金澤卓史のそもそもそれって~第一回~「義理人情」

つらつらと書いていきたいと思います。

「日本人の民度が低くなってる」、と言うと「偉そうに」「上から目線だ」とか聞こえてきそうだが、言いたいことを言わせていただくのが、この場なので、賛否両論あるだろうが、御一読いただければ幸いである。

高齢者には「老害」と呼ぶし、親は「毒親」と呼び、結婚しても「子供は親のリスクが高いから産まない」と言う昨今の日本。

 まともで正義なのは働く現役世代だけ、ってか?

 「自分さえよければいい」って一昔前はみっともない感じだったけど、 今は「仕方がない」「それが当然」「正しい判断」 

なーにが、「多様性」だ。

義理人情はどこ行った?

つまりは、皆、「余裕がない」のだろう。
自分のこと、家族のこと、友達のこと、学校のこと、職場のことetc
普段、生きてれば、思うこと、考えることは確かに多い

「袖振り合うも他生の縁」という言葉がある。
そんな考え方は、今では「古い」で一蹴ですか?
そんな寂しいことあるかい?

言葉一つ、言い方一つなのに。
「忙しいから無理」だと歯切れが悪い。
「今は余裕がない」と言った方がいい。

確かに「人を信じない」方が、裏切られても「傷つかなくて済む」だろうが、周りからも信じてもらえない、寂しい生き方だ。
「人を信じる」ことは、確かに裏切られたら「傷つくことがある」だろうが、同じように自分も信じてもらえる。

人の人生は、一人では生きていけない。

故に、家族、もし家族が無理なら、片手に収まる程で良いから、人生で付き合える友達又は親友は大切にした方がいい。

コロナがあったおかげで、人と人の距離感が遠くなった気がする、という言葉を目にする
そうなのではない、遠くなった。言いきりだ。
ただ、それはコロナを理由にしてるだけ。
人との距離感が遠くなったのは、今に始まったわけじゃない。
こじつけだ。

こうやって、沈みゆく船のように。
これからも緩やかに日本は駄目になっていくだろう。
目を覚ませ!、と言っても、手遅れなのは承知の上だが。

昭和から平成ときて、令和になっても「日本人としての誇り」、「義理」や「人情」を、せめて忘れないでいる人が少しでもいてほしい。
令和の新しい考え方、ん?なんですか?それは?
そんなんあり得ないて。

そうなんです、私はアナログ人間です。
すでに「老害」と言われようが上等です(笑)

※私、個人の考え方であり、宗教や何かのたぐいからくる考え方ではありません、と補足しておきます。





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