを書いてごらん。」

と、おっしゃったのです。実際、日記でも書き留めておこうと思いましたが、ただの自己満足レベルだと思い書きませんでした、しかし、有名な言論人から「書いてごらん」といわれてしまえば、書くしかありません。


同じ頃、大邱方面の地方新聞と、多富洞(タブドン)がある漆谷郡が共同で毎年行っている「漆谷歴史・文化ストーリーテーリング全国公募展」もたまたま見つけていたので、こちらは練習として、その地域に焦点を当てて書いてみました。



結果的にこのエッセイは、日本人では初めての受賞となる「優秀賞」を頂くことになりました。

驚きました。ありえないことです。

この韓国で、日本人が賞を頂くなんて、考えてもいませんでした。

また、この公募展で頂いた賞金10万円は、夫と相談して自費20万円をプラスし、その地域の奨学金として使って頂くことにしました。



これにも、大変驚かされましたが、それ以上に驚いたことがありました。

それは、誠心誠意書かせて頂いた、言論の方へ送ったエッセイです。(これが、ヌリ路エッセイ「韓国との出会い」です。)

送った数日後、何も連絡がないな・・と思いつつ、その方の個人のウェブサイトの中の方を探してみました。

やっぱり、あるわけないよね・・と思いながら、表のページに戻ったら・・「韓国との出会い」として、一番上にその見出しがあるではないですか!!

「えっ? これって、ほんと?? こんなことって、ありえるの???」


奇跡が、おきました。


結局そのエッセイは、5000回以上の照会数と12件のコメントを頂きました。

ここにそのコメントを、日本語訳して載せさせて頂きます。


「日本人女性で、日本の太平洋戦争(日本は大東亜戦争ですが)と韓国の6.25を経験されてない方が、タブドン戦闘と浦項戦闘の戦跡を見て書かれた感動的な文章にまず感謝を申し上げ、その戦いで犠牲になった方々や苦難を経験した方々の子孫に対しても、正確に伝えきれていない今日の私たちを考えるとき、ただ恥ずかしい次第です。浦項戦闘当時、小学校1年生で死なずに生き残った私も、ただただ恥ずかしい次第です。nuricoさんはまだお若いようですが、これからもいろいろ教えていただければと願っています。」
「 上記にある、『日本人だけど良い人がいた。逆に韓国人であっても、悪い奴もいた。みんな同じ人間だ』 >著者は心が美しい方ですね。」
「 韓国人よりも韓国を愛する方ですね。恥ずかしいですね。私も頑張らなければ。」
「 すごくきれいな魂です。涙がでます。韓国の生活に常に祝福がありますように!」
「本当に感動です。胸がいっぱいになります。なんか恥ずかしい心になります。私は韓国で生まれ、30年を生きながらも、そのような歴史的な場所に行ったことがありませんでした。次に帰国した時には、優先的にこのようなところを訪れて見ようと思いました。nuricoさんに感謝をささげ、目的に向かっている日々が美しく実を結ぶことを願っています。」
「 .........韓国人として...恥ずかしいです。」
「なぜなのか、涙が出ますね。」
「心に響く文章、しっかり読ませて頂きました。本当にこの文章を読みながら、目が涙に溢れて熱くなりました。韓民族の哀歓をそれほど深く理解して下さる日本人に会ったように思え、とても感動しています。歴史の荒波の中で翻弄されながら、この民族は今日も死ぬ思いで生き抜いています。過去5千年がそうだったように....
9月21日プレスセンター20階で出会ったnuricoさん、私を覚えていますか?静かに微笑んでいた姿が鮮やかです。このように燃えるような熱い情を持っていらっしゃる方だとは知りませんでした。もう一度素敵な文章、ありがとうございます。」(←一緒にお茶をした大学の先生)
「20年間韓国で生活されたということは、韓国人の卑怯さと偽善(嘘つき)なども身をもって経験されたでしょう。なぜ韓国が分断されたまま、70年間こうしていると思いますか?それは、日本のせいではありません。
北朝鮮が身もだえしながらもあのような奴隷生活をしているのは、彼らが奸悪だからであり、また韓国の一部地域住民の理解できないわがままによるからだと思います。この事実を知って大韓民国が一つになるとき、あの北朝鮮は音もなく崩れ、すべての分裂は終わるのであって、他人の国を責めることでは全くないと思います。とにかく大韓民国のために友好的であって、このような良い文章書いて頂きありがとうございます。」
「 タブドン戦闘の現場を振り返って歴史を観察し、自らの自己価値と自尊心を回復しているあなたの信じられないほどの悟りは、私たちすべてが学ぶべき姿だと思います。同じ民族なのにお互いを殺しあった戦争をせざるを得なかった韓国人たちが、人類のためにどんな犠牲を果たしたのかを指摘した、歴史に対するあなたの洞察に大きく共感させられ、深く考えるようになりました。良い記事を、ありがとうございました。」
「そうです。特にタブドン戦闘現場を最初に訪問して見ることをお勧めしたいと思います。生と死が交差するところで、私たちは本当の意味での生命、自由、人権の意味を深く腑に落とす必要があるからです。良い記事を、ありがとうございます。」
「 日常では感じることができない考えを、させて頂けるようになりました。どうもありがとうございます。」


本当に驚きました・・・

涙が溢れて画面が見れず、震えが止まらなくなってしまって・・・・

居てもたっても、いられなくなりました。

こんなことも、あるんだと・・・


不可能だと思えた、日本と韓国の「国の観点」の氷の壁が・・・

少しづつゆっくり、溶けていくのを感じました。


                    (次回につづく・・・)


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全てが愛おしく感じる瞬間。①母という存在

https://note.mu/kando_nuriko/n/n931946d33abf

全てが愛おしく感じる瞬間。②国と国との間で

https://note.mu/kando_nuriko/n/n299bc6a41293

全てが愛おしく感じる瞬間。③見えない力

https://note.mu/kando_nuriko/n/n0a2c88930e86

全てが愛おしく感じる瞬間。④人と人との出会い

https://note.mu/kando_nuriko/n/n07429cf78ba4


拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡