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菊を見ながらお茶を飲んで漢字からバナナを食べる

 菊とか茶という漢字は中国からの直輸入だ。もちろん漢字自体が中国のもので、それが日本に伝わってきた。
 山とか川という漢字は、日本語(大和言葉)の「やま」「かわ」に漢字の山川を当てはめたものだ。山や川は中国にも日本にもあり、それを表す言葉はあったが、それを書くための文字が、日本にはなかったのだ。
 菊とか茶は、それ自体が当時の日本にはなく、それに相当する日本語は当然なかった。菊や茶は、現物と言葉がそのまま日本に輸入された。だから音読みしかなくて訓読みがない。

 山は「やま、サン、セン」、川は「かわ、セン」と、訓読みはひらがな、音読みはカタカナで教科書などには書いてある。ところが、菊と茶は「キク」「チャ、サ」と、カタカナの読みしかない。茶は、茶道の「サ」という読み方があるが、これは唐音と呼ばれ、新しく中国から日本に伝わったといわれる読み方だ。
 昔の中国の読み方が、つまりは古い中国語が、文字と一緒に日本に伝わってきていたが、日本は江戸時代の鎖国と同じように、平安時代にも遣唐使の廃止ということをした。そこで国風文化が栄えた。
 中国の漢字だけを舶来物だとありがたく使っていた男たちに代わり、かなを使って自由に思いを表現する女流文学が栄えた。
 平安時代の鎖国があったから源氏物語や枕草子は世に出たともいえる。

 閑話休題(それはさておき)、長らく中国と交流がなく、久しぶりに交流をしたら、言葉もかわっていた。日本でいえば、江戸時代の言葉と今の言葉のようなものだ。明治と今でもいい。とにかく、ちょっと違った読み方が新たに日本に伝わってきた。それが唐音だ。
 菊や茶は、古くから日本に伝わっていたが、茶道は新しく日本に伝わってきたものだ。

 菊や茶は、もともと日本になかった。言葉とともに伝わってきた。

 キウイなども日本になかったものだ。現物とともに言葉が伝わってきている。新しく日本に伝わってきたものは、現在はだいたいカタカナ表記になっている。パイン、メロン、トマト、マンゴー……。
 バナナも同じカタカナ表記で外国語だけども、実は昔は日本語があった。昔からバナナの木は日本にあり、実芭蕉と言っていた。

 芭蕉は、松尾芭蕉の芭蕉。

古池や蛙飛び込む水の音

でおなじみの江戸時代の俳句の人だ。

 芭蕉という人は、家にバナナの葉のような葉っぱをした芭蕉の木があったので芭蕉というペンネームを使っていた。松尾芭蕉というのは本名ではなく、ペンネームなのだ。
 石川啄木の啄木はキツツキのことだし夏目漱石や森鴎外も全部ペンネームなのだ。漱石は夏目金之助、鴎外は森林太郎が本名だ。啄木は石川一(はじめ)といった。

 芭蕉にもどると、芭蕉の木に実はつかないが、実がつく芭蕉の木、すなわちバナナの木のことを実芭蕉といっていた。実芭蕉という言葉よりバナナという言葉の方が流通して、あの黄色い果物はバナナということになった。
 肉という漢字も、「ニク」という音読みしかない。中国から伝わってきた言葉だ。ところが肉自体は日本にもある。漢字が伝わる前から日本人は肉も食べていたはずだ。肉の日本語は「しし」と言っていた。けれど猟師しか使わないような「しし」より「ニク」という呼び方の方が全国に流通してしまったのだ。
 カタカナ言葉をすぐに使いたがるどっかの知事のように、外国語でニクニクと言うようになったのだ。バナナが実芭蕉という言葉よりバナナという外国語に統一されたように、「にく」という日本語のような外国語に変わっていった。

 知らなくていいようなどうでもいいことかもわからないが、そんな昔の日本の言葉のことも少しは知っていれば、何か心がほっこりしてこないだろうか。

 私たちは、豊かな自然の中で豊かな言葉を使って生きてきたのだ。人間は言葉を使うことによって人間になったといわれる。言葉を使って物事を考えるようになったのだ。

 ゆっくりお茶を飲みながら、菊の花を見て、バナナをほおばって、ちょいとビーフジャーキーもかじってみると、昔の世界に心が飛んでいけるかもわからない。

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