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普段見ている何気ない景色が輝いて見える。

いつもと同じはずなのに、世界が全く違って見える。

大きな病気から奇跡的に回復した人や、宇宙から帰還した人は何気ない風景に感動したりする事があります。

今日はなぜそのように感じることがあるのかについて私なりの考えをお伝えします。

結論から言うと、現実は自分が発しているものを映し出す鏡だからだということです。

今日はそんな内容のことを書いていきたいと思います。

実は世界は毎瞬、違って見えている

前置きの例に挙げた病気からの生還した人や宇宙から帰還した人などは特殊な事例です。

しかし、そんな特別な人ではなくても、私たちは難関の試験に合格した日や感動的な映画を観た後、美しい音楽を聴いた後など、特に幸せな気持ちで満ち足りている時には、普段と全く同じ景色を見ているはずなのに、これまではと全く違ったように世界が美しく見えるというような経験は誰しも一度はあるのではないでしょうか?

逆にとても落ち込んでいるときや、イライラしているとき、やらかしてしまって自分を責めてしまっている時などは世界はとても腹立たしいところのように感じるという事もあるのではないでしょうか?そんな時に限って、追い打ちをかけるように嫌な目に遭ったり、、

そういった同じ世界、同じ景色、同じ現実を見ているのにも関わらず、私たちは違うように感じる事があります。

もちろんそこに登場する人物は、毎瞬毎瞬異なりますが、そこに登場人物がいなくても、見え方はいつも同じとは限りません。

景色そのものは変わっているわけではないのに、違うように見えるのはどうしてでしょうか?

それは、私たちのその時の気分が異なるからではないでしょうか?

幸せで満たされたような気持ちでいる時は、景色はポジティブで美しいものに感じます。一方で、ネガティブな気持ちでいると、景色もネガティブなものに映ります。

実は世界や景色の方はニュートラルでいつも同じですが、変わっているのは私たちの方だったのです。

つまり世界の見えかたは、その瞬間瞬間の私たちの状態で変わってくると言うことが言えるのではないでしょうか。

状況には意味はない

そう考えると、世界の方はただ淡々とそこにあるだけであるという事が理解できます。

淡々と同じでないのは私たちの方であり、自分の状態が変われば、世界そのものも変わったように見え、変わった現実を体験することができるということです。

状況そのものは、常にニュートラルであり本質的には何の意味もないと思っています。状況それ自体には、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているということはないということです。

あるのはただただ、こちら側の状態とその状態におけるこちら側の解釈があるだけであると言うシンプルな構図なのだと思います。

ここで、誤解されやすいことですが、
状況そのものには意味はないと言いました。

しかし、当然、自分にとっては意味はあります。
正確には、意味は自分の解釈でつけているから意味があるのです。

自分にとって自然で受け入れやすい状況であれば、簡単にポジティブな意味づけがされて、ハッピーと感じることができます。

問題は一見すると受け入れ難い状況が生じた時です。そういった状況に遭遇した時、私たちは往々にしてネガティブな意味を瞬間的に与えてしまいがちになります。

しかし、ここで思い出す必要があるのは、
やはり状況そのものには意味はないということです。

ですので、どんな理不尽で最悪だと思える状況にあったとしても、状況そのものには意味はなく、ポジティブに解釈することは必ず出来るのです。

前回のnoteで陰と陽の話を書きましたが、完全に陰で完全に陽というものは存在せず、どんなネガティブに思えるものの中にも必ずポジティブな意味はつけることができます。その時に出来なくても後で振り返った時に、ポジティブに思えることもあります。

私も中国(中華人民共和国)で7年半過ごしましたが、その間色々な理不尽と思えるような出来事に遭いました。

物を盗まれたりは日常茶飯事で、人に騙されて10万円失ったり、自分より成績が低かった同級生皆んなが自分が希望した研修病院に配属されて自分の希望がなぜか叶わなかったり、信号を無視した公安局(日本の警察)の車に足を轢かれて何の謝罪も無かったり、他にも言えないようなもっと辛いと思えるような経験もしてきました。

しかし、今となっては全て貴重な体験であった、むしろその経験があったおかげで今の自分があると思えるほど、その状況に感謝の念が湧いてきます。自分の青春時代を育んでくれた中国に対しても、今でもとても感謝していますし、中国は大好きな国です。

どんな状況でも、どんなに過酷な状況でも、本質的にそれ自体には意味はなく、ただただあるだけで、自分がどう捉えるかだけしかないということだと思います。

これは多くの人にとってはなかなか受け入れ難い概念だと思います。

じゃぁ、不治の病に臥したり、自分ではどうしようもない状況に置かれた人はどうすれば良いのですか?とか、どうやっても光が見出されないと思える状況もあるでしょう、というご意見もあるでしょう。

もちろんそう言ったことも理解した上で、やはり状況それ自体には意味はなく、あるのはただただ、自分がどう捉えるかだけだと私は考えています。

現実は自分の鏡である

私は、現実というものはそれ自体は意味がなく、自分がどう捉えるかがあるだけだと考えています。

自分にとってポジティブな状況があるとすると、自分がポジティブだからこそ現実はポジティブに見え、ポジティブな現実を経験できるのです。

つまりポジティブな現実を経験したければ、自分自身がポジティブである必要があるということです。

物理的な現実は、自分を映し出す鏡です。
鏡はただただ正確に今の自分を映し出しています。

自分が微笑むと鏡の中の自分が微笑むように、自分がポジティブでいることで、現実はポジティブを反映してくれます。

鏡はニュートラルで、鏡自身が映し出すものを選ぶことは出来ません。鏡には選択肢がないからです。鏡の前の自分がしかめ面をしていれば、鏡もしかめ面をします。

私たちは往々にして、鏡に映っているしかめ面を長い時間をかけてなんとか変えようとしています。鏡の前に立って、「あなたの方が先に笑ってよ」と言っているようなものです。しかし、実際には鏡の中のしかめ面を笑顔に変えるには、自分自身が笑顔にならなければなりません。「鏡の中の私が笑うまでは私は笑わないからね。笑ってくれないなら、私も笑わないよ。」と。それでは待ち続けても永遠に変わりません。

しかし、鏡の前の自分がしかめ面に疲れてしまって、自分から笑ってみたとします。そうすると、鏡の中には自分の笑顔が映っています。

これが物理的な現実で、現実は鏡であるということを理解する必要があります。

ですので、人生は「降りかかってくるもの」ではないのです。人生は必ず、自分自身を通して出ていきます。

鏡の前で笑顔になるコツ

そう言っている私も時々凄く落ち込んだり、稀に自己嫌悪になったり、イライラしたり、不機嫌になったり、疲弊したりすることがあります。

頭では上に書いたようなことを理解してはいますが、鏡の前で笑えない自分がいます。(ネガティブになるのは、自分自身の思い込み、ネガティブな観念、定義づけがあるからですが。。)

そんな時は、私はどうするかと言うと、美しいものや感動するもの、愛のエネルギー、大好きなこと、ワクワクすることに触れるという事をします。そうすることで本来の自分の状態に戻ることが出来ます。

ネガティブな状態にフォーカスしていても、笑顔にはなれません。ネガティブな状況を脱するには、自分の状態を変える必要があるからです。

なので、美しい音楽や感動的な芸術に触れたり、自分が大好きだと思えることに触れることで、自分らしい状態に引き戻してくれます。

ポジティブな状態でいると現実がポジティブに展開する

現実や状況には意味がなく、あるのは自分がどう解釈するかで、自分がどういう状態であるかが大事だというお話をしました。

もしかしたらここで疑問に思われることがあるかもしれません。

自分の状態や解釈で現実に対する意味が変わるとは言え、実際問題それによって物理的な現実や状況そのものも変わりうるのかという疑問です。つまり自分がポジティブな状態でいて、現実に対してポジティブな解釈をすることと、ネガティブな状態でネガティブに解釈する事で物理的現実に差が出てくるのかという疑問です。

私が思う答えは、当然大きな差が出てくると思っています。

というのは、ポジティブな状態でポジティブな解釈を現実に対して与えてあげれば、それに見合ったポジティブな行動が起こります。そうすると、ネガティブな状態でネガティブなエネルギーを発しながらの行動で行った結果と同じになると思えるでしょうか?そうはならないはずです。

つまりポジティブな状態でポジティブなエネルギーを発していると、物事はポジティブに展開していきます。なので現実は文字通り自分の鏡なのです。

逆に言うと、どういう現実であるかによって自分の発しているエネルギーや自分の状態を知ることが出来ます。

もし、自分が望んでいない現実であるのであれば、自分自身がポジティブになっていないことを表しています。それはつまり、本来の自分とは離れた状態になっていると言う事です。

そう言う時は、鏡の前で笑顔になるコツを思い出したり、本来の自分でいるために、毎瞬毎瞬自分が最もワクワクする事を選択すること、そこに立ち返ることだと思います。

(もし余裕があれば、自分の中にあるネガティブな定義づけを探ってみることで、自分が与えていた「こうあるべきだ」という定義に気がついてきます。気づいて手放すことができれば、同じような状況になった時に違った解釈ができるようになります。)

本来の自分であることについては、以前noteでご紹介しましたので、宜しければそちらもご参照下さい。

最後までお読み下さいまして、誠にありがとうございます。

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