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映画評『ぼくと魔法の言葉たち』

映画のパンフレットに記事を書いたのは、これまでに1回しかありません。とても貴重な機会だったのに、いつだったかが思い出せず・・・
調べたら、4年前の4月でした。
津久井やまゆり園事件から、まだ1年も経っていなかったのですね。

『ぼくと魔法の言葉たち』(2017年4月公開)

3歳になる頃
突然 言葉を失った少年。
彼を救ったのは
ディズニー・アニメだった・・・

Amazon Primeで見ることができます。

以下、パンフレットに寄稿した文章です。

『ぼくと魔法の言葉たち』について

 神戸金史(RKB毎日放送 東京報道部)

 眼は見え、耳も聞こえている。だが、オーウェン少年は「五感から得る情報を脳内で総合する」ことに支障が起きている。先天性の機能障害・自閉症を持っているからです。

 視界の全ての情報が、さらに聞こえる全ての音が、洪水のように頭に入ってきてしまうのは、よく見られる症状です。
 目に映っている画面の中で何かが動くと、気を取られて、目前の話し相手の顔が埋没してしまう。クーラーの音がうるさく聞こえすぎて、相手の声が聞き取りにくい。

 普通は自然にできることが、意識しないとできないのです。

 自閉症の人は、眉や顔の筋肉のちょっとした動きから、相手の感情を「想像」することがとても苦手です。
 私が取材した自閉症の女性は「眉の端が吊り上がったら怒っている、目尻が下がったら笑っている。それに気付いて、意識して見るようにしました」と説明していました。自閉症を持つ子供は、100人に1~2人生まれてくるとされています。

 自分が好きなことを、相手が必ずしも好きとは限りません。なのにそれが想像できないので、相手の興味のないことをベラベラしゃべり続けて顰蹙を買う人もいます。「相手に自分がどう見えているか」を想像することが、とても難しい。
 大好きな彼女に、オーウェンはべったり近づきすぎて嫌われてしまいました。
 脳の機能障害は、「想像力」の障害、「対人コミュニケーション」の障害となって現れます。
 結果、いじめに遭いやすい。

 自閉症の人たちが置かれている環境を私たちが想像するなら、言葉の通じない異国の路上に突然立たされたようなものでしょうか。
 いや、周囲は自分とは全く異質のコミュニケーション方法を取っていて、たとえ言葉は通じてもその背景の気持ちが把握できない。自分だけが、全身をバリア(障害)に包まれているのだから、「異星人の中で独り暮らす」という方が近いかもしれません。

 それでも、何とか目の前の人や社会を理解しようとします。
 オーウェンのとっかかりは、ディズニーアニメでした。登場人物のオーバーなアクション、豊かな表情は、自閉症の人には理解しやすいのです。有能なジャーナリストの父親がそこに気付き、何年かぶりの会話を成し遂げたシーンは感動的です。

 私の長男は18歳。今春、特別支援学校高等部を卒業します。自閉症の程度は重く、言語をうまく発することができません。

 社会に出ていこうとするオーウェンと、次第に齢を重ねていく親の姿は、身につまされました。母親の姿は、まるで私の妻と重なって見えました。

 障害を持つ子供を授かった親は、多くが「この子が生まれてきた意味は何だろう」と考えます。
 しかし、バリアに包まれた中身は普通の人間です。映画で、オーウェンは「自閉症の人も、みんなが望むことを望んでいます」と話していましたね。オーウェンも私の息子も、何とか周囲とトラブルを起こさないようにと懸命に生きています。試行錯誤しながら、ゆっくりとだが確実に成長していく姿は、健気でいとおしいものです。
 その人に生きる価値があるかどうか。それは他人が決めることではありません。オーウェンの母も「人生の意義なんて誰が決める?」と言っていました。

 いつかは私たちも老いて動けなくなる。ゆっくりと死に至るのか、事故で突然命を失うのかは別にして、私たちはみんな、いずれは動けなくなっていきます。人生とは「次第に障害を負っていく過程」なのかもしれません。


 私は、放送局でニュースやドキュメンタリーの仕事をしてきました。「映像と音を紡ぐ仕事」です。
 では、「映像がないと描けない」のか。それでは、撮れなかった場面はなかったことになってしまいます。目の前の取材対象の全体像を描くために、再現したイメージ映像を用意したり、CG画面で整理したり、説明ナレーションや文字スーパーで補ったりするわけです。

 このドキュメンタリー映画の特徴は、撮ることのできないオーウェン少年の世界の豊かさを、ディズニーの映像を借りて描いていることです(再現イメージではなく、これが現実のものなのだからすごい)。ディズニーは版権にうるさいことで知られていますが、実際のドキュメンタリー素材の強さがディズニー社幹部の心を打ったのでしょう。

 また、オーウェン少年の心の内は、優しいデッサンタッチのアニメーションで描かれています。撮れない部分を、再現した映像ではなくアニメーションで描くという手法は、ドキュメンタリーではまず見ることがありません。
 理解できない現実社会の理不尽は、アニメで悪魔の姿を借りています。オーウェン少年は不安の中に転落し、そして駆け出していきます。
 モノクロのアニメが次第に色彩を帯びていく演出は、少年が少しずつ社会との関わりを獲得していく過程のように見え、とても効果的な手法だと思いました。

 つまり、創作されたアニメーションを含めて、じゅうぶんに現実の世界を描き出したドキュメンタリーだということです。

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神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年、群馬県生まれ。91年毎日新聞入社、05年にRKB毎日放送(福岡市)に転職。自閉症児の父親の立場からつづった新聞連載を『うちの子 自閉症という障害を持って』で映像化し、JNNネットワーク大賞を受賞。
報道部長、テレビ制作部長などを経て、16年から東京報道部長。同年7月に発生した相模原市の障害者殺傷事件を受けて、現代の日本を見つめた著書「障害を持つ息子へ ~息子よ。そのままで、いい~。」を出版した。

201704映画『ぼくと魔法の言葉たち』パンフレット


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