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今年の抱負を緩く考えるという話

 知らぬ内に年が明け、2021年になっていた。とりあえず明けましておめでとうくらいは言ったほうがいいなと、連絡を取る相手だけにラインを送った。年越しの瞬間は普通に呑んでいたのだが、年末を狙ったかのようにコロナの感染者が千人を超えていたな、と今になって思い出した。旧年度、私は何をしていたのかと思い返すと、特に何があるわけでもなかったな。10月あたりから割と趣味の方が忙しくなって、いくつか展示会が決まったり、作品がたくさん売れたりしたことは割と大きい出来事ではあった気がする。あとは同居しかけた友達だった子が失踪したり、恋人と別れたりもしたが、それはそれほど大きい出来事ではなく、振り返ればそんなことがあったなくらいのモノだと思う。正直数ヶ月で連絡取らなくなるかなって思った人間とは割と長く友人関係が続いているし、永遠に仲がいいと思っていた相手とは少しづつズレを感じている。それらは生きていく上で「良くある」事なので特に心配していることではないし、そんな事をいちいち引きずっていてはどうしようもない。自分は自分の感情の起伏をコントロールするのが苦手なので稀に他人との人間関係や、自分が嫌われていないか?なんて事で憂鬱になってしまうのだが、よく考えたらどうでもいいことでは?と冷静になる事もできるようになった。とはいえメンヘラ的(笑)な自分を完全に切り離すことは出来ていないので、冷静になれる速度を早めるのを今年の目標としておくか、と考えている。飲みにいくことによって人間関係は広まっていくわけだが、私としては「呑んでる時」だけの友人として線引きをしているし、向こうも私の事を「友達」とは思っていないだろうと考えているので、そこで築いた人間関係で悩むことはそんなにない。普段は会わない人たちなのだから。自ら深く付き合わなければ、こちらが負うものが少ない事を去年学んだ。広く浅く、そして来るもの拒まず去るもの追わず、の精神を元に今年も引き続きほどよい人間関係を築いていきたい。他人に執着せず、そして己にも執着せず。感情の起伏を抑えて「無」として過ごすことが私の理想であり、今年の目標でもある。あとは「断る」力をつける事もしていきたい。他人に対していい顔をしたいがためになんでも許諾してしまう癖があるので、それを治したい。あとは変な所で真面目になってしまうのもやめたいな。「行きます」と言ってしまった手前、行かなくても良さげだなぁという集まりに顔を出してしまうとか、「多分行けたら行く」という回答をして、ほぼ行かないって言ってるようなもんなのに、結局行かないことへの罪悪感を感じて、その予定をしっかり遂行してしまうところとか。悪いことではないのだろが、そんな事をしなくてもいいのかもしれないと、最近気付いた。私の周りは「連絡するね」って言ってもしなかったり、「また飲もう!近いうち誘うね」と言って連絡が来なかったりする。それで私は別に落ち込むわけでもなければ、相手のことが嫌いになるわけでもない。私も社交辞令で特になんとも思ってない人間に対してはよく言うし、結局のところ私は気にしすぎなのだ。だからもうそういう「ちょっと面倒」みたいな所を変に真面目になってしっかりしなくてもいいのかもしれない。相手を気にし過ぎるのも良くないし。いろいろ考えてみたが、今年の目標は上記に書いたことくらいか。あとは会社を辞めること。これはできたら良いなくらいなのでハードルを低く見積もっている。まだまだ社会が混乱している中、去年も今年も特に変わりなく、私の生活は地続きであるし、私も大して変わることなく生きていくことだろう。私の目の前にある時間は、目が眩むほど膨大なのだから、少しづついい方向に進めたらな、と気長に緩やかに考えている。

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