『25時』

 ベランダに干したままの、一人分の洗濯物。シャツはシャツ、パンツはパンツで、僕の決めた順序と位置に仕分けて干してある。もう秋の夜は気温が下がり始めた。ぶら下げられた布たちは、午前1時を回った今、外気の中で冷たくなってしまった。だが、明日にはもう一度、陽に暖められる。

 夜中の冷蔵庫は、じっとコンプレッサーを継続的に小さく震わせながら、音をたてる。人々が活動をやめたこの時間になり、やっと冷蔵庫の音が認められる。中に保管されているものは限られている。昨日作った麦茶と、食べ忘れたアイス、あとはベーコンとニンジンと、もやし。もやし炒めは大学生の味方だ。明日も、もやし炒めを作ろう。それをおかずに熱々の白米を食べよう。

 大学入学と同時に買ったノートパソコンは、本日の役目を終えて、小さな回路が集められた高額な箱になった。ここのところ、そのノートパソコンの役目は、僕の性欲をザワつかせる動画を探し、映し出すことにある。僕の趣向の偏ったいかがわしい動画で、記憶領域を圧迫されている。大学生男子の性欲を舐めてはいけない。おそらく、明日の夜も、冷却ファンをフル稼働しなければならないほど、激しく熱を持つだろう。

 折りたたみのベッドは、僕の身動きのたびに「ミシリ」と鳴るようになった。それはベッド全体が軋んでいる訳ではなく、ちょうど寝転ぶ僕の右腰の辺りだけ、ある重さ以上の負荷をかけると「ミシリ」と反応する。それに気づいてから、ベッドの中央部分から少しずれた位置で寝るようにしている。隣に、誰か女の子を迎えるための準備だとか、そういった理由ではない。半年に1度くらいは天日干しして、疲れきったベッドの骨組みと布団を暖める。だが、明日はしない。

 テーブルの上には数式が並んだルーズリーフが、角を揃えて重ねられている。その数式の多くは僕の理解には至っていないし、揃えられた紙の束とは違い、A4の枠の中に乱雑に数字と記号が揺れているだけだ。少し開けた窓から入る風に、数式たちは用紙に乗ったまま、ほんの少しだけ宙に浮く。明日は、その数式たちについて、ゼミの教授と熱い論戦が繰り広げられるだろう。ただ、僕の理解に誤りがあれば、教授からは冷たい視線が送られる。

 ◆

 「ざあーっ」とアパートの近くを車が何度か通り過ぎる。ある車列が通り過ぎた後、次の車列が通り過ぎるまで、聞き耳を立てていると、ちょうど飽きてしまうぐらいの間が開く。その間に眠ってしまう程は長くはないのだけれど、壁に掛けた時計の長針と秒針を、目で追うのが億劫になるぐらいの時間経過だ。それは、うどんのカップ麺が出来上がるのよりも、少し長い。
 
 今し方、車列が通り過ぎた。

 午前一時。就寝前の僕は冷蔵庫に向かい、冷えた麦茶を取り出す。それをコップに注ぎ、氷を一つだけ入れる。どうせ、すぐ飲んでしまうのに氷を入れる必要はないのかもしれない。ただの習慣だ。
 
 大して乾いてもいない喉に、一気に冷たい麦茶を流し込む。

 口に含んだままの勢いをそのままに、口腔の奥まで流し込む。冷やされた口の中の感覚と、喉元を過ぎるスムーズな流体だけで僕は潤された気になる。

「ごくり。ごくり。」と自分の喉奥が鳴るのが耳に伝わる。食道に入っていった冷たい流体は、重力のせいか、今晩食べたもやし炒めを消化し尽くしたせいか、すっと胃まで落ちていく。肋骨の中央下に、冷たい塊がとーん、と落ちてくるのを自覚する。冷たい。氷一つ分と冷蔵庫に冷やされた液体が、とても冷たい。僕の腹部は、冷たい。僕は身体の内側で、冷たいと感じている。僕の体温がそれよりも高いことを、相対的に知る。

 明日も、この体温の身体で、自転車に乗って、大学に行こうと思う。

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。