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江戸の川柳② もてぬやついっそ地口を言ひたがり 柄井川柳の誹風柳多留七篇

 表題の句は、もてぬやつを笑う。川柳には人の悪口の句が多い。いつの時代も悪口でうっぷんばらしをしていたのだろう。それを相手に直接言わず、五七五に昇華しょうかしてストレスを発散する。これが川柳の「効果」のひとつだろう。
 江戸時代に柄井川柳からいせんりゅうが選んだ「誹風柳多留はいふうやなぎたる七篇」の紹介。
 読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句まえくをつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。 



もてぬやついつそいっそ地口じぐちを言たがり

282 もてぬやついつそいっそ地口じぐちをいたがり  さばけこそすれさばけこそすれ

 「地口じぐち」は、しゃれことば。
 もてないやつに限って、だじゃれを連発したりして場をしらけさせる。本人はいいつもりで言っている。だからもてないのだけれど。

にぎやかなあいつはみんなに避けられる
一人浮かれているだけのやつ
 



店中たなじゅうで知らぬは亭主ていしゅ一人なり

305 店中たなじゅうで知らぬはていしゆていしゅ一人なり  前句不明

 有名な川柳と同意。

町内で知らぬは亭主ていしゅばかりなり

 女房が浮気していることは周りのみんなが知っているけど、かんじんの夫だけが知らない。
 「たな」は、借家のこと。江戸の町は武士が土地のほとんどを所有し、少ない土地に町人が住む(参勤交代で武士の数自体が多い)。裕福な町人が土地を独占し、長屋を作り、借家としていた。
 前句がなくても意味のよくわかる句。 



「どだな」と隣へ見舞ふみまう大晦日おおみそか

306 どだなととなりへ見廻ふみまう大三十日おおみそか  さばけこそすれさばけこそすれ

 大晦日おおみそかは借金の取り立ての日。江戸時代も現代のカード社会と同じで、現金を使わずに買い物をしていた。
 「うちはなんとか返済を待ってもらったけど、おたくはどうだい?」と隣の人が尋ねてきた。こんな句が創られるほど、みんなキャッシュレスを当たり前にしていたのだろう。まあ、現金がないのでツケでの買い物が当たり前だったのが現実だろう。
 「もてぬやつ」の句も、この句も「さばけこそすれ」が前句だけど、「さばけるものな~に?」と聞かれて、どういう意味で創ったのだろう。よくわからないので、誰か教えてください。 



日は親のと子のは大違い

315 かぞ日はおやのと子のは大ちがい  じつなことかなじつなことかな

 これも年末の句。親は、「後何日で支払日だ」と数えているが、子は、「もういくつ寝るとお正月」と数えている。
 前句は「実なこと」(じつなことかな)なので、これが家庭の真実なのか、人生の真実なのか。

お年玉待ってる子の親火の車
利息も払えぬ年末の夜

 いくら苦しくったって、子どものために何か買ってやろうと思うのが親だろう。生活費がなくても子どもにスマホを与え、習い事に通わせる。でもそれが、本当に子どものためになることなのかどうかは別問題。貧しくったってしあわせな家族はいくらでもいる。
 違いがあるからこそ、違いを知ることもできる。何もかも与えられていたら、自分で考えることもしなくなる。
 せめて自分の目で見、自分の頭で考え、自分の川柳をひねり出したい。



 江戸の庶民の日常生活を五七五の川柳で表現しているが、さりげない言葉の中に今にも通用する人生の真実、人生の「実」がかくれていることも多い。 温故知新で次回も江戸の川柳を見ていきたい。



 タイトル画像は江戸の浮世絵師、歌川国芳うたがわくによし(1798~1861)の作品の模写。よく目にする「みかけはこはゐこわいがとんだいい人だ」より。人が集まって人になる。こんな遊びの絵も江戸の人々が喜んだ。国芳の発想もすごいが、それを受け入れた江戸庶民の感受性もすごい。豊かな芸術が江戸の町にはあふれていた。



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