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古川柳十篇③ 歌がるた好いた男を入れたがり 柄井川柳の誹風柳多留

 寺子屋で学び、文字の読める江戸の庶民はかるた遊びをよくしていた。
 江戸時代に柄井川柳からいせんりゅう(1718~1790)が選んだ川柳をまとめた「誹風柳多留はいふうやなぎたる」を紹介している。全5回の③。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、そして七七のお題(前句まえくという)をつける。調子に乗ったら、自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。 



歌がるたいた男を入れたがり


393 歌がるたいた男を入れたがり  前句不明

 「歌がるた」は百人一首のかるた遊び。取り札はみんなひらがなで書いてあるので、寺子屋へ行っている人は読むことができた。
 当時は女の人の遊びだった。その中に男の人を入れることもあって、ここでは、自分の好きな男をかるたに誘いたがっている娘のこと。男尊女卑の時代とはいえ、積極的な女性もいた。


 私の百人一首現代語訳は、

私のかるた指導法は、



 

「いつもお若い」とは後家へあてこすり


390 いつもお若いとは後家へあてこすり  前句不明

 「いつもお若いですね」というお世辞も、相手が後家で、若い男とのうわさがある人なら、この言葉が皮肉となる。
 江戸時代にもうわさ話はたくさんあり、それが瓦版かわらばんになったりもした。 



宿しゅく近く草履ぞうりをはいた人に会い


333 宿しゅく近く草履ぞうりをはいた人にい  前句不明

 江戸時代の旅は歩き。何日もかけて目的地に着く。みんなわらじをはいて旅している。わらじ姿ばかり見ていたのに、ぞうりばきで普段着の人が増えると、やっと宿場町にやって来たと実感できる、という句。

木々の中ポツンと一軒家出現
それまで何もない山道で
 



たいくつの中を流るる富士の雪


427 たいくつの中を流るゝ不二ふじの雪  きびしかりけりきびしかりけり

 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれ橋や渡し船がなく(駿府城の防衛のため)、川越しかわごしをしなければならなかった大井川は、大水になると何日も川止めとなる。旅の途中の川止めは、越すに越されず、たいくつな日々が続く。
 この大水は、富士山の雪解け水のせい。急ぎの旅では「厳しい」(きびしかりけり)日々となる。

川止めで長い逗留とうりゅうひまなもの
静岡流れて家康守る
 



次回に続く、 



誹風柳多留はいふうやなぎたる」のまとめは、

 


 タイトル画像は、長沢芦雪ろせつ(1754~1799)の作品の模写。左に猫、次に子ども、最後に竹とスズメを描いている画。そのスズメの部分の模写。
 どこにでもいるスズメは当時の画家の画題としてよく描かれている。江戸後期の画家は、日常を写生することをよくしている。
 芦雪ろせつは1986~1987に、師匠円山応挙まるやまおうきょの代理で紀州和歌山に行き、多くの画を残しているが、これもそのひとつ。

童子雀猫図部分



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