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香港人は何故山旯旮を求めるのか・林村の場合/香港野菜と日本食

概要

香港の村生活と聞くと、香港=亞洲國際都會のイメージからは遠くかけ離れたものかもしれませんが、今の香港人にとっては非常に関心の高い「新しい香港らしさ」の代表的なものです。今多くの香港人の意識が山旯旮(田舎、郊外、村)に向けられています。香港の村で日本食や日本茶の仕事を始めた私の生活が地元のメディアに紹介されましたが、それが何故なのか取材動画をみるだけでは今の香港の実情がわかりにくいと思います。その背景と文脈を説明します。

目次

・香港の「村」
・日本食と香港アイデンディディの親和性
・静岡煎茶と大帽山の水
・自分が生き抜くためにやる
・空き地 

香港の「村」

私は今年で香港在住5年目なのですが、2年前から香港の新界の大埔區にある林村という、その名の通り自然豊かな村に住んでいます。香港の村と聞くと19年の香港民主化デモのニュースを追っていた方ならわかると思いますが、村でありムラなのであり、721元朗襲擊事件のイメージが強いと思います。官鄉黑共(政治とムラが癒着している)を象徴するこの事件は、香港人自身が香港をダメにしているという点で、香港史の中で最もセンセーショナルでjuicyで極悪な事件の一つとしてデモ中に世界中に報道され、香港の村=黑社會のいる大陸に近い乾いた土地、というイメージが広がりました。

しかし私の住む林村は香港の村としては珍しく、丁權(村の長男だけが継続できる家の権利)等の村特有の特権を有していない部落が数多く存在し、香港の離島のような自由な雰囲気があります。また、大帽山の麓に位置しているため綺麗な水に恵まれたLam Tsuen Valleyと呼ばれる潤いある地形にあります。私は去年の年末まで広告代理店で働いており、残業で日が変わっての帰りというのは日常茶飯事でした。また、私生活でも恋愛と結婚制度に苦悩しており、また香港特有の社会情勢下の圧力に息の詰まる毎日でした。そんな中私は無意識に村の暮らしを選択し、せめて毎日の朝夜は綺麗な空気の中で過ごしたい、村の美味しい野菜を食べたい、そんな風に日常にもがきながらも村の生活に救われていました。

また、田舎の村は村特有の伝統や祭事や生活が残りやすい傾向にありますが、都市部の村(単一姓の集落)はほぼ都市開発で消失し、香港独特の生活は新界などの田舎に行かないと見ることができなくなりつつあります。さらに新界の村や土地も開発の波に晒されて、今後姿を消していく運命にあると言われています。香港人自身が消えゆく香港を見たい、そう思うのも自然な事だと思います。

私の住む村
野生の生姜の花が咲く
裏山は大帽山

日本食と香港アイデンディディの親和性

そんな生活の中で、物価高、政治不安、輸入率90%の食品事情(そのほとんどが中国産)…どうやったら私たちの生活が少しでもよくなるだろうと自然に考えるようになりました。しかし私の見立てはすでにはっきりしていました。

・2022年の香港への日本の農水産物及び食品の輸出額は2,780億日本円超(現在中国に次いで世界2位)。年間の訪日旅客数はコロナ前で200万人。人口700万人程の香港でこの日本贔屓は香港に於ける日本ブランドの揺るぎない信頼の証。日本食で香港人は必ず安心と幸せを感じる事ができ、日本人の私ができる事は必ずある。

・香港産野菜というのは流通にのらないので数値化されたとしてもごく僅かで、「Made in Hong Kong」というのは70年代以降急速に姿を消したものだと思われている。しかし、実際には香港には規模が小さいながらも農地が存在し、農薬使用だけでなく有機栽培などの個人レベルでの農業が行われている。現在の香港が置かれている状況は、香港人というアイデンティティを剥がされている真っ只中でそれに耐えられない多くの市民が海外に移民しているが、それでも香港に留まって生きていこうとする香港人に勇気を与えられるもの、その一つが香港産の野菜なのではないか。事実、個人レベルでの農業を行ってきた若い世代の香港人は2000年代初頭からその考え方があり、自分を幸せにするために今日までコツコツと有機農業を続けてきた。私は彼らから日々野菜を提供してもらい、幸せな村生活を送る事ができた。

👆私はこの2つの事実を組み合わせて、香港産野菜を使った日本食を香港に暮らす人に食べてもらう、ということをやってみることにしました。私は日本人なので日本食を作るのは自然だったし、家に遊びに来た友人には私の作ったご飯を食べてもらっていました。友人達は想像以上に喜んで私のご飯を食べてくれて、この何気ない生活が実はとんでもなく贅沢な事、今の香港に必要な事なのではなのではないか、と考えるようになりました。現在の香港人が晒されている政治事情、商業都市香港での都市型生活の疲労、物価高、これからの生活の不安、他人との繋がり方などは「村で食べる事」がこれらの不安に和らぎを与え、自分がどう生きていくべきか静かに考える機会になっていると思います。

私の家の裏にある田圃「大地予我」。途絶したと思われていた本土米が10年前にタイの大学で発見され、香港に持ち帰り栽培の度により強い遺伝子の苗を探して保存している
かつて田圃だった場所には猪が暮らす
日頃からお世話になっている農家のMonti。カッコ良すぎる農夫として知られる阿手と香港を代表する現代美術家・程展緯、二人とも大埔市民だ
収穫した香港米
七月には蛍が出現する

静岡煎茶と大帽山の水

私は静岡の人間なので香港でも毎日静岡茶を飲みます。しかし意外にも香港では日本煎茶の認知が非常に浅かったのです。日本茶といえば抹茶か焙じ茶、日本に煎茶があることは知られているものの、その魅了について知っている人は少なかったのです。私にとって日本茶はリラックスするのために、また食事を美味しく食べるためには欠かせないものなのに、それを香港人は知らない。私は香港産野菜を使った日本食にプラスして、煎茶のペアリングをする事にしました。香港のみんなにご飯を美味しく食べてもらいたい、美味しいお茶を飲んでリラックスしてもらいたい、また、自分が香港で行き抜くためにも故郷のお茶を売る、というのはとても重要な事でした。

しかも幸運なことに、近所の客家の村に住む友人が大の中国茶好きで、濾過システムを自作して裏山の大帽山系の水を濾過しお茶と食事の飲料水として使っていました。彼らは私がお茶好きと知ると、自由に水を汲んで使っていいと言ってくれました。この友人は十年前からここでfarm to tableとairbをやっており、昨今の村生活ブームの先駆者といえます。

村の近くの山の麓の水。ここの水を濾過して飲料水にしている
山水は大帽山水系
山水を使用している友人の住む龍丫排
龍丫排。村の名前は客家の家の建築方式から名付けられている(日本の長屋のように龍が並んでいるように見える)
自作の濾過システム
炭で栗を焼いているところ
山水を使って私のお土産の静岡茶を淹れる村人。
遊びに行くと冬は足湯をやらせてくれたり、ヨガ教室を開いたりしている
かつての村の寺子屋。この付近には林村第二学校があったのだが、ここの村から分校に行くには遠いとのことで村のこども達は寺子屋で勉強した。村人の多くは70年代にイギリスに移民した
寺子屋の前は運動場で村人が自由に使っている空間だ。村の家にトイレはないのでみなここにある公衆トイレを使う
かつての豚小屋
村の半分は廃屋
廃屋に住む野良猫。こいつも濾過した山水を飲んでいる

自分が生きるためにやる

半年前私は人間の人生のスケールとは何かを考えていました。自分の人生の底辺はもうわかった、それだけで人生を俯瞰して見ることができた、そしたらもう自分のやりたい事をやるしかないんだと悟り始めていました。ちょうどそのタイミングでレストランを経営している友人が日本食のビジネスを始めたいからこっちにこいと言ってくれて、私は代理店を辞め彼らの会社の元で自分のプランを実行することにしました。香港野菜や日本食のPRは前職の仕事としてやれたらもっと前から実行できていたかもしれませんが、この仕事は前例が無いので構想止まりでした。なにより会社の為ではなく自分の為にやってみたいという思いが強かったです。
はっきり言って今の香港は生きていく事が困難です。だからこそ、何か新しいことに挑戦しようとする姿勢を皆応援してくれる空気があります。また、香港人でも村に住むのはなかなかの決意がいるのに日本人が村に住んでいる、本土野菜を使ってくれている、彼らは私に「ありがとう」と言うのです。

この活動をやるにあたっての準備は村の友達がいろいろ助けてくれました。
安定して野菜を提供してくれる程の規模を持つ農家さんを近所の農家から紹介してもらい、彼らの畑に行って季節の野菜を収穫しました。食事の場所は村の娯楽場的な一軒家で、ヨガのクラスやパン作りのワークショップが行われていました。各々のイベントの主催者は全て近所の村人で、香港や九龍の市區に行かずして綺麗な空気の中で活動を完結させるというのがこの場所の魅力でした。流れはまず農家の畑に一緒にいって野菜を確保し献立を考える。食事会では使用した本土野菜の話とおかずの紹介、大帽山の水の話、お茶の話をしました。始めはプライベートなイベントとして友達のみを招待していましたが、狭い香港、友達の友達はみんな友達状態なこの都市で、メディアにこの活動が届くのは自然な事だったと思います。

村人達のイベント小屋
植物を売ったりパン教室を開催している
村で採れた紫蘇、大根の葉っぱ、日本で流行った青海苔と天かすおにぎり
村の田圃で採れた米糠で漬物
荔枝のゼリー
たまに村人が集まってご飯を食べる
私が行っている本土野菜のランチ
静岡茶のペアリング
私の地元静岡県藤枝市瀬戸谷の有機緑茶をつかっている
季節の野菜の花をデコレーションして、野菜の知識を深めてもらう(大根の花)

半年前、香港のメディア・Mill MILK (MM)の記者Karenが我が家に遊びに来ました。Mill MILKという名前は「みるミルク」の意味の日本語由来であり、Mill MILKのファウンダーが以前香港のファッション雑誌MILKを出版していた事に由来します。

Karenは私の友人・林兆榮(榮仔)の友人で、彼も以前MMで「香港のバスオタクが教えるバスネタ」というテーマで取材を受けていました。(一応彼の本職は香港浸會大學の芸術系の講師で作家です。他にも彼の変な動画は幾つかある)日本人が村に住むというのは珍しく、しかも村の有機野菜で日本食を作って皆に食べさせているというのは香港人的にはとてもキャッチーだったと思います。Karenは今の香港人が何を必要としているか、それの一つがここにあり、香港に於ける食べ物の重要性を真摯に私に話してくれて、信頼できる記者だと思えました。

MMのクルー。村の士多にて。
大埔沙螺洞の有機野菜。牛蒡など

香港人にも空き地が必要

私はこの活動を「空き地」と呼ぶことにしました。日本では空き地というのは誰かが所有している土地だけれど、なんとなく出入りができ、こどもが自由に遊び妄想にふけることが許されている、そんな人間の世界に深みを与えてくれる「公共の場」です。しかし土地不足で住宅がとんでもなく高い香港でそのような余裕のある「何でもない土地」はほとんどありません。だからこそ今の香港人にはこのような「空き地」的空間と余裕が必要なのです。空き地の活動は、究極的には遊びであり、合理的ではない無駄な実験をする事で私達の視野が広がっていくことを狙いにしています。

長く書いてしまいましたが、これで動画の趣旨はわかると思います。全編広東語ですが笑、どうぞ香港の最新村事情に浸ってみてください。

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