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酒は濃い目に、自我は薄めに/”悩みのプロ”僧侶の釈徹宗さんと、若者支援D×P今井紀明さんが実は「悩みを解決しない」という深い話

「えっ、こんな話からスタートして、重すぎないですか? だいじょうぶです??」 冒頭、私がこの投稿を読み上げたら、当の今井さんが面食らっていた。

<2023年7月、りゅうちぇるさんの訃報の直後の投稿>


でも、まじめに「参加者がいちばん主体的に学べる場」を考え抜いて「宴会」という場になったからこそ、できた話だったかもしれない。振り返ってみると。

酒を飲みながら「自由人」と語り合う自由人大宴会。奇しくも7月の回のテーマは「悩むって、これでいいのだ」。ちょうど、いろんなひとに希望を与えたタレントさんが、亡くなったばかり。きっと誰もが頭の片隅にあった…いや私がずっと考えていたこの話題から、この月の大宴会は始まりました。

<「イラク人質」って、ネタにしてもうてるやん私!…って最初に謝りました。>


■ だからせめて、居場所をつくる。

悩みを、どう扱えばいいのか。お坊様として、悩みを聞き続けられる釈先生曰く、「悩みは、あって当たり前です。人間ですから。ただ、命の現場を支える友人の話によると、悩みがひとつふたつのときには何とかなるんですが、みっつになり、そして4つめが重なった時に、(閾値のようなものを)超えてしまうらしいですね」
その瞬間、今井さんが間髪入れず「あ、それ、わかります!」と発言。そうなの!?

<安定感の釈先生、現場感の今井さん。今月の”徹子の居酒屋”>

10代の若者支援を続けるNPO法人D×P代表の今井さんは、この夏、大阪ミナミ「グリ下」と呼ばれる繁華街のど真ん中に、若者の居場所となるユースセンターを立ち上げたばかり。
「そこでの感覚と、まったく同じです。友達のこと、家族のこと、腹が減って飯も食えない……悩みは、もちろんある、でもみんななんとか頑張ろうとしてるんです。ただそこにパーンと、”親が警察に”なんかが4つ目として入ってきたその瞬間に、」”悩み”そのものに押しつぶされてしまう。
だから今井さんたちは、せめて安心できる居場所をつくる、食事を提供する。そうやって、悩みの数を減らしているのだという。

<和歌山と大阪から、若者支援をしている大学生チームもやってきた>
※未成年にはお酒出してません。出すわけがない。

今井さんが「悩みを解決するなんて、とてもじゃないけど、できないですよ」と言うと、釈先生も頷く。えっ、じゃあ、釈先生、お坊様としてヘビーな悩みを打ち明けられたらどうするんですか。
「誰かにつなぎます」
悩みがあっても、それを誰かに、口に出して相談できれば、なんとかなる。いろんなところに居場所があって、それぞれにいろんな人格で、生きればいい。なるほど、釈先生が言われる「お寺は地域のネットワークハブ」というのは、そういうことでもあったのか。

いちばん危ないのは、複数の悩みを、誰にも相談できない孤立した状態で抱えてしまうこと。「ひとの悩み」に向かい合い、寄り添って生きるふたりが、口を揃えた。


■どうやって、生き残ったのか。

きっと、悩みは、なくならない。だって考えたら、大晦日に108もの煩悩を「なかったこと」にしなきゃなんないくらいの、人間の業だ。解決するなんて、おこがましくてできやしない。でも「ひとりで、抱えないこと」なら、少しはできるかもしれない。自分自身のことも、悩んでいる誰かへの、ほんの少しのケアも。

で、「あの時」の今井さんは、どうやって生き延びたの? 直球で聞くと、今井さんは、現地で受けた暴力、日本での尋常じゃないバッシング、さらに帰って数年経っても初めての土地の知らない人に記憶され続けること……など、息もできないくらいの事実をサラッと話した後に、「僕の場合は」と教えてくれた。

「あくまでも僕の場合ですよ。人によって違うので。僕の場合、大学時代に、友人が毎朝、声をかけにきてくれたんです。”学校行こうや”って。毎日。そのアウトリーチに、救われましたね」

ああ。今井さんのプロフィールで、ずっと気になっていた「その後、今井さんは、自らの経験をもとに、孤立する10代の支援を始める……って一行で書いてあるけど、それってどういうことなんやろう」ということ。少しわかった。だから今井さんも、悩みを解決するんじゃなくて、悩みを相談できる場所をつくることをつくったのかもしれない。それだけでも、じゅうぶんに人の命を救えるかもしれないんだ。

それが、本人が「今井紀明は、あの時一回死んだと思っている」というほどの絶望のどん底から生き抜いたという、証言でした。


<酒の席でメモをとる、一見真面目そうなみんな。なんせ、酔ったら忘れるからね>


■自我を薄める装置。

「ところで、釈先生って、悩みありますか?」 老師にはそんなんないんちゃうか、と思ってたら、「ありますあります」と二つ返事(?)。「いちばんは、自分自身が、中途半端なところなんです」とのこと。そして今はそれと「キャンペーン」という仕掛けで付き合っていこうとしているとのこと。

もともと、人付き合いが苦手だった釈先生。だから40歳で「巻き込まれキャンペーン」を行った。お誘いを、何も断らなかった。結局、やることが多くなりすぎて、50歳で「お断りキャンペーン」を開始した。でも、しがらみも多く、2年で挫折。そんなこんなの経緯も含めて、この60代は、絶賛「中途半端キャンペーン」中なのだそう。

「自分自身が、いちばん厄介なんです。なので日本には昔から、自我を薄める装置があったんですね。たとえば、幼名から名前を変えるとか。
 逆に言うと日本は、西洋的・近代的な自我と向かい合う・付き合うという点では、まだまだ未熟なのかもしれないですね」


■生き延びるキャンペーン。

徹子、じゃなくて私は、最近まあなんだか「支援」と言われる場にいることが多くなっていまして。学生支援に女性起業支援に。あと行政の広報支援とか。んで、そういう弱者支援って、危ないんすよ。自分に酔いがちなんです。感謝されること。頼られること。挙句の果て、自分の「正しさ」なんかまで感じたりしてね。

でも、自分の中の「弱者」をこそ感じ続けることや、自分は誰かの悩みを根本的に解決することなんかできないと肝に銘じておくことや、自分自身が中途半端でありつづけることをテーマにすることや、そういうことで、「正気」を保てるかもしれないな、と思ったりしました。

<後半は「ディナーショー形式」という、ゲストが各テーブルをまわるスタイルなのです。>


最後は参加者全員、それぞれ「マイ・キャンペーン」を書き残しました。なんせ酒の席だから、書いとかないと忘れるしね! 今日の締めは、今井さんのマイ・キャンペーン。

「決めました。”生き延びるキャンペーン”です」

イエッス!! そんなんでいい、そんなんがいい。私もしばらく、このキャンペーンでいこ!


<楽しそうだけど飲んだ後だし誰も話の内容は覚えてないと思う!>



<今回の乾杯/菊正宗酒造「SECESSION」スパークリング>

全国にある「〇〇正宗」の名前。
実は仏教の経典「臨済正宗」にあやかったもの。
ほら、「りんざい・セイシュー」=「清酒」
……駄洒落かい!(※本当)

今回のゲスト、僧侶の釈徹宗さんにあやかってみました。



●次回は、移住雑誌TURNS編集長(堀口正裕さん)×伝統工芸で地方創生・兵庫のエルメスtamakiniime(玉木新雌さん)!

8月19日(土)14時。さて、お盆明け、何で乾杯しよっかな。

【詳細・お申込】 https://lgaku.com/2023/05/27/2023jiyuujindaienkai/

いま私がここに住んでいることの意味って? 故郷を離れ、縁もゆかりもなかったところに住む。あるいは、いろんなものを受け継いで生まれ故郷に住み続ける。そこには、どんな自由があるのだろう? 移住のカリスマながら「地方に自分探しに行くな」と厳しく説く雑誌編集長の「住む」とは? 伝統産業復興&地域おこしのロールモデル…だけどよく見たらクレイジーな村づくりをしているtamaki niimeさんの「住む」は?
長崎から船に乗って(ないけど)東京・スペインを経て神戸に住むホスト・湯川と、昼から飲みながら語りましょー。

● 堀口正裕さん(TURNSプロデューサー/㈱第一プログレス代表/総務省地域力創造アドバイザー)<※オンライン登壇です>→リアル参加決定!
東京生まれ。早稲田大学卒業後はメーカーに勤務するも、父の死を機に雑誌づくりに関わり始める。東日本大震災をきっかけに、暮らしや社会を見つめ直す地方移住総合情報誌「TURNS」を創刊。日本における「移住のカリスマ」的存在となるが、「地域づくりの前に自分づくり」と言い切る。現在は埼玉県狭山市で、父から受け継いだ同上で合気道を教えながら、週末は家族で農作業を楽しむ。

● 玉木新雌さん(有限会社玉木新雌代表)<※生です>
福井県の洋装店に生まれる。武庫川女子大学で生活環境学を学び、さらにファッションを学ぶためエスモード大阪校へ。繊維専門商社・瀧定大阪でパタンナーとして勤務した後、同社を退職して「tamaki niime」を設立。播州織との出会いをきっかけに、産地の西脇に移住。独創的なショールを中心とするものづくりで兵庫県を代表するブランドとなる。自給自足的・循環型の経営を目指す拠点は、”tamaki niime村”として発展中。

▶【詳細・お申込】 https://lgaku.com/2023/05/27/2023jiyuujindaienkai/


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