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〈雑記〉文フリ広島、参戦後記〜僕は刺されるかもしれない〜

 はい。こんにちは。
 春は出会いの季節ですね、とか、僕はそういうことを言い出すのが得意ではありません。が、昨日、文学フリマ広島に参加してきまして、出会いの季節を堪能してきました。


 ということで、参加後記ですね。
 先日告知したとおり、きさらぎみやびさんと一緒に出店させていただきしまして、自分の書いた本を売るという体験をしてきました。
 ええ、「体験をしてきた」というのが正直な感想で、何から何まできさらぎさんのお世話になりながら、おんぶにだっこで出店させていただいた次第です(きさらぎさん、何から何まで大変お世話になりました)。


 僕はこの体験というのがそもそも好きでして、経験がどうのっていうか、体験なんです。数々の本好きの人たち、そして読まれたい人たちが集まっていて、(僕からしたら都会の)広島市の街にある箱の中が文学な空間になってるんです。
 なんというか、音楽のライブって箱の中が独特の空気感になるじゃないですか。一体感というか。それと同じような一体感は確かにあるのだけれど、出店者と参加者の感覚はバラバラであるようでいて、しかしどこかで絡まり合ってうねっているような。音楽を演奏する・聴衆である、という一体感とはまた別の種類の一体感でしたね。

 と、言いながら、びくびくして会場入りして、ブースに着いて。「こりゃ一冊も買ってもらえないだろうから、気分だけ一体感しよう」なんて考えていたところ……



 いらっしゃいました。お客様でございます。
 以前から──遡ればほぼ一年くらいかけて──noteやTwitterで絡み合って? 戯れて? 遊んで? くれていた皐月まうさんが来店してくれました。
(まあ、正直に白状しますと、以前から本を買いたいと言われていたし、事前に来場されることは知ってましたけどね……)


 はい。ここで少し私見。
 とても個人的な見解なんですけれども、本──というか、僕の小説ってものは、最低1名の読者によって消費されることにより、小説たり得るわけでして、決して僕ひとりの中だけに閉じているものではありません。あくまで、消費されることによって成り立つもの。消費されるという要素が入っていなければならない。それが僕にとっての、僕が書いた小説なんです。

 だから、皐月まうさんの来店と、お買い上げは非常にお、お、おおお、おお、お力になりました。(ハチワレ猫本舗として、最初のお買い上げでしたので、きさらぎさんと胸をなでなでしまくっていました)。
 なんやかんや、買っていただける予定があるってのは、出店者として最初の心の拠り所になりますね。

※お買い上げ後、一緒にブースに座っていた、きさらぎさんが「まうさんモテるでしょうね、かわいいから」と仰っていました。たしかに、その通りだな、と僕も思ったので、ここで言っておきましょう。まうさんはかわいい。くそかわいい。あれはずるい。

──てことで、かわいいついでにご紹介

 元々は縁あって、小説についてお話したのがきっかけで知り合いました。noteでは、小説よりも日々のことをたくさん投稿されていますが、僕はまうさんの小説が好きです(むしろ、そのためにフォローしていました)。

 僕も日常系な小説を書く人だと思うんですけれど、まうさんの小説は日常系であって、ちゃんと日常系でない。日々の投稿も、日常系であって、ちゃんと日常系でない。だから、好きなんですよ。
 たぶんこれは、彼女自身が、自分を発展途上と自覚しているところもあって、そんな文章になる部分もあるんでしょうけれど。僕の見解としては、彼女はきちんと葛藤しているから。そして、その葛藤の部分を真正面から見せるだけでなく、消費される文章として書くことができるからでしょう。

 たぶん、葛藤は誰でもすることがあるでしょうが、消費の対象にするのには書くことについての何らかの能力が必要だと思います。
 それを、彼女は、ずしんとした感情のある文章や、時にはユーモアや投げやり感を出しつつ、葛藤は葛藤としてどんなに遠くからでも忘れ去らない、書くべきことは書いている、そんな気がしてます(素人の見解なので、雑な紹介ですみません)。

 そういう意味では、僕のように、凝り固まった凡庸おじさんには書くことができない文章なわけです。(最近読者が減ったので、応援してくれると分かると、褒めちぎりマシーンになりますね。どうぞ、あなたも僕を応援してください、全力で褒めますよ笑)。



 はい。
 その後、僕の『通り過ぎてゆく女たち』を初見の方にもお買い上げいただきました。(ご来店いただいた方含め、みなさまありがとうございました。)

 今回の文フリ広島では「見本誌」のコーナーがあり、ブース外でぺらぺらと中身を捲って見本確認できます。僕も念のため、見本誌を出しておいたので、初見の方が購入される理由の一つにはなり得ているんじゃないかと思っています。
 そりゃ、どこぞの変な猫みたいな名前のおじさんが書いている小説なんて、本当に意味が分からないし、正直何が書いてあるか分からない本を手に取るのって、僕は苦手です。
(と、言ってますが、僕は「これが書いてあるよ!」って小説より。「なんやこれ意味分からんな。けど良いいいいいい!」ってなる小説が好きです。僕の趣味です、趣味。)

 あと、ブースで、作者の方を目の前にして見本を手に取るのって、正直緊張します。僕は話すのは得意なんですけれども、行動を観察されるのって苦手なんですよね。
 だって、出店者としては、ブースの目の前に立ち止まられたり、見本を手にとってくれてる人がいたら、めっちゃ見てしまいますもの。だから、見られてるだろうなってのも、強く意識していましたから、見本誌コーナーで、好きにとってぺらぺら捲れる状況は僕にとって気楽でした。



 はい。そんなわけで、出店者としてだけでなく、参加者としても文学フリマを堪能しました。タイトル買いや、表紙買いもしたし、楽しく本のショッピング! な気持ちで歩きました。(ちなみに、来店後のまうさんが一緒に回ってくれたので、少し、いや、半分──まあ、ほとんどデートなんじゃないかと勘違いして歩きました)。

 は?

 はい。
 ブースの雰囲気的に出店慣れされている方もいらっしゃるし、私の本はこれだ! という感じで、どかんと一冊を掲げてる方もいらっしゃるし、思い思いの出店の方針に感心しつつ、「はあ、こりゃあ個人でモノを売るのって難しいなあ」と思っていた次第です。
 先にも少し書きましたが、「何か分からない」ってのは手に取りにくいですが、僕は消費者側として「こんな感じ」程度が掴める出店を見てしまいます。

 ああ、じゃあ、次参加するときは、何かコンセプトをもってやろうかなあ、なんて考えたりもしました。とか言いながら、我が道をゆく、みたいなのもしてみたかったり。
 まあ僕は優柔不断なので、次回の参加は不透明ですし、いやまあ出店したいのはしたいんですけど、自信があるわけじゃないし、また次は次の時に考えよう、と思っています。

 とりあえずは、購入した本を読んで、創作意欲をかき立てられるけれど、何も書ききれないままで、それでもまた何か意味が分からないけれど、消費されるための文章を書きましょう。

 そんなことを、思いました。

 ついでに、記事トップ画に、そっと自作品を混ぜこんでおくという……
 はい。余ったので、次参加したときに売ります。もしくは、欲しい人は声をかけてください、という意味のない宣伝をして。

 おしまい。またね。

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