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夏休み読書感想文「星の王子さま」を読んで

note最初の投稿がこの記事になるとは思わなかった。

プロフィール欄を見てもわかるが、おひとりさまで乳がん再発、貯金なしのフリーランス、実家の住宅ローンまで抱えてますの崖っぷちな私は自分のいろんな体験を書こうとしてたのだけど、どう書くべって迷いもあって全然始められないので、そういう私の現状を踏まえた日常を書いて行こうと思った次第。この「星の王子さま」も今の私だからこそめちゃめちゃ琴線に触れた部分あり。というわけで、私のnote履歴は「星の王子さま」の読書感想文から始まります〜。

西畠清順氏の「星の王子さま」とコラボしたバオバブの苗が販売中止となってちょっとした騒動になっている。そんなこともあって、「星の王子さま」(講談社青い鳥文庫・三田誠広・訳)、持ってたなあと思い出し、読んでみることにした。

実は私、「星の王子さま」を読んだことがない。いや、こどもの頃、図書館で借りた気もするが、読んだか読まなかったかさえ判然としない。つまり、内容は全く覚えていない。しかし、これまで、当然のごとくに知っているようなフリをしてきた。音楽にしろ本にしろ、そういうものは多々あるわけだが、「星の王子さま」ってのはなかなかに知らないって言いづらい物件だ。

いつか読まなきゃなあ〜と思っていたら、この前、たまたま行きつけの本屋で星の王子さまフェアをやっていたこともあり、小学校中学年向けのものを一冊購入して本棚に並べていた。しかし、なかなか読む時間がなくそのままになっていたのだが、今回のバオバブ騒動を受け、お盆休みにちょっとと思って、読み始めた。

そして、昨日、行きつけのカフェで読み終えた。
この話、こどもたちはどういう風に受け止めるのだろう・・・。
ここまで、冷静に文章を進めてきたが、実は私は動揺している。ここからちょっと文体が変わってしまいそうだ・・・。

書物はその人にとって必要なときにその人の元にやってくる。まさに今この物語を読むために、私はこどもの頃にこの本を開かなかったのだ・・・。そう思わざるを得ないほど、この「星の王子さま」は私の琴線を”弾いた”。琴線というと聞こえはいいが、ちょっと線が震えすぎて、50過ぎた女が、カフェのカウンターで鼻をシュンシュン言わせながら、児童書片手に、目の前の店員の目を盗んで、紙ナプキンで涙をこっそり拭っている・・・。

自分の星に咲いた美しい花と別れ、王子さまは旅に出る。小さな星々で様々な人々と出会い、そして地球にたどり着き、キツネに、そしてぼくと出会う。王子さまが地球にたどり着くまでに出逢う小さな星々の住人は、近代以降の社会、主に資本主義が生んだ人間疎外の様々な形を表現している。例のバオバブはというと、いつの間にか大きく成長し、はびこって小さな国を滅ぼすものの象徴として描かれている。執筆当時の状況から、それは帝国主義と言われる。西畠氏らは、そういうバオバブのイメージを払拭すべく、本当はアフリカの大地で原住民の暮らしに寄り添ってきた木であることを強調していたようだが、この苗を6480円もの価格で売る必要があるのかしらって思うし、星の王子さまだったら、アフリカから苗をこんな極東の国まで持ってきただろうかとも思う。バオバブが帝国主義の象徴からグローバリズムの象徴に変わっただけと言われてもしょうがないのかなという気がする。

私が琴線を弾かれてしまったのは、そうした王子さまが立ち向かったり出会ったりする近代以降の矛盾を抱えた人々の描かれ方というよりは、王子さまが地球へと旅をする中で学んだ人との関わり方だ。王子さまは、旅先の小さな星々で上記のような矛盾を抱えた人々と出会い、さらに、地球へやってきて一匹のキツネに出会い、本当の人との関わりについて学んで行く。

王子さまと故郷の星に咲いた花の関係、王子さまとキツネの関係、そしてぼくと王子さま。描かれたそれぞれの関係性の中に自分にも思い当たることがある。その時と場合によって、私は王子さまだったり、花だったり、キツネだったり、ぼくだったりする。彼らが発する一つ一つの言葉が、過去の自分の記憶を呼び覚まし、たくさんの後悔を引き連れてくる。

花と出会って、人を好きになるとはどういうことかを知り、キツネと出会って、人ときずなで結ばれることを知る。キツネはきずなで結ばれること=「なつく」ことと表現する。ここに「なつく」という言葉が選ばれていることに涙がこぼれてしまった。

「もしよかったら・・・、あんたになついていいかな。」

キツネが王子さまに言う。

ガンの再発を告知され、一度は死ぬかもしれないという思いを体験した私が(もちろんいまは死ぬなんて思ってはいないけれど)、いま最も口にしたい言葉はもしかしたらこのキツネの台詞なのかもしれない。これ、言えそうでなかなか言えない台詞だ。

「なつく」という言葉の含む親しさのニュアンス。それは簡単に手に入れられそうで、なかなか手に入れられないものだ。「仲良くなる」とも微妙に違う。これまでの人生で、「なつけた」相手というのはどのくらいいただろうか。

キツネが王子さまに語る。

キツネ『《きずな》でしっかりと結ばれる。それが《知る》ってことなんだよ。』
王子『どうしたら《きずな》を結べるの?』
キツネ『耐えることが必要だね。最初のうちは、あんたはこんなふうに、草の上の少し離れたところにすわってればいい。わたしは離れたところから、あんたのことを、ちらっと見る。あんたは何もしゃべらなくていい。言葉なんて、誤解のもとだからね。それから、毎日少しずつ、あんたはわたしの近くにすわるようにすればいい・・・。』

心が痛い。私は耐えられず、しゃべってしまう。
説明することは一見誠実に見えて、実は言い訳にすぎないと我が身を振り返る。もちろん、説明が必要な場合はあるけれど、それが言い訳ではないかということに私たちは細心の心を砕かなければならない。

王子さまは、自分の星に残してきた花を思ってこんなことも語っていた。

『花はぼくを困らせるために、ほんとうに死んでしまうかもしれない。』

ガン再発というカードを得た私は、周囲の人々に死をちらつかせてしまうことがある。もちろん、死にたいわけではないし、意識的にやっているわけではないが、自分のことを心配してもらいたくて、いつどうなるかわからないと弱音を吐く。甘えているのだ。しかし、そういう振る舞いはほんとうに体を衰弱させかねないことは自分でも良くわかっている。本当はそれが一番悲しいことなのに、人は弱い。離れそうな心を引き止めるために、そして、様々な状況に耐えることに疲れて、死の影を踏む。でも、そんなことをしなくても幸せになる方法はあるはずなのだ。

命をつなぐ水も残りわずかになり、焦って砂漠を脱出するための飛行機を修理するぼくには王子さまの言葉は上の空だ。とりあえず生き延びねばならない。飛行機の修理はうまくいってないし、飲み水もない。「ぼくだって泉で好きなだけ水を飲めたらって思うよ・・・」とイラつくぼくに、王子さまはキツネの話を続ける。キツネなんてどうだっていいと吐き捨てるぼく。それは、経済的にも瀕死状態で、かつ、死に近づいているのかもしれないと焦り、「私もうギリギリなのよ」と周囲に当たっていた自分の姿にも重なる。

王子『死にそうな人にとっても、ひとりでも友だちがいるってのは、すてきなことじゃないか。 ぼくはキツネと友だちになれて、すごくうれしいんだ・・・・。』

そして、だまっているぼくに王子さまは言う。

王子『ぼくも水がほしいな・・・。井戸を探しにいこうか・・・・・。』

ぼくと王子さまは共に歩き出す。
どこにあるのかわからない目に見えない砂漠の井戸。見つかる前に倒れるかもしれない。突然、井戸を求めて歩き出した王子さまにどういう心境の変化があったかはわからない。けれど、二人はなにも言わず暑い砂漠をだまって歩く。月が照らし、星が輝く夜空の下、相手の言葉はただの音として、もう意味など求めない。

『王子さまがなにを言おうとしたのか、ぼくにはわからなかった。けれども、問いただそうとはしなかった。王子さまの心から、ぼくの心に、なにかが伝わってきた。』

そこにはもう焦りはない。いつの間にかぼくもだまって歩いている。それは、ふたりに《きずな》が結ばれたということなのだろうか。心の中のモヤモヤを言葉にすることをやめた時、立ち現れるものがあるのだろうか・・・。

自分にもかつて何度かこういう瞬間があった気がする。しかし、その伝わってきたなにかを掴めぬまま、やがて問いただし、もしくはそのまま放置して、相手とのきずなはどこかにいってしまった。

一度言葉や形になったものをそれ以上深追いしても意味はなく、その背後にある未だ形にならないなにかをそのまま抱きしめることが相手を受け止めることではないかと、そうどこかでは感じていながら、人はなかなかそうはできないものなのだ。

「なつきたい」だけなのに、なにを問いたださねばならないのだろう。
「星の王子さま」はそんな目に見えないもの、形や言葉にならないものの大きさをあらためて思い出させてくれた。

たまたま昨日会ったある人が、そういうのが本物の恋愛なんですよと言っていた。しかし、だとしたら恋愛することというのはなかなかに辛いことで、今の恋愛至上主義的な世の中へのアンチテーゼのようだ。それに、これは恋愛に限らず全ての人間関係で言えることでもある。

しかし、キツネが言ったように、まずは耐える。そして、目に見えないものを感じながら近づいていけば、その先には何かが待っているかもしれないのだ。まさに「なつく」という言葉で表現するにふさわしい人と人の関係が。

そして、やっぱりそういう人間関係って、近代の資本主義が暴走し、グローバル化が拡大していく世の中で、徐々に徐々に損なわれてきたんだなあとも思う。それは今回のバオバブ販売中止騒動の背景にあるものでもある。

「星の王子さま」皆さんも夏休みの読書の一冊としていかがでしょう。



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ただいまお手上げ状態脱出画策中。経済、乳がん、住宅ローン、とりあえず、お金を稼いでゆったり暮らせる状態を作るのが目標。乳がんは特に症状はなく、金欠だし、標準治療してないのですが元気です。