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250mlの缶ビールがちょうどいい。

僕は、お酒がとても弱い。
これは、僕の一族代々の遺伝のようで、父と弟は、お酒を一滴も飲めない。飲んでしまうと、たちまち顔が真っ青になってしまう。

幸い、僕は母親似らしく、かろうじてお酒が飲める。

ただ、小さなコップで作ったハイボールを一杯飲むだけで、顔が真っ赤になって、充分すぎるくらい酔っ払ってしまう。

体重は100キロ近くあるくせに、なんとも、コストパフォーマンスが良い体だ。

ビールの場合だと、350ml缶はちょっと多すぎる。
無理に飲み干してしまうと、体の隅々まで酔いが回ってしまい、1時間くらい経過すると、今度は頭がガンガンしてきてしまう。

とんでもなく高速に酔いが回って、エゲツない速度で二日酔いが始まってしまう体質なのだと思う。

そんな僕には、250mlの缶ビールがちょうど良い。
気持ちよく美味しく酔えて、エゲツない速度の二日酔いが発生しない、絶妙な分量なのだ。
そしてなにより「残ったビールを捨てなくて済む」という、貧乏人のもったいない精神に、とても優しく寄り添ってくれる。

この話を他の人にすると、
「250ml缶のビールなんてあるんだ」
と、大抵失笑されてしまう。

だけど、お酒が弱い人だって、ビールを飲みたくなる日はある。
350ml缶のビールすら飲みきれない下戸だって、喉越しにホップを感じたくなる日だってあるのだ。

しばらくの間、250ml缶のビールの重要性を、だれにもわかってもらう事ができなかったのだけれども、妻にだけは共感して貰えている。

ただ、残念ながら、妻と一緒に250ml缶のビールを飲むことはできない。
妻は、毎晩必ず、レモンサワーを10杯以上あおる、けっこうな酒豪なんだけれども、ビールだけは全く飲めない。

そんな妻が、なぜ、250ml缶の良さを理解しているのかというと、ごくごく身近に愛飲者がいるからだ。

妻のお母さん。僕の義母だ。

義母は、妻を産んだと思えないくらい、とてつもなくお酒が弱い。
おそらく、若くして薬害肝炎に犯されたのが原因だと思う。

なので、僕と同様、250ml缶のビールがちょうど良いそうなのだ。

だけど、残念ながら、僕は義母と乾杯した事がない。
義母は、僕と妻が出会う前、もう十年以上前に、他界したからだ。


我が家の仏壇には、250ml缶のビールをお供えしてある。

僕は、ビールが飲みたくなった時は、最寄駅からちょっと遠回りして、スーパーで250ml缶を探し出し、1本だけ購入する。

家に帰ると、僕は仏壇に250ml缶のビールをお供えする。
そして、仏壇にお供えしていたビールを冷凍庫に放り込んで、お風呂に入る。

お風呂上がりに、ほどよく冷えた250ml缶のビールとりだして、仏壇の「りん」を静かに鳴らして手を合わせる。

これが、義母と僕との乾杯だ。


妻の記憶だと、義母は、お正月とか、お盆とか、お彼岸とか・・・いわゆる「ハレの日」には、ちょっとお高いビールを飲んでいたらしい。

けれども、お高いビールは250ml缶で売っていない。
しかたなく、350ml缶を買うのだけれども、義母は、どうしても飲み干せなかったらしい。

しかたなく、
「残ったの、飲んでくれないかい?」
と、妻に勧めるのだけれども、残念ながら妻はビールが全く飲めない。

「もったいない・・・ああ、もったいない」

ちょっとだけ残った、ちょっとお高いビールを、泣く泣く流しに捨ててしまう義母のその姿は、とても悲しそうだったそうだ。

物がない時代に生まれて、僕よりもはるかに強い「もったいない精神」を持つ義母にとっては、慚愧に耐えない行為だったのだと、容易に想像できる。


・・・ここだけの話だけど、実は一度だけ、義母と乾杯をした事がある。

夢の中での出来事だ。

仕事帰り、帰りの電車の中で、帰宅を告げるメールを妻にしたら、
「今日、お母さん来てるよ」
と、返信があった。

夢の中の僕は、それをさも当然の出来事として受け止めて、最寄駅で下車すると、駅前のコンビニに寄り道をする。

家につくと、リビングのテーブルのすみっこに、義母はちょこんと座っていた。

僕は、コンビニの袋から、購入したものをひとつづつ取りだしていく。

サラミ、サキイカ、ポテトチップス・・・そして、一番最後に、義母の顔を見ながら、ゆっくりゆっくりと、ちょっとお高い500ml缶のビールを取り出す。

2つのグラスに、お高いビールを250mlずつそそいでいる義母の顔は、とても良い、悪戯っぽい、お茶目な笑顔だった。

もし、義母が生きていたら、ハレの日に、きっとこんな乾杯をしていたんだと思う。

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