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全てが愛おしく感じる瞬間。③見えない力

(注:これからは、国家・民族・宗教・思想・イデオロギー・教育・経済・言論(マスコミ等)に対する、微妙な表現も含まれていきます。ただそれは個人的な意識の成長段階において、全体を俯瞰して観るための変化の「過程」であって、どこかに固定される「結果」ではないことを申しあげておきます。ありがとうございます。)

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今から4年ぐらい前のことです。
ある同僚から勧められた一つの手記から、すべては始まります。


それは大邱(テグ)出身の韓国の方で、東京の練馬区在住サダサチコさんのブログ「言いたいことを言って死のう」との出会いでした。彼女のプロフィールには、1928年日本の統治時代に生まれ、13歳に太平洋戦争を経験、17歳で終戦となり日本の統治から解放されても、南北分断によって新たな悲劇に巻き込まれ、22歳には朝鮮戦争を経験し、死の恐怖にさらされたと綴られています。

http://iitaikoto2012.blog.fc2.com/blog-date-201209.html


激動の時代に生まれた一人の女性が、その時代の中で自ら選択したわけでもない共産主義者というレッテルを張られ、その枠の中に閉じ込められながら生きていかなければならない人生を拝見した時、アメリカと当時ソ連が繰り広げていた2大イデオロギーの観点の恐ろしさと共に、現在も休戦中であるこの半島の現実をあからさまに見せつけられたのです。


それまで20年間この韓国で生活してきた私にとって、一つの薄っぺらな知識レベルでの朝鮮戦争が、一人の女性の生きざまとして、心に深く強く響きました。本当にショックでした。知っていると思い込んでいたことが、実は何も知らなかったのです。

特にその手記の中で、大邱から近い多富洞(タブドン)という地域で、北朝鮮の共産軍と韓国国軍始め国連軍が熾烈な戦いをしたという事実を知ったとき、「多富洞 (タブドン)に行かなければ」と思いながらも、当時は恐怖や忙しさを理由に行きませんでした。今思うと「知る」勇気が足らなかったようです。

それから約半年後、あるきっかけでソウルの戦争記念館に行った時、怒りを伴う「疑問」が、遂に 多富洞(タブドン)まで足を運ばせることになります。
その「疑問」とは、「現在のように経済発展した韓国があるのは、朝鮮戦争時に応援してくれた、アメリカを始めとする国連軍のおかげである」と記念館の展示が訴えているように感じたからです。

「そもそも戦争の原因がアメリカと、当時ソ連のイデオロギー問題じゃないの?それなのに、韓国はアメリカに感謝しなければならないの??」

それを韓国の友人に尋ねても「そうなんじゃないの。そう、教えられてるよ。」という答えを聞いた時、その怒りは遂に主体的な行動になったのです。「本当にそれでいいの?この国を最後まで守ったのは、アメリカや国連軍じゃなくて、この韓国国民でしょう!!」


それを確認するためには、あの熾烈な戦いの現場である多富洞(タブドン)に行くことしかないと思い、現地の博物館を探して、次の日同僚と一緒に行くことになったのです。

その日のことはのち、ヌリ路エッセイ「韓国との出会い」として綴ることになりますが、思い出すだけでもあの時の複雑な感情が甦ります。

その時一番ショックだったのが、自分は韓国が好きで韓国のことはよく知っていると思い込んでいましたが、実は何も知らなかったということです。それは自分が生活している大邱は朝鮮戦争時に戦場にはならず、ソウルは奪還と陥落を何度も繰り返し、主権が目まぐるしく変わった所だったからです。結局、韓国でもその土地が持つ「痛み」が、全く違うということでした。自分は本当の韓国を知らない、20年近く生活していても実は韓国と出会っていなかった、という想いになりました。



そしてもう一つが、多富洞(タブドン)地域の戦争記念館の展示物の中にあった「アチソンライン」の存在でした。

アチソンラインとは、1950年1月にアチソン米国務長官が米国のアジア太平洋防衛ラインをアラスカ-日本-沖縄-フィリピンに定めたものだ。韓国の安全を保障しないと受け止めた金日成(キム・イルソン)主席の誤った判断で5カ月後に韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発した。   2017年8月22日中央日報より


もちろんいろいろな要因はありますが、500万人の犠牲者を出した朝鮮戦争の決定的な要因の一つとしてこの「アチソンライン」が、考えられます。

もしも、このアチソンラインが、日本海側ではなく太平洋側だったら・・


ちなみに、この展示はソウルの戦争記念館にはありませんでした。

ではなぜ、同じ種類の博物館にもかかわらず、こんなにまでも展示の仕方が違うのでしょうか。

それは外国人観光客が多いソウルという地域と、慶北地方の田舎である 多富洞 (タブドン)・倭館(ウェガン)という地域の違いにあるということは、すぐに判りました。


確かにソウル戦争記念館は、白人系の外国人がたくさん訪れます。きっと韓国に派遣されてきた、アメリカ軍の関係者や家族なのでしょう。そこには、今だ休戦中である韓国の現実を、あからさまに見ることができます。


同時にこの時から、見えない力を感じるようになりました。
自国の歴史をこう認識するようにという、アジア全体をコントロールする見えない力の意図でした。まさしく「創られた歴史観」です。


のちこのテーマは、韓国だけでなく日本でも無意識レベルで浸透している事実に驚くことになります。

例えば、韓国にお嫁に来た日本人ママたちが集まって、子どもたちにお母さんの国である日本の歴史を教えようと絵本を探すのですが、すべて自虐史観的で使えないというのです。同時に自分の中にもある自虐史観の存在を直視し、日本の学校教育やマスコミなどの根深い影響力を感じたものです。

少しずれてしまいました、話を元に戻しましょう。

結局、多富洞(タブドン)や他の関連地域を通して「朝鮮戦争でこの国を守ったのは、アメリカや国連軍ではなく韓国国民である」という信念のもと、その地域に韓国人の若者から大人までと、日本人の若者から大人まで100人程度案内させてもらいました。(のち、これが教育観光ヌリ路になります。)

そこでの手ごたえが、共有共感可能な歴史の再解釈としての可能性を実感することになります。

そして私の理想とする、金忠善(キム・チュンソン)将軍や水崎林太郎さんのような生き方が可能となり、子どもたちの未来のために何か役に立てるかも知れないという希望を感じました。

結局その時から私は、貪るようにして本やネットで調べることになります。韓国と日本という範囲を越えて、西洋と東洋という俯瞰した立場で世界を探るように観ることになりました。

                    (次回に続く・・・)


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全てが愛おしく感じる瞬間①母という存在

https://note.mu/kando_nuriko/n/n931946d33abf

全てが愛おしく感じる瞬間②国と国との間で

https://note.mu/kando_nuriko/n/n299bc6a41293

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡